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メモらんだむ

思ったことを書くだけ

時代が変革している予兆はたくさんある。

 

いままでの考え方が通用しなくなる時代が来る。

 

自ら考える能力はどの時代でも要求される能力ではある。

設問に対して考える能力は今後はあまり要求されにくくなり、

問題提起自体をする人しか役目が無くなる時代がもうすぐそこに来ていて、

 

そのために解にたどりつく能力とは異なる能力が要求されている。

その能力の必要性の変化が、うすうすわかっているので大学での試験が落ち着きどころがなく一転二転している。

 

いままでの世代の人もそのことはうすうす予感していて、

それでもまだなお、均質性を求める潜在意識が働きテストの採点が出来るかどうかなどの

本質的ではない問題の中で変革の方向感は定まらない。

 

一方で、気候変動も甚だしい。

今だ経験のない台風が来て、竜巻に世界各地が襲われる。

部分的な公害でなく、人類が発展してきた歴史そのもので、

二酸化炭素が増え、マイクロプラスチックが海や空気中に混じる。

 

人類が発展のために掘り出してきた石油、石炭などの化石燃料や

便利に加工できる化学製品の影響が先人達が意図しなかった形で影響を持ち

広く生態系や住環境だけでなく人類の食糧問題まで臨界点に達し、

発展してきたパラダイムそのものが正しかったのかどうかも問われている。

 

人は本能的に不足を満たそうとして動く。

目先の問題解消が最優先の課題として常に頭の中の90%近くを占める人が多い。

中には100%目先の解消に注力してしまう。

 

楽しい娯楽にだけ身をゆだね、イージーマネーに手を染めていくのはその象徴のような消費行動だ。

 

時代として目先に足りないものはない。

お金がない時代はお金を求め、

自由な時間がないと自由な時間を求め、

今は自由も有りすぎるほどある。

 

日本では時代的な貧困を経験していない層が育ち、

何不足なく育っている人々が社会で活躍し始めている。

 

ないとしたら承認される仲間だったり、

グループだったりになるのだろうか。

 

これから先の未来はむしろ自己実現の欲求というものの中に

自分の成功や金銭的な不安解消の欲求などよりも

明らかに承認欲求や所属している社会を意識する世代が登場しているようだ。

 

その背景があるからこそ、社会全体へ目を向ける人々が多くなっているのかもしれない。

承認欲求、社会への所属欲求は個の在り方を社会全体と連動して考えていきやすいのかもしれない。

 

自分の問題より社会の問題に注力することで何かを満たしているのかもしれない。

枯渇しているものが生存可能性に及んでいる。気候変動問題や、社会の思いやり。

そういったものが不足している時代に幼少期を過ごした世代が世の中に出始めているからかもしれない。

 

人間は自分の足りないものを満たしたい、枯渇した状況を感じたら満たしたい生き物だからこそ、時代は利己益中心でなくなるのかもしれない。

 

もちろん、社会主義の再来ともまた違う。

プロレタリア中心の時代は再来しない。

 

AIなどの浸透によって、単純なものや意思決定の労力も含め

労働そのものはどんどん無くなっていくからだ。

 

どんな時代が来るのか、

今この瞬間の僕の感じていることをメモに残しました。

 

東京の街の中にイノシシがうろつくニュースがテレビで流れていた。

これは、イノシシにとっては深刻な食糧危機が山林で起きているということに他ならない。

 

原因は二つあって、一つ目は狩猟などが盛んでなくなり、イノシシの天敵が少なくなり個体数が増えたこと。

二つ目は秋に関東地方を襲った台風でドングリが不作だったことが原因であるという報道がなされていた。

 

イノシシの個体数の増加 + 温暖化による台風の強大化により森の食糧ドングリの育成不足

イノシシの話題は頭出しだけしておいて、私たち人類の話に話を遷す。

 

人類は世界人口がいまだ人類の経験したことのない数まで増加して76億人に達するというところ。

 

100億人の食糧を世界が供給できるかという議論がされているが、それを待たずして

温暖化による台風や、気温上昇による耕作地と作物のミスマッチが生じ、食糧不足に陥るとどうなるのか。

 

地球を一つの森として置き換えてみると、イノシシを人類に置き換えてみるとどうだろう。

気候変動による食糧危機はおそらく想像を絶する深刻さをはらんでいる。

日本国内だけではない。世界的な危機が訪れるのだから誰も想像したことのない領域に人類が突入する可能性がある。

 

分かりやすくするために、日本のことだけを取ると災害や作況が悪い時のために

政府が行っている備蓄米という取り組みがある。

適正備蓄トン数を100トンと決め、毎年20トンずつ新たに買い入れる。

5年たった20トンを先入れ先出しで、飼料米などに払い下げる。

一見無駄なような取りくみだが、とても重要な役割を持っている。

作況程度92の10年に一度の水準だったり、作況指数94の通常程度の不作が2年続いても耐えられる水準の備蓄ということ。

 

思い出すといまから30年近く前の1993年は冷夏のため日本全国の作況指数は「著しい不良」の水準となる90を大きく下回る74となった。

 

この記録的冷夏の原因は、20世紀最大級ともいわれる1991年(平成3年)6月のフィリピンのピナツボ山の噴火が原因で発生したことが原因とされている。夏の気温は、平年より2度から3度以上下回ったのだ。

 

当時、国内ではコメが不足し、緊急事態としてタイ米などの輸入に踏み切らざるを得なくなった。

 

ちょうどドングリが森に無くなって、都市部に走り出てきたイノシシと同じである。

 

残念なことに1993年の日本では「奪う」ということが起きていた事実を見逃してはならない。

どんなところに「奪う」が潜んでいたかというと、

米の大量消費国であった日本はタイから高価格で米を買ったのだ。

 

その影響でタイではコメ価格が高騰し、餓死者も出る騒ぎとなった。

金に任せて他国の物を買いあさる。まさに「奪った」のだ。

 

イノシシはまだゴミ箱をあさる程度で人間から力づくで食糧をもぎ取ろうとしていない

イノシシのほうがまだ品格があると思うのだがいかがだろうか。

 

日本という文明の発達した政治の安定した先進国をもってしても、気候変動による不作にはここまでの混乱が起きるのだ。

それが、現在でも食糧支援などで生命を維持しているような脆弱な食糧供給しか出来ていない貧困国などではもっと深刻な事態が起きる。

 

気候変動というとこういうことが地球規模で起きると今後臨界点に達している人類を守ることが出来るのか?

ということになる。

 

世界で食糧の奪い合いが起き、購買力、いわゆる経済力によって勝者が決まる。

 

近年ではバターやチーズなどの国際的な買い負けが国内での品不足につながっていたのだが

国内の酪農家の生産量の問題だけに帰結して語る人も多かったのが不思議である。

もっと世界的にどういうことが起きているかを考えて手を打つ必要が出て来ている。

 

また、1993年当初に比べると日本の世界での経済的優位性も順位を落としており

この段階で食糧奪い合いが起きるとカロリー数の確保すらどうなる事やらである。

 

漁業の問題もある。200カイリの水域で知られる漁業水域だが単純に海はつながっているのだから

他国との海洋資源の争奪戦は何も、海洋埋蔵資源だけに偏った話ではない。

当然、食糧調達の点でも同じ海から食糧資源を取ってくる図式になる。

 

領域や漁獲高制限だけの問題ではない。いま大きな問題になっている、海洋プラスチック問題に打つ手がないということは

世界の各国の食糧供給という点でも自分たちの選択肢の幅を狭めており、食糧ポートフォリオの幅を狭くしているのだ。

 

50年に一度、100年に一度の災害が頻発する中、昨年と今年が同じであると誰が保証するのか?

今年と来年が同じであると誰が保証するのか?

 

小泉環境大臣がCOP25で日本政府が石炭火力発電でありながら国際的なスタンダードを無視して

また、ガラパゴス化した論法で、「トータルのCO2排出は削減してますよ。」と叫んでいるのは

 

化石燃料の中で一番非効率であり、もう石炭は離脱するしかないという主旨を踏まえずに

平気で「日本はちゃんとやってます。」と言っているのは分かっていないとしか言いようがない。

 

日本の技術力を持ってすれば、あらたなジャンルでもトップを走れるはずなのに。

力点を「これから」という未来にしっかり定める。

過去の利権や自分たちだけのストーリーは無意味である。

 

料理人の収入が世界的にうなぎ登りに上昇している。

 

もし、調理師の資格を取ったり調理学校で勉強したりして自分のキャリアを作ろうと思っている人がいたら、ぜひ、このブログをぜひ読んでほしい。

 

フレンチやイタリアン等の洋食を学んでいても、ホテルのサービスを学んでいても、必ず役に立つヒントになるはずだ。

 

すこし、言葉が難しいかもしれないし、ややこしく感じるかもしれないがしっかり読むことであなたの未来が開けること請け合いだ。

 

近年の寿司や和食が世界的に高い評価を得ていることも手伝って、特に日本人であれば和食と寿司は世界的にみるとかなり高い所得をとれる職種に位置に存在する。アジアでも欧米でも一流の料理人であれば年俸1,000万円は間違いないのである。

 

中国でも和食の一流の職人ともなれば、レストラン事業を行いたい資本家や事業会社から引き抜きがかかり、1500万円~2000万近いオファーもかかる。

 

ただし、チェーン店で店長や料理をやっていたというレベルの料理人や調理師免許を持っているというだけの料理人ではそこまでの収入を得ることはできない。

 

では、どのキャリアが必用なのかというと、究極は

 

・客単価30,000円以上の繁盛店での勤務経験を3年以上している。

・日本で一流の評価を得たことがある和食、もしくは寿司の料理人である。

・日本で一流の高級店で修業をしたことがあり、そこの大将からお墨付きを貰える。

 

この3点が必須条件だ。

 

まず、フレンチやイタリアン等はどうなのという疑問を持つかもしれない。

フレンチやイタリアン等の料理人は日本の国内マーケットでは価値を持つ可能性もある。

 

また、器用で繊細な感性を持ち勤勉な日本人が海外のフレンチ店などで評価を高くしているケースも多いが、

国際的な活躍や相対的な価値まで含めるとフレンチやイタリアンでは

日本料理、和食、寿司とは比べることが出来ないほどポテンシャルが低い。

 

日本人もしくは日本で学んだという価値が極まるのはやはり、日本の料理であることが大きな条件になる。

フレンチの料理人がフランスに行って学んで結局日本に帰ってきて日本で価値を持つのはフランスという本国で学ぶからである。

日本料理とか寿司というジャンルはここ日本がまさに世界で一番の修業場所なのだ。

 

ただ、フレンチやイタリアンを学んでしまって日本料理は学んでいないからもうダメなのかというと、そんなことは無い。

フレンチ経験やイタリアンの経験を持っている人が日本料理に身を入れて基礎から学びなおしたら、これからの時代に要求される日本料理をベースとしたフレンチテイストの料理というような領域にたどりつき、唯一無二の価値を作ることが出来るかもしれない。

 

チャレンジ精神を失い、保守的な心境で小さく生きてしまい自分を限定的にしてしまうことこそ問題なのだ。

 

よく英語の能力を心配する人もいるようだが、残念ながら英語に限らず、言語能力は現地に行けば3カ月から半年もあれば必要なことは話せるようになるし、そんな人材はざらにいるというのが現状である。

 

また、生活習慣の違いもチャレンジするからにはすべてを学びに変える勉強心さえ有れば克服できる要素であることは当たり前の話だ。

 

まあ、特に言語や習慣の問題は心配することは無いというのが現状だ。

 

ただし、料理の経験や能力必須条件だ。いい加減なものでは価値が低い。

 

ではどんな経験や、どんな能力が必要なのかというと日本でも、また世界でも高い評価を得ている高級店での経験や大将からのお墨付きが必要になってくるわけだ。

 

実は料理だけではない。サービスにおいても、一流店での経験は接客の作法はもちろんのこと。接遇=サービスの点においても店全体を形作る価値の要素として高く評価されている。

※ちなみにここでの一流店とは最初に書いた条件の通り、客単価30,000円以上の店を想定しています。

 

つまり著名な一流店での勤務経験はそれだけで、自らの人材市場での付加価値を上げていくことにつながるのだ。

 

例えば一番価値が高い事例はミシュランの三つ星を獲得した一流店である。

 

ミシュランの三つ星を獲得するのは国際的にも評価が高く日本での知名度こそ、所得層の高い人にしか知られていない傾向を持つが、飲食のマーケットでの価値の頂点を行く存在として海外での評価は圧倒的である。

 

東京にある和食店、日本料理屋で三つ星を獲得した店はわずか8件だがその募集サイトを見てみると、募集に対しても実は狭き門だが、積極的にサービスに料理に人材を育てていこうとしている料理界に大きな貢献をする店もあることが見えてくる。

 

神楽坂 石かわ

龍吟

かどわき

鮨よしたけ

まき村

虎白

麻布幸村

かんだ

 

この採用自体も狭き門だが千載一遇のチャンスでこういった店に採用され、仕事をしっかりと経験できたらまさに自分を磨き、生涯年収もかなり高い位置に行くことが出来るステップを上がり始める。

 

このブログでは日本料理、和食、将来の高所得のための価値を高める行動これから20年以上も安定的に評価の高いマーケットに身を置くにはどういうキャリア戦略がいいのかを探ってみた。

 

一概に外食産業、飲食店といっても調理師免許を取得したからと言って、また、一瞬きらびやかに見えるレストランだからと言って、自分磨きに貢献してくれるかというと決してそうではない。

 

単価の安い店で席の回転率で儲けるビジネスモデルで収益をあげている飲食店=チェーン理論によって経営している飲食店は人件費が高くなるとそれだけで収益を圧迫するので、将来的にも給与や報酬が多くなることは見込めない。

 

安くておいしい、もしくは早い安い旨いのようなデフレ経済の申し子のような業態では自分自身の所得は上がっていかないし、自分自身の価値を上げていくことにはつながらないのだ。

 

大きなチェーン店で企業体として収益をあげているところでは経営陣に成ることで大きな報酬を得ることが出来る。しかしながら、経営陣には経営を学んだ人が多く料理人から経営陣の一角にポジションを移す人は実にまれだ。

 

もちろん、これ以外でも、世界的な評価を得ている高単価の価格帯の店は有るのでもし、そのジャンルで活躍したいと考える人がいれば、自ら興味を持って調べ、チャレンジすることが必要になる。ぜひ自分の未来を切り開くためにも高単価の高級店で和食という私たち日本人にとって一番価値の高い道を探ってみたらいかがだろうか。

厚生労働省のデータによると
喫煙者の肺気腫と肺ガンになるリスクは
戦後の結核と同じ国民病と言われるレベルの8人に一人で、非喫煙者とは明らかに有意差がある。
 
それだけではなく、心臓病になるリスクも高い。
 
喫煙者は喫煙でリラックスできると主張するがその効果も3分ほどしか持たない。
結果として、チェーンスモーカーになり、健康被害だけでなく、コストもかかり、周りを副流煙による受動喫煙への被害に巻き込む。
 
WHO世界保健機関のページから国に対して、タバコリスクを説くことが政府の役目とコメントしている。
現代人、および将来の世代は、たばこの消費とたばこの煙への暴露による健康、社会、環境への壊滅的影響、および経済的影響からすみやかに保護されなければなりません。
各国政府は、たばこの使用とたばこの煙への曝露の有病率を減らすために、たばこ規制に関するWHO枠組み条約(WHO FCTC)のたばこ規制措置を使用しています。 これらの措置を実施することにより、それぞれの政府はタバコの使用または暴露に起因する病気と死亡の重荷を軽減措置を実施します。
 

さらに、たばこ業界に向けて自主規制を行うことを勧告している。

たばこ業界の慣行を理解することは、たばこ規制政策を成功させるために不可欠です。 これに関連して、メーカーが消費を推奨するよう販売した場合、たばこ製品は通常のユーザーの半分までを殺すことができる唯一の合法的入手可能な製品であることを理解することも重要です。

 

加熱タバコ(HTP)は従来のタバコよりも安全ですか?

現在、HTPが従来のタバコ製品よりも有害性が低いことを証明する証拠はありません。一部のタバコ業界が資金を提供する研究は、標準的なタバコに対する有害で有害な成分の形成と暴露に有意な減少があると主張している。しかし、現在のところ、これらの化学物質への暴露の減少がヒトのリスク低下につながることを示唆する証拠はない。したがって、リスク/危害の減少の主張を立証するためには、追加の独立した研究が必要になります。

と根拠のない安全性を否定している。

 

また、タバコ製品全体に

タバコの使用のすべての形態は有害であり、HTPを含むタバコは本質的に有毒であり、その自然な形でも発がん性物質が含まれています。したがって、HTPは、タバコ規制に関するWHOフレームワーク条約(WHO FCTC)に従って、他のすべてのタバコ製品に適用される政策および規制措置の対象となるべきである。

とも語っている。

 

日本政府もたばこという巨大利権をもつJTにも耳が痛い話であるが

この辺り、やはり言語の壁があり英語を理解できない国民という都合のよいガラパゴスを活用して

日本国内で売られるたばこだけにはいまだに肺がんの写真などは記載されていないし、

いまだ、JTは社会貢献しているかのようなイメージ広告=ある種のグリーンウオッシュ広告を出し続けているのである。

 

経済原則は常に他の利害地図を塗り替えて優先順位を変えていく。

 

 

 

1,000年というスパンは人類にとって永遠のように見えるが

地球の単位でみると一瞬の瞬きのような時間である。

 

気候変動はそういったスパンで語られる側面も持つ。

有史以前の地球上でどんなことが起こっていたか。

 

人類の経済活動が影響して年平均気温5℃の温度が温暖化するのは

人類にとっては大きなことではある。

年平均気温5℃の差といえば東京と奄美大島の違いにあたる。

 

気候変動という文脈では、気候変動は

地球としての歴史の中ではごく普通に起きていた事実である。

現在から+10℃程度という時期は過去には当然存在した。

温暖化が激しく、シダ植物などが繁栄し、一気に二酸化炭素が吸収され

酸素優位になっていくエポックになったという仮説がある。

 

ただ、地球の歴史からみると、氷河期であった時期のほうが多く

赤道周辺に至るまで氷に覆われた時期があったらしい。

むしろ、この時期は太陽光は氷によって反射され、

温かく温度変化するまでの時期を迎えるには時間を要したようだ。

 

こういった意味では

むしろ安定した気候、「普通の気候」という概念は特にない。

 

ただ、現在の温暖化を誰の視点で物を語るのかが重要で、

資本主義社会で僕等が生きているからには

人類の経済活動にどれだけ影響があるかで考えていなければ役に立たない。

 

農作物が不作になれば、経済に大きな影響を及ぼすし、

寒冷地が作物の適地に成る可能性もあるが

乾燥の影響で作物が出来なくなったり、自然火災が多くなり耕作不適地に成るケースもあり

各国の経済状況も激変する。

 

また、近年、日本で起きているように台風や洪水の被害は有史以来のケースで強大化するとなると

現在のインフラや住居では耐性がなく多くの経済的ダメージを被る。

 

地球視点で考えても問題解決に成らず、常に人類の視点で考えることが重要で

その点では経済的視点で温暖化をどう阻止し、また対応し

経済危機を乗り切るかが大きなイッシューである。

 

人類の活動である経済的視点はいつでも科学の視点を超えていく。

 

食の安全確保の観点メモ

 

・海洋酸性化問題

酸性化による種への影響と絶滅、海洋資源の減少と

食糧確保、奪い合いによる雇用の問題、貿易戦争、海洋漁業圏闘争。

 

・海洋プラスチック問題

海洋ごみ、特にプラスチック類のマイクロ化、ナノ化による種への影響と種の絶滅、

それに対する食物連鎖での影響。同じくそれによる確保の争い。

 

・土壌の硝酸態窒素問題

土壌汚染、地下水汚染、河川汚染、海洋汚染へ

 

・大気中のマイクロプラスチック問題

呼吸器への影響や、海洋への影響、

 

・温暖化による干ばつ、洪水、風害等による農作物の被害、収穫減少

 

・海面上昇による耕作地の減少

 

・単一品種作付=モノカルチャーの害虫、植物疫病など未知のボラティリティーへの耐性への減少による絶滅リスク増大

 

・GMOなどによる作付品種ポートフォリオの減少

 

フードアナリストの藤原浩氏が詐欺罪で話題になっています。

 

僕自身はフードアナリスト協会も熟知していますし、

藤原氏とは直接話をしたことが何度も有るので、

見抜けなかった人や、騙されてしまった人※がいるということに衝撃を受けてしまいました。

※騙されたかどうか現段階では事実は分からないが。

 

なぜ衝撃を受けたかというと、藤原さんを信用しているからという文脈ではなく

そういう詐欺的行為を行うタイプの人には典型的な特徴があり

騙されることのほうが少ないと思っているからです。

 

また、フードアナリスト協会自体については詐欺だとか

取得のためのプロセスや受験、維持費が高いとか

言う話もあるとは思いますが、知識体系自体は非常にぶ厚いものでもありますし

民間資格ではありますが、面白い部分もあると思い

 

これに限らず、「資格というのは肩書きであり、何を保証するものでもない。」

という当たり前の話を前提にしています。

 

それぞれ、どの資格も個々人の活用の仕方次第では無いかと思っていますので

これについてはそれ以上のコメントは控えたいと思っています。

 

さて、事実の解明や藤原氏に対する非難はさておき、

 

どのようにして、「詐欺」や「詐欺師」、「詐欺師になってしまう人」の

見極めができているかを解説したほうがいいのかなと思い解説をしたいと思い書きます。

 

人をだまそうとして、組織的な詐欺をしている集団は別にしておきます。

組織犯罪は、シナリオや役目などが明確化し人としての特徴よりも

仕組みとしての解明が必要だからです。

ただ、ここに共通項はあります。

 

ポイントさえ押さえておけば組織的詐欺にもかかりにくく、

ましてや、「危ない人」を見抜いて被害に合わないために

また「危ない人」と「優秀な人」は紙一重なので

そこを見誤らないためにも判断材料を持ち合わせていることは

かなり役に立つ現代を生きる知恵に成るはずだと確信しています。

 

ですが、この内容もまさに数多くのケースを学んだ経験があるからこその

メモなのですが、当然ながら知識体系は100パーセントではないので

そのことは理解してお読みください。

 

ことの真贋は別にして、こんな人とはビジネスという文脈で

接点を持たないほうがいいという人はどんな人なのか

まだまだ存在する詐欺師の見抜き方を理解するほうがいいのではないかと思うのです。

 

まず、相手の話を聞くなかでどんなに肩書きや、華々しい経歴を並びたてられても

優秀な人かもしれないが怪しい人かもしれないと考えて聞く姿勢は必須の条件です。

相手を疑うのではなく、見抜こうとする力は自分次第なのです。

 

優秀な人と、詐欺的な人との共通項は

・話が上手い人

・解決策をどんどん出すことが出来る人

・さまざまなネットワークがある人

・華々しい実績がある人

など数限りない共通項があります。

 

違いは

・現在の所属、過去の所属

・今に至るまでの過去の話とその公になる根拠

・提案構想の深さと行動力

・努力に対して同情、共感しない

・金銭の要求の段階

である程度分かります。

 

上記の項目は常にどう活用する情報なのかといいますと、

「どの責任においてこの人が発言しているんだろう?」という疑問を常に持って

話を聞いてほしいということです。

 

詐欺に成ってしまうか、実は大成功するかは

その人の構想力にあるのではありません。

考え付くのはだれでも考え付きます。

おいしい話をするのもだれでもできるのです。

 

もし、経済的な成功を収めている人なら

本当に人助けしたいと考えているなら

ともに組むビジネスの中で収益を出しながら

一緒に成功する構想であるはずですし、

それが先に金を発生させる投資的な儲け方ではないはずです。

 

また、お金を先に発生させるのは投資話と言います。

投資話は見極めができる人にだけ許された領域で

総額を失う損失リスクも発生します。

 

受容できる、いわゆる泣き寝入りできる

リスク内で投資するのがどんなに資本力を持っている人にも

必要な自己責任の範囲で、絶対に儲かることはあり得ないことであるという前提を理解しましょう。

 

騙される話の中には面白い話を持ってきても、その人物自体が悪い人でなくても

その人物自体が騙されているケースがあるのです。

騙されている人を説得する難しさは凄まじいので

騙されているケースを見極め、その話には触れないことが重要です。

 

マルチレベルマーケティングやねずみ講的な話、また人をだます似非宗教などはほとんど

信じ込んでいる、騙されていることに気づかない善意の人からの熱烈なトス上げから、

周辺が巻き込まれるというケースがほとんどです。

 

詐欺的な話はビジネスのプロと素人を結ぶ

線の中で必ずシームレスにつながってしまっています。

本当の話と、偽の話の中にいる善意の人を見極めることが大切です。

 

これはその人物の真贋ではなく、その先にいる人の真贋という話です。

他の人の真贋に依存する提案は、常にもう一歩進んで

ロジカルにビジネスとして旨く成立するのかどうなのかという判断能力、いわゆるビジネスモデルをひも解く力が

話の受け手側に必要になってくるのですが。

 

それから、騙されている人に多いのが、努力に対して評価してしまう姿勢です。

やっている、進んでいる、もう少しで、などという努力評価に対するプロセス管理は

あまりにお粗末です。

 

何事につけ、結果を持ってくるところが困難なのです。

また、努力のプロセスを報告しているだけかもしれないのです。

作り話かもしれない都合のよい話に同情するのはよしましょう。

「ありがとう、ほんとに努力してくれてますね。」というなというのではありません。

 

「でも結果が出てないですね。」「物事は結果次第ですからね。」

と言い放ち、詐欺にあいたくなければ

「酷い、残酷だ」などと言い返されても、「金よこせ」などとすごまれても

「私は結果だけで判断しますから。」とか「脅しですか?恫喝ですね?訴えますよ。」とか

もしくは「こちらにはお金がありません。」と

冷たく言い放つ冷静さと勇気は必要でしょう。

 

https://www.j-cast.com/tv/2019/12/05374408.html

 

藤原氏をめぐる金銭トラブルは数多くあり、来週にも「被害者の会」を結成する準備が進められている。藤原が自称しているプロフィールには、食文化研究家、フードアナリスト、農林水産省「食のオフィシェ」など18種類の肩書が連ねられ、なかには、3日(2019年12月)に解任された「いばらぎ大使」「山形県観光大使・つや姫特命大使」「山口県萩市ふるさと大使」があった。

 

   司会の小倉智昭「肩書は国家試験の資格と違って、自分がフードアナリストと決めれば、そうなりそうだものね」

 

   若狭勝(弁護士)はこう解説した。「1つのパターンで何人もの人を騙すのは詐欺罪として警察も動きやすいが、今回のように虚言癖があって、パターンがいっぱいあると全部が嘘だと立証しないと詐欺罪を問いにくいんです。それにしても日本社会って肩書に本当に弱いですね。

 

   かりに裁判で判決が出ても、行方が分からない、資産が分からないとなると、判決の効力も事実上なくなってしまいます。被害者の会で結束しようというのも、民事では片づけられず、刑事で犯罪として処罰してもらいたいということでしょう」

 

引用https://www.j-cast.com/tv/2019/12/05374408.html

 

飲食チェーンを運営する企業が売り上げを上げるには同業での展開が

一番手っ取り早く売り上げを上げる確実な方法なのは周知の事実。

 

その発想の延長には押さえられるエリアを押さえ尽くして

マスで認識され顧客認識を高めることで地域一番店に名乗りを上げて

同業他社にマーケットを取られるのを避けたいと考える。

 

良い業態は他社も二匹目のドジョウを探し続ける中で

当然同じようにしかけてくる。

 

パクリ店舗だ。

表層だけパクられても何も問題ないのだが

徹底的にコンセプトまで研究し尽くされてしまうと

消費者からすると「どちらでも同じ」という状態になる。

 

今まで多くの業態で過剰出店し、店舗が当たり前になり

コモディティ化し当たり前になるまで出店し続けた業種はたくさんある。

結果、既存店売り上げは低迷し、安売りなどにより原価率は上がり

利益率は落ちる。

 

当然、コモディティ化しているわけだから行列が出来る店や

予約困難店といわれる状態から何時でも入れる店になる。

結果として、回転率が下がったり、空席率が高くなるという現象が起きる。

 

大量出店で、どんな業態が陳腐化しコモディティ化により力を失っていくかは

購買頻度が大きなカギを握る。

 

コーヒーは単価が安い代わりに購買頻度は高い商品だ。

パンも購買頻度が高い商品だ。

 

車や家は当然ながら毎日買う人はいない。

これは購買頻度が低い商品群。

 

こんな極端な例でなくても、飲食の中だけでも

購買頻度が高いか低いかは歴然とある。

 

ステーキを毎日食べるという行為は日本人の一般的な人はしない。

カフェは毎日行く人は多い。

 

ステーキは2カ月に一回行くとして2000円の客単価で計算すると

2000*1=2000/月

 

コーヒーは例えば毎日行く人が多いので、仕事の前に平日通うと仮定して22日

250*22=5500/月

 

店舗のある商圏に何人顧客層がいるかも影響するので

ステーキの顧客を考えると3,000円を払える客層30代以上。

胃袋のでかい若者中心の消費などと考えると決して商圏の大きなビジネスではない。

 

例えば駅で例えると、50,000人の乗降客数の駅でも50,000人を

男女50%、ターゲット客年齢層30%、そのうち半分の人が購買頻度は月一回来てくれるとして

50,000*50%*30%*50%*2000=7,500,000

おそらく顧客の来店頻度はもっと高いし、客単価も高いだろうけど

消耗戦の後にはこのレベルの売り上げがまっているとしたらどう考えるのか。

 

回転率が高くて一日に7回転していたモデルとは

違う戦略で出店戦略を組まなければ到底勝てない。

 

これもかなり好意的な観測が入っている計算ではあるが、

実質はもっと高い頻度で食べる人もいるのだろうし、

女性だけで食べたり、男女で食べたりさまざまなシチュエーションを加味して計算する必要はあるが

マーケットはむしろ

 

ペッパーフードは2019年2月に発表の2019年12月期の当初の計画で、売上高が935億円(前期比47.3%増)、営業利益55.9億円(同44.8%増)と、大幅な増収増益を予測していた。第3四半期決算を発表した2019年11月に売上高は665億円(前期比4.8%増)、営業損益は7.3億円の赤字(前期は38.6億円の黒字)に転落する見通しを発表。

 

まあ、飲食の企業の多くは上場で調達するところにあるし

永続性は求めていないのだろうからそもそもこの話よりも手前に目標があるのだろうけどね。

 

 

自分の人生は未来からの流れを見極めてつかめるかどうか。

ボーっとしていたのではなにもつかめない。

 

今やれることをしっかりやる。

 

やることの大きな概念を捕まえて、

想像力をしっかり働かせて物事のディテールを細部まで想像する。

 

すると大概の事は現実的に形になる。

 

 

 

孤立は良く無い。

戦争は国際的孤立化が進むと起きる。
国で言うと戦争のない状態を目指すなら、
やはり、各国間での経済、企業の存在、人材の活躍、文化が切っても切れない間柄になることだ。

個人の社会との孤立も問題になる。
社会全体と上手くやって行けないと、
篭りがちになり、ネット社会で
プロパガンダ的な発信をし始め、
孤立感を強め、社会に対しての無力感を違った形で表現しようとし始める。

国の戦争も人の反社会化も同じように
他者の立場に立って考えたり、
相手があることだと理解したりできない思考の構造から起きる。

社会性って重要だね。