【オリンピック特番】超個人的に過去の五輪を振り返る~第二回 ソウル大会 | ニコライのブログ

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暑いですなぁ…
まあ、でも何が何でも暑さに打ち勝たのばならぬほど難儀なこともないので…
そんな訳で第二回


【1988年 ソウル大会】

■MIP 斉藤仁(柔道)

鈴木大地も素晴らしかったが、やはり斉藤でしょう。この大会、総崩れとなった柔道、最重量級の斉藤が日本柔道の矜持を守りました。(その意味では今回の男子柔道は情けない…。監督の篠原が出た方がまだよかったんじゃ…)
何試合目かは覚えてませんが、試合中、苦戦していた斉藤が、『待て』が入り帯を直したとき、解説席に座っていた山下泰裕と目を合わせ、頷くシーンがありました。終生のライバルであり、結果その牙城を崩すことの出来なかった山下、その山下から引き継いだ日本代表の重み、日本柔道の誇り…、色んな思いが斉藤の胸中を巡ったであろうことは、当時小学生六年生だったワタクシにも、想像がつきました。
斉藤のエピソードは感動ランキングでもかなり上位にきますな。ご飯何杯でもいける。前回のWBCの原監督の『栗原を呼んでくれ』クラスの感動度!(わかる人にしかわからんでしょうが…)

表彰式で、おにぎりのような顔の斉藤のあの大きな目から、ボロボロと大粒の涙が溢れていたのは、今でも忘れられません。

でもって以下、当時の思い出。

・学校のプールの時間、鈴木大地のバサロスタートを真似るも、その後浮上できず、大量に水を飲む、という苦い記憶あり。

・この頃までは日本のアマレスは世界トップクラスだった。実際、このソウル大会でも二個金メダル取ってるし…。ひそかにアマレスや柔道など格闘技に心惹かれるが『アマレスやると耳が潰れてものすごく痛いんだぞ』と友人が忠告。ああ、あの時彼の気弱な忠告なんぞに従わなければ!…と後悔することしきり(笑)

・会場の反日感情がありありで子供心に腹が立った。あの時の感覚はいまだによく覚えている。

・前述の山下や斉藤など、この頃の柔道の選手にはまだ『柔道家』と言葉がしっくりくる風格や精神性があった。この後、柔道と他の格闘技の間の垣根が取り払われたこともあり、柔道選手は『アスリート』に括られるようになったように感じる。


以上、ソウル大会を振り返りました。
次回は、バルセロナ大会でございます。こうご期待。