みなさん、お久しぶりです。
ちいさいまつりブログ担当あきこです。
 
 

 
既に優花さんのブログでお伝えしているように、
わたし達が11月23日にちいさいまつりを行いたい場所は
「藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)」
です。
 
 
正式には、
特別史跡藤原宮跡(とくべつしせきふじわらきゅうせき)
というそうです。
 

藤原宮跡は、国の文化財です。文化庁が管轄しています。
わたし達は今、国に向けて企画書を作っています。
 
 
また、藤原宮跡は、世界遺産への道を歩み出しています。
橿原市と明日香村・桜井市そして奈良県が連携して提案した「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」が、平成19年1月30日に世界遺産候補として文化庁からユネスコに推薦されました。
 

そんな藤原宮跡のこと、藤原京のことを少しお伝えしたいと思います。
難しい話かよ・・って思わず、少しお付き合いいただけると幸いです。
 
現在の藤原宮跡。わたしが知らない間に赤い柱が・・
 
 
 
■藤原宮跡とは
藤原宮跡は、藤原京の中の中心施設である藤原宮のあった場所です。

藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設、天皇の住まいである内裏などがありました。
 

■藤原京の広さ
藤原宮跡は奈良県橿原市(かしはらし)にありますが、藤原京はとても広くて、お隣の桜井市、明日香村にもまたがっています。

広さは28.1k㎡!
橿原市全体よりやや狭いくらいです。
 
藤原京の範囲内には近鉄電車で8つの駅、JRで2つの駅があるんですよ!
(東京みたいにいっぱい駅ないですからね!!すごいことなんです!!)

ちなみに、最近の発掘調査でこの範囲が分かってきたのですが、のちの平城京、平安京より、藤原京は広いんです。

平城京は近鉄6駅、JR1駅なので、規模が大きいのがわかりますね。
 
これは藤原宮跡内の野球グラウンド。ここから歩いて15分ほどの場所にあった高校に通っていました。剣道部だったあきこはここで皆でトレーニングしたりソフトボールしたりしてました。
気軽な場所だったんですよ・・まさか国の管轄とは・・
 
 
■藤原京の時代と天皇
藤原京は持統8年(694)~和銅3年(710)
たった16年間しか都じゃなかったのです。

しかしその間、持統天皇、文武天皇、元明天皇の三代の天皇がいました。

また、藤原京を計画したのは、天武天皇でした。

天武天皇は、大友皇子との天皇の位をめぐる争い(壬申の乱)に勝利して、天皇の強力な主導のもとに中国の律令にもとづいた律令国家の建設を目指していました。

持統天皇は、夫である天武天皇の意志を受け継いで藤原京へ遷都したのです。
 
 
 
 
■藤原京と大和三山
藤原宮跡は、大和三山(耳成山、畝傍山、香久山)の真ん中に位置しています。
耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)、香久山(かぐやま)と読みます。
 
 
万葉集、「藤原宮の御井の歌」では、大和三山が宮を囲む大きな門として象徴的に表現されています。

大和三山は、橿原市を代表する景観であり、万葉集(まんようしゅう)にも詠われています。
平成17年7月14日に国の名勝に指定されています。
古くから多くの和歌に詠まれた由緒ある景観であるだけでなく、現代でも広く親しまれている点が、高く評価されているそうです。
 
藤原宮跡から見た畝傍山


■藤原京の人びと
忍壁皇子(おさかべのみこ)
藤原不比等
粟田真人
藤原不比等
柿本人麻呂
聖武天皇
藤原仲麻呂
気になった人がいたらぜひ調べてみてくださーい☆
 
 
■藤原京は日本で初がいっぱいありました
☆「大宝律令」が制定された藤原京の時代は律令制の幕開けです。

大宝律令は日本で初めて作られた本格的な法律で、この新しい法律をもとに、新しい国づくりが始まりました。

大宝律令は、刑法である「律」、それ以外の法律「令」からなり、当時の東アジアの国では、唐以外では初めての独自の律令の制定という大事業でした。

これにより、役所の組織、戸籍、地方支配の制度、道路網、通信網も整備されました。

また、律令制度では国・群・里で全国を治めました。

 
☆藤原京は日本で初めて条坊制(碁盤の目状の街区)を導入しました。
街区は南北の単位を「条」、東西の単位を「坊」と呼びます。これが条坊制です。
 
☆日本で初めての都城です
はじめて都の中に市井の人々が住みました。

☆藤原京では貨幣が大量生産、流通していました。
 
☆藤原京には市がありました。
 
☆掘立柱建物と瓦葺礎石建物を上手に取り入れ、日中の建設様式を融合させた都です
 
☆藤原京では国際交流が頻繁に行われていました。
 
☆日本という国名が国際的に使われたのは、藤原京の時代です。遣唐使が則天武后から、「日本国」という国号を認められたのです。
 
 

☆☆☆

藤原京の時代は、中国文化はもとより、朝鮮半島の影響を強く受けながら日本独自の文化が華開いた時期でもありました。

そしてここで成立した独自の文化は、その後の日本文化の基礎となり、現在の私たちの社会にしっかりと受け継がれてきています。
 
☆☆☆
 
ここまで読み終えられた方、いらっしゃいますか・・?
難しくて断念された方もいますかね・・?


大丈夫ですよー。
これ、読めない人、多分いっぱいいますから。
 
 

少し、詰込み過ぎてしまいましたが、藤原宮跡、藤原京に興味を持ってもらえたらなと思います。

 
そして、興味のあるキーワードがあったら、ぜひ調べてみてください。
一つでもいいんです。
 
 


 
奈良、橿原はとても歴史が長い場所です。
初代天皇の神武天皇が橿原宮で即位されたのが紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)。
藤原京から平城京に遷都したのが710年なので、ざっと1360年!ですね。
 

 
その中の16年を藤原京は占めているのですが、
たった16年とはいえ、日本という国にとってとても重要な意味を持っていました。
いろんな意味で、「はじまりの場所」なのです。
 
 
 
そんな場所で
ちいさいまつり
アースファミリー
~あたたかい地球の家族に還ろう~
の開催を目指しています。


 
ちいさいまつりを開くことで、この地がまた、新しい「はじまりの場所」になるように。


 
☆☆☆


企画書作成のために、わたしたちは、かなり時間をかけました。

優花さん、naoさん、のりこさん、hiromiさん、まゆさん、あやかみちゃん・・
いろんな人と何度も話し合い、意見を出し合い、調査をし、まとめて・・


そして、なんとか企画書が完成間近というところまで来ました。


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わたしたちにとって、ちいさいまつりを藤原宮跡で開催したいというのは、とても大きなチャレンジです。



何も後ろ盾もない団体が、国の文化施設でイベントをやろうとしているのです。




でもここで開催することに大きな意味があると思っています。




歴史的意義だけではなく、まだ明らかになっていない意味もあると思います。
一緒に謎解きを楽しんでください。




 
皆さん、ぜひ応援よろしくお願いします。