平成26年3月22日、防衛大学校の卒業式において安倍総理大臣は
訓辞の冒頭で次のように述べられました。
「本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、これからの我が国の防衛を担うこととなる諸君に、
心からお祝いを申し上げます。
卒業、おめでとう。
諸君の、誠に凛々しく、希望に満ち溢れた勇姿に接し、自衛隊の最高指揮官として、心強く、頼もしく思います。
また、学生の教育に尽力されてこられた、國分学校長をはじめ、教職員の方々に敬意を表します。
日頃から防衛大学校に御理解と御協力を頂いている御来賓・御家族の皆様には、心より感謝申し上げます。
本日は、諸君がそれぞれの現場へと巣立つ、良い機会ですので、内閣総理大臣、そして自衛隊の最高指揮官として、
一言申し上げさせていただきます。
今日は22日。15年前の11月、中川尋史空将補と、門屋義廣一等空佐が殉職したのは22日でありました。
まずは、諸君と共に、お二人の御冥福を心よりお祈りしたいと思います。」
防衛大学校の卒業式でこの2名の殉職自衛官の話が出たのは2度目。
最初は平成13年の卒業式で、当時富士通名誉会長だった
故・山本卓眞氏の来賓祝辞の中ででした。
防衛大学校卒業式という晴れがましい席で
何故、殉職された自衛官の事が語られるのか。
ある程度の年齢で、自衛隊に理解のある方ならご存知の方も多いのですが、
平成生まれの若い方はほとんどが知らない話だと思いますので、
今日はそのことについて書いてみたいと思います。
平成11年11月22日13時02分
中川尋史2等空佐(47歳、階級は当時)と門屋義廣3等空佐(48歳、同)の乗ったT-33Aが航空自衛隊入間基地を離陸。
中川2佐は平成10年の戦技競技会に第6飛行隊長として出場して優勝を飾り、指揮幕僚課程を履修するエリートでした。
門屋3佐も人格・指揮能力・空戦技術など全てに優れた戦闘機パイロットに与えられる称号"ベストガイ"の初代に選ばれた方でした。
2人は航空学生出身で、中川2佐の総飛行時間は5,228時間、門屋3佐の総飛行時間は6,492時間。
2,000時間以上の飛行経験者はベテランといわれる戦闘機パイロットの世界において
2人は超ベテランのしかも大変優秀なパイロットでした。
この日は、指揮幕僚課程に進んだために内勤となっていた中川2佐の年次飛行
(パイロットが内勤などになった場合、技量を維持するため年間に定められた飛行時間を確保し飛行訓練する)
にあたり、中川2佐がコクピットの前部に乗り、機長として操縦桿を握り、
現役パイロットの門屋3佐がその教官として後部座席に同乗していました。
13時11分 入間基地北方の訓練空域において訓練開始。
13時32分 訓練を終了し、入間基地への帰投開始。
13時36分 入間基地管制塔と通信設定。
13時38分 マイナートラブルの発生を通報、滑走路への進入ポイントへの直行を要求。高度約2,500フィート(約760メートル)
13時39分02秒 「ちょっと えー振動、えーと 変な音がしてオイルの臭いがしますので降ります。」(日本語による通信。交信記録ママ。)
高度約2,300フィート(約700メートル)
13時39分49秒 コックピットでの煙の発生を通報、直線進入による着陸を要求。高度約2,500フィート。
13時40分14秒 緊急事態を宣言。高度約2,200フィート(約670メートル)
13時40分53秒 管制塔からのこのまま着陸させてよいかの問いに対し「大丈夫だと思いますが。」
13時41分14秒 管制塔からの照会に対しコックピットでの煙を再度通報。高度約2,500フィート。
13時42分03秒 管制塔からの着陸許可と脚下げを確認。高度約1,200フィート(約365メートル)
13時42分14秒 ベイルアウト(緊急脱出)を通報。高度は約1,000フィート(約328メートル)
このあたりで事故機は急速に降下。ベイルアウトが間に合うぎりぎりの高度にまで下がっていた。
ところが、その13秒後・・・・
13時42分27秒に何故か再度ベイルアウトの通報があり、これを最後にT-33Aからの連絡は途絶えました。
航空自衛隊入間基地管制塔の願いも空しく、事態は大変なことになっていました。
2人がベイルアウト(緊急脱出)した機体は、地上約200フィート(約60メートル)の高さにある超高圧送電線に接触。
送電線5条をを切断した後、機体は約90メートル離れた入間川河川敷の狭山リバーサイドゴルフ場コース内に墜落、炎上。
炎上した機体は14時25分に鎮火しましたが、送電線切断で南狭山線と併設されている日高線が停止したことにより、
埼玉県南部及び東京都西部を中心とする約80万世帯が停電し、それに伴い道路信号機や鉄道網は麻痺。
また、切断により送電線が落下し停められていた車を損傷させたほか、家庭電化製品の故障、家屋屋根損壊、
パソコンの故障及びデータ損失、不動産被害(ゴルフ場、畑)、工場の機械故障、パチンコ店営業被害、スーパー生鮮食品等被害、
商店レジ故障、錦鯉の酸欠死等の被害が続出しました。
そしてベイルアウトした2人の自衛官は死亡が確認されました。
この事故直後、マスコミ・新聞各社は当然のごとく自衛隊を叩きました。
「自衛隊がまたも事故」「送電線を切断。80万戸が停電」
「すぐそばに住宅地。一歩間違えば住民を巻き込む大惨事の可能性」と・・・・・
T-33Aは練習機だったため、操縦していた自衛官の腕が未熟だったという憶測もあったようです。
しかし、近隣住民の目撃証言もあり、調査が進むとそこには驚愕の事実が浮かんできました。
13時39分49秒 コックピットでの煙の発生(コックピットスモーク)を通報
このとき機体は基地まで18kmの地点にあり、直線距離の最短コースて基地への帰還を連絡。
しかし、機体内部では燃料ホースが破れ、そこから漏洩した燃料がコントロールユニツト付近で発火していました。
13時40分14秒 緊急事態(エマージェンシー)を宣言。
エンジントラブルは思ったよりも深刻で、機体は降下し始めます。
近隣住民の証言によると
「プスンプスンと変な音を立てながら、機体が降下して行った。エンジン音はしなかった。」
「飛んでいるときのエンジン音は無かった。」と
エンジンは既に止まっていたと考えられます。
急激に高度が低下し、基地まであと4kmの地点で高度1,000フィート(約360メートル)に降下。
ベイルアウト(緊急脱出)し、パラシュートが開いて無事地上に着陸するにはぎりぎりの高度でした。
そして13時42分14秒 中川2佐からベイルアウト(緊急脱出)の通報がありました。
ところが、その13秒後の13時42分27秒 管制塔が再び中川2佐からの「ベイルアウト」の言葉を受信します。
つまり、最初のベイルアウトの通報で2人は脱出していませんでした。
そして13時42分36秒、T-33Aは地上約100フィート(約60メートル)の送電線に接触し、
入間川の河川敷に墜落・炎上しました。
近隣住民の目撃情報によると、T-33Aが送電線と接触する直前、
乗員の1人が脱出。後部座席の門屋3佐でした。
そして、中川2佐が脱出したのは送電線と接触した瞬間だったようです。
門屋3佐はパラシュートが半開きの状態で地面に墜落して死亡。
中川2佐はパラシュートが開いておらず、送電線のほぼ真下で発見されました。
事故の翌年4月、航空自衛隊の事故調査委員会の調査結果の発表によると
中川2佐が最初に「ベイルアウト」を通報した時、
機体は狭山市の東京ゴルフ倶楽部及び西武学園文理中学校・高等学校付近の上空にあり、
柏原ニュータウンの住宅地が前方に、河川敷は更にその先の左手に位置していました。
実際に、事故機の飛行経路からは通報後に河川敷に向けてコースが修正されていることが確認でき、
仮にこの修正がないまま機体が針路を直進した場合、柏原中学校付近の住宅地に
墜落していた可能性があったのです。
一度は「ベイルアウト」を通報した中川2佐でしたが、
エンジン停止の状態の中で操縦桿を離さず、機体を河川敷へとコントロールさせました。
ベテランパイロットですから、それが何を意味するわ分からないはずはありません。
そして、人の住んでいない入間川の河川敷まで機体を運び、墜落ぎりぎりまで踏ん張り続けました。
送電線を切断して80万戸を停電させたことは事実です。
しかし、民間人の生命に被害が及ぶことを防ぐために
自分らの命と引き換えに最後の13秒を戦ったのも紛れもない事実でした。
これは余談になりますが、ベテランパイロツトの2人がペイルアウトしたとき、
既に絶望的な高度まで降下していたのは承知していたと思われますが、
それでもやはりベイルアウトしたのは何故でしょう?と、
ある新聞記者が航空自衛官に尋ねました。
するとその自衛官は、「機体を整備した整備士のためだと思います。
脱出しなかったら、脱出できなかったのではないかと整備士は責任を感じるでしょう。
私も例え無理だと分かっていても、やはりそうするでしょう。」と答えたという。
自衛隊法第5章 隊員 の 第4節 服務 に
次の規定があります。
隊員は、防衛省令で定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。
防衛大学校の卒業式はその第2部において、
陸海空自衛隊に曹長として任官する卒業生の
曹長任命式があり、全員で服務の宣誓をします。
自衛隊最高指揮官である総理大臣の前で
服務の宣誓をするのは防衛大学校だけだと思いますが、
その宣誓文は以下の通りです。
宣 誓
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、
一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、
政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、
身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。
殉職した2人の自衛官は、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、
もって国民の負託にこたえ」ようとした自衛官の姿であったということなのです。