怒りの感情が悪いものだと思い込んできた。目の前のもう一人から、感情の起伏が激しいと言われてきたのを、叩かれ続けていると思い込み、穏やかな人格になるように言われた意味が分からず、マイナスだとされる怒りや哀しみを表に出さないように、感じないようになるのが、穏やかな人格になるには必要だと勘違いした。

今思うと本当は、感情の起伏が激しいから叩かれ続けたのではなく、自分に湧いた感情のうち、好いプラスの感情は自分の実力のためだとしか思わず、お陰様が分からずそこに何の感謝もなく、嫌なマイナスの感情は人のせいにして、誰でも嫌がるそのマイナスな感情を人に向けては正当化し、人の気持ちを考えようともしなかったから叩かれ続けたのだと思う。

ずっと、そうだと思えずに、悪く言われないように、叩かれないように、自分にとって嫌なことでも何も言えずに、自分の為になるからとプラスに考えて無理矢理受け入れるようなことばかりしてきた。
そうしているうちに気が付いたら、自分の気持ちを素直に言えなくなり、怒りを感じないように気分的に楽な方ばかり選ぶ、哀しいときに喜んでみせるようなことをする、そういうことばかりしてきて、何を考えているのか分からないような、自分で自分の気持ちも分からないような、そんな不自然な人格を自分で作り上げてしまっていた。

一人で考えても、人の思想を参考にしても、それでなんとかしようと頑張っても、全部違った。分からないことは出来ないと勘違いし、物事を分かっていない自分が人と関わるなんて出来ないと思い込んでいた。ここにきて、人と関わるうちに、自分にとって必要なものは何か、また、違うものは違うと分かっていき、分からないこともやって初めて分かるようになっていくのだと思った。
そして、これまで、分からなくてもやればいいのに、分かっていないからダメだと、自分が自分を認めてなく、それをやろうとしなかった自分に、心からごめんねって言ってあげたい。相手を通して感じたものから自分を知ること。人を見て、できるのにしようとしないと、ずっと自分が感じていたものが、それだった。