毎年11月1日の自衛隊記念日と前後して、防衛省をはじめ全国各地で

自衛隊殉職隊員追悼式が行われます。

 

 

今年の防衛省における追悼式では、新たに25柱の殉職者の名が銘板に刻まれ

殉職自衛隊員は1934柱となりました。

 

防衛大学校でも毎年、開校記念祭の初日の土曜日に顕彰碑献花式が行われます。

今年は今月(11月)の11日(土)、第65回防衛大学校開校記念祭で献花式がありました。

 

私が初めて防衛大学校の開校記念祭に行ったのは、

息子が入校した第1学年の年の第55回だったので、

ちょうど10年前(平成19年)になります。

 

そのとき私は2日目の日曜日に行ったので、顕彰碑献花式のことは知らず、

観閲式が終わって棒倒しが始まるまでの時間に昼食をとり、

防衛大学校資料館を見学したりしていました。

資料館の中を隈なく廻っていると、2階の奥に少し薄暗い部屋があり、

扉が開いていたので私は何も考えずに入室したのですが、

中を見て非常に驚きました。

そこは防衛大学校関係殉職者が祀られている部屋でした。

 

 

殉職された順に装飾された顕彰盤が安置され、

氏名、享年月日、殉職時の状況等が

銘板に刻まれているようでした。

 

防衛大学校を卒業し任官するのは

陸上、海上、航空自衛隊の順に多いのですが

殉職された方は逆に

航空、海上、陸上自衛隊の順に多いことを知りました。

 

この資料館は平成17年にできると同時に

2階の一番奥の部屋を「顕彰室」とし、

当時59柱の殉職者の名簿が奉納されたそうです。

 

 

私は初めての開校記念祭でしたので、身軽に普段着のまま行ったのですが、

顕彰室があることを知って、「この部屋にはこんな服装で入ってはいけない」と思い、

翌年の開校記念祭からはスーツとネクタイで行くことにしました。

 

翌年の開校記念祭で資料館の2階にあがると、顕彰室の扉は閉め切られていました。

どうやら、関係者以外は入室できないようになったようでした。

少し残念な気もしたのですが、開校記念祭のリーフレットを見ていると、

土曜日の午後に顕彰碑献花式というのがあることに気づきました。

2度目の開校記念祭も日曜日だけの参加でしたので、

献花式を見ることはできませんでしたが、

顕彰碑というのがあることを初めて知りました。

 

リーフレットに顕彰碑は防衛大学校人文科学館南側とあり、

校内案内図を見ながら足を運んでみることにしました。

 

 

土曜日の献花式で建てられた仮設テントの奥に顕彰碑はあり、

前日の献花式の花がそのまま飾られていました。

 

それ以降の開校記念祭では、顕彰室に入ることはできませんが、

土曜日の献花式(これも関係者のみ)には、外から献花式の様子を見守り、

開校記念祭が終わり、防衛大学校を出る前には

必ず顕彰碑に立ち寄り、黙祷を捧げてから帰るようになりました。

 

今年の開校記念祭で資料館の2階にあがったところ、

顕彰室の前にはイスが並べられていました。

献花式出席者のためのものだとすぐ分かりました。

そして顕彰室を見ると、関係者以外立ち入り厳禁の表示がありましたが、

右側の出入り口の扉が開いていたので、

扉の外から10年ぶりに中の銘板を見ることができました。

今年度は防衛大学校関係の殉職者は出なかったそうですが、

それでも100名近くになっているそうです。

つまり、資料館ができて12年の間に約40名の関係者が

殉職しているということになります。

現職の自衛隊員23万人中、防衛大学校卒業生は1万人にも満たないわけですから、

1934柱のうちの約100柱が防衛大学校関係者ということは、

やや多いのかなという印象を持ちました。

 

また、顕彰室は顕彰碑献花式に参列された方々のうち

希望者のみが入室できるということも今回知りました。

 

私は今年で開校記念祭は最後になるかもしれませんが、

来年以降の開校記念祭に参加される心ある方は

是非、お帰りになる前にでも顕彰碑の前で

黙祷を捧げていただけたらと願っております。