![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/89/ea/g/o0235002113443061077.gif?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/55/cf/j/o0360032613443061083.jpg?caw=800)
バンコクからプノンペンには
1h で着きます
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/34/e7/g/o0020002013443061089.gif?caw=800)
「アジアの真珠」とも言われている
プノンペン空港は想像よりもとても
綺麗で、大きかった![](https://emoji.ameba.jp/img/user/ch/chisono200/1075.gif)
![](https://emoji.ameba.jp/img/user/ch/chisono200/1075.gif)
プノンペンは
カンボジアの首都であり
カンボジアの国王一家が住んでいます。
プノン=丘や山。
ペン=夫人の名前。
”ワットプノン”という丘にペンさんの
像などが建てられているそうです
カラッとした太陽が眩しく…
雨季というのを忘れるほどでした。
N氏が予め移動用の車を用意して
下さっておりそこで出会ったのが
ガイドのワンさんです![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/be/08/g/o0020002013443061103.gif?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/be/08/g/o0020002013443061103.gif?caw=800)
ワンさんは私たちが2hお待たせしまった事を謝ると、穏やかな笑顔で
「大丈夫です
」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/7b/15/g/o0020002013443061108.gif?caw=800)
と許してくださいました。
今では穏やかさが戻ってきている
カンボジアのプノンペンですが…
此処には悲しく悲惨な歴史があるのです。
1953年 シハヌーク国王の元で独立を
したカンボジアですが、この時に反シハヌークとして”クメールルージュ”という
カンボジア共産党が生まれました。
ですが1970年にはシハヌークが
カンボジア共産党、クメールルージュ
側に付き総力が拡大
1975年4/17
プノンペンをクメールルージュが占領。
同時にクメール共和国崩壊。
この時にはこれまでの数々の紛争による
打撃で食糧危機が起こっていました。
クメールルージュは食糧増産を図る為
プノンペンなど大都市の住民
資本家、技術者、知識人など
知識階級から一切の財産・身分を剥奪し
農村に強制移住させ農業に従事させました。
同じ国の同じ人種同士であるのに
なぜそんな事を…
そして”原始共産社会”を理想とする
極端なを強行したのですが
非現実・非科学的
な政策はカンボジア全土に一層深刻な
食糧危機をもたらしました。
N氏がカンボジアの歴史を
学ばせる為に当時クメールルージュが
プノンペンの知識人を収容していたという
「S21」という高等学校へ私を
連れて行ってくれました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/1c/73/j/o0240032013443061118.jpg?caw=800)
中も観れるのですがかなり刺激が強く
私はなかなか足が前に進みませんでした
まだ40年前の事で
色んな事をイメージできてしまう程
リアルに辛い後が残されていました。
ガイドのワットさんの身内の方も
この時代に犠牲となったようです
聞いてるだけでも沸々と怒りや悔しさ
や色んな気持ちが溢れてきました。。
S21を後にして次に
そのクメールルージュが残虐な仕打ちを
したという”キリングフィールド”
という場所へ行きました。
続く。
rio.
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151003/17/matsumoto-rio/9b/9e/g/o0235002113443061124.gif?caw=800)