大学院修了時に書き上げた阪神大震災被災者の生活実態に関する修士論文からの抜粋です。
松本賢一「兵庫県南部地震における避難拠点の空間構成と避難生活の実態に関する調査研究」より
【避難所の構成】
・情報のためのスペース ・物資の配給スペースと保管場所
・遊戯、勉強のスペース ・遺体安置場所
・洗濯場と物干し場 ・便所(トイレ、仮設トイレ)
・入浴施設(仮設風呂) ・駐車場の確保
【避難所の生活実態】
・生活行動 ・プライバシー問題 ・生活と物資救援
・ペット問題 ・避難所の情報ネットワーク ・ボランティアとの関係
・炊き出しと問題点
【施設本来の機能との関係】
・学校が避難所となった状況
・学校における授業再開の問題 ・学校との協力関係と摩擦
【書籍】
「阪神・淡路大震災における避難所の研究」柏原 士郎 (著), 森田 孝夫 (著), 上野 淳 (著)
【緊急支援物資】
いま、物流は止まっていますが、いつでも送れるように準備しておきましょう。特に欲しい物は、毛布、飲料水、すぐに食べられるもの、ティッシュ、生理用品などです。
【遺体収容】
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、阪神大震災被災者および論文を記述したものとして。遺体安置は被災からは1週間後でした。遺体安置が長引くとにおいに対処しなければならないので、【線香】などで匂いをマスキングする必要があります。
【避難所のトイレ】
仮設トイレには明かりがないために、外の光を取り入れようとしてトイレの扉を開けて用を足す必要があります。
しかし、冬の寒い時期に、簡易トイレの扉を開けて用を足すとお尻から風邪を引いてしまうこともあります。
また、仮設トイレにカイロを落として詰まらせることも多々ありますので、すぼんやスカートを脱ぐときには、気をつけるようにしてください。
【ライフラインの復旧】
復旧順序は、通常、【電気】→【上水道】→【ガス】です。
阪神大震災では、電気は、一両日中に復旧しました。
上水道は、10日から1ヶ月。ガスは3週間から1ヶ月以上です。
【赤ちゃんの粉ミルク】
電気がいち早く復旧することで、もっとも役に立つのは赤ちゃんのミルク作りです。
ガスが出ない分、電気ポットがあれば粉ミルクを作ることが可能です。
【学校のプール】
学校のプールは消火用に貯めておくことが必要です。
【上水道の通水試験】
上水道が復旧する前に、必ず、通水試験が行われます。その時に、水が出ても、そのまま止まってしまい、ぬか喜びであることもよくあります。阪神大震災では、被災者を家に呼んでお風呂に入ってもらったのは良いけど、次に家族の人が入ろうとした時に、水が出なかったこともありました。
【電気の復旧と通電】
通電の際に、家のブレーカーを落としておかないと、火災が起きる可能性があります。通電の時には、必ず、ブレーカーを落とす。あるいは、避難する際には、ブレーカーを落として場所を移動してください。
【ボランティア】
今すぐに駆けつけるだけが、ボランティアではありません。災害復旧は10年、20年単位という長丁場です。むやみに現場に乗り込んで、二次災害に遭わないとも限りません。現場が落ち着いたときに、改めて、向かうことも選択肢に入れておいてください。
【炊き出しとボランティア】
炊き出しやボランティアに行かれる際には、避難所に問い合わせるのではなく、市役所に問い合わせて、今、どこへ行けばいいかを聞くようにしてください。ボランティアの多くは、テレビで放映されているところばかりに集中してしまい、分散されないからです。
【情報スペース】
阪神大震災では、避難所に黒電話とファックスが設置されました。神戸という土地柄もあり、英語と中国語でも説明書きがされていました。電話は無償で使えましたが、それは回線会社の好意のお陰です。そのため、ダラダラと電話で話すよりも、用件をファックス一枚で送るようにすれば、効率よく連絡が可能です
【食糧の保管】
阪神大震災では、保存用の冷蔵庫は個人的に持ち込まれたものが多くありました。冷蔵庫の持ち込みは、食中毒の防止にも役立ちます。また、配給の食糧の中には、期限が迫っているものが紛れ込んでいることもあります。避難所は高齢者が多かったため、食糧の管理には細心の注意を払っていました。
【物干し場】
洗濯の物干し場は、水を抜いたプールに洗濯ロープを張って、そこで乾かしていました。
【安置室】
避難所には遺体を安置させる場所はありませんので、阪神大震災では、その施設の中で一番いいと思われる部屋を使うようにしていました。
【避難所のプライバシー】
プライバシー対策として仕切り板を使う避難所がある中、「大社小学校」では当初から「大社ファミリー」を掲げ、避難者と学校がファミリーであるという意識を持ち、仕切り板を使用しませんでした。
【避難所のプライバシー2】
深津小学校では、避難者と学校側との夜のミーティングにおいて、一人一人の顔を見て話をしたかったため、避難者側の自治会長に仕切り板の使用は極力辞めてもらうようにしてもらいました。このことが、盗難防止にも役立ったそうです。
【食糧】
レトルト食品は、電子レンジが必要です。インスタントラーメンなどは調理しなければなりません。ところが、電子レンジやポットも避難所によっては、一つしかなく、阪神大震災では、70名の避難者に電子レンジ一つだけと言うこともありました。
【避難者数の確認】
阪神大震災での避難所では、入り口に模造紙を貼り付け、住所と名前を書いてもらうようにしていました。よそへ移動した人は、それを消すようにして、人数の確認に役立てるようにしていました。
【ボランティアの種類】
大工職人、医者、栄養士、整体師、鍼灸師、ピエロ、ロックバンド、大道芸など。阪神大震災では北海道から沖縄まで全国から集まってきました。ただ、土日に集中することが多く、ボランティアの申し出の対応だけでも大変な状況でした。
【炊き出し】
阪神大震災での炊き出しの多くが、温かいもの、「豚汁」でした。やはり、大量に作れるものは、それだけで重宝されます。また、炊き出しの際に、栄養士さんがいれば、バランスの良いものが提供できます。
【行政の対応と限界】
行政は、救援物資の数を合わせるだけで手がいっぱいです。物資の中身まで気を配ることはなかなかできません。しかし、それに文句を言う被災者もいらっしゃいます。行政の対応と現場からの要求を擦り合わせる。現場で何が求められ、何が必要とされているのか。それを肌で感じることも、ボランティアの役目ではないでしょうか。
【指導者の覚悟】
私が阪神大震災の被災地を周り、避難所となった学校の校長先生にインタビューを行ったときのこと。
「この震災を経験した子どもはどのように育つか」との問いに、
「きっと強くなる」と答えた学校では、被災者を最後まで面倒を見るという覚悟をしており、また、これをきっかけに生命の尊さを教える授業を展開していました。
逆に私の問いに対して、
「個人の性格でもあるし、傷を背負った子ども達が強く生きていけるかどうかはわからない」と答えた学校では、被災者には一日も早く自立した生活を送って欲しい、子どものストレス発散のために、避難所である体育館を早く開けて欲しいと考えていました。
某避難所では、当初から学校側と被災者側とが対立をしていました。受け入れ側と被災者との関係が良好になるかどうかは、受け入れ側の態度で決まります。
【黄色いタオル】
阪神大震災で仮設住宅に移り住んだ被災者の多くは高齢者でした。
尼崎市の碗田公園に住んでいた仮設住宅の自治会では、孤独死を避けるために、60歳以上の高齢者には「黄色いタオル」を配布しました。
朝起きて外に出たときにそのタオルを玄関前に掛けて、「今日も元気」というサインをだしてもらい、夕方に取り込んでもらうようにしていました。
このことが報道されたため、熊本の美容院から仮設住宅宛に黄色いタオルが数十枚届いきました。この黄色いタオルのおかげで、「碗田連絡会」では、仮設住宅が撤去されるまで、一人の孤独死も出すことはありませんでした。
【継続は力】
阪神大震災は1月17日に起きました。
そして、ボランティアのピークは2月。
マスコミでさんざん報道された西宮中央体育館には、一日に50人ものボランティアがやってきました。
4月の上旬にはほとんどボランティアが来ることはありませんでした。
...夕方に高校生が何名か来る程度にまでなっていきます。
つまり、数ヶ月もすれば、誰も気にしなくなっていくのが現実です。
今、なにかしたいと思われている方が多いのは事実ですが、
今のこの時点で動くことは誰にでもできることです。
ライフラインが復旧し、生活に光が戻ってきたときにも、ボランティアの力が必要です。
「継続は力」には、二つの意味があると思っています。
一つは、「継続することで力になる」。
もう一つは、「継続するにはそれなりの力を必要とする」。
今は、力を備える時期であると言うことも、覚えておいてください。
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