バンコクからプノンペンには 
 
1h で着きます 
 
 
 
 
 
「アジアの真珠」とも言われている
プノンペン空港は想像よりもとても
綺麗で、大きかった
 
 
 
 
プノンペンは
 
カンボジアの首都であり
 
カンボジアの国王一家が住んでいます。
 
 
 
 
 
プノン=丘や山。
 
ペン=夫人の名前。
 
 
”ワットプノン”という丘にペンさんの
像などが建てられているそうです
 
 
 
 
カラッとした太陽が眩しく…
 
雨季というのを忘れるほどでした。
 
 
 
 
N氏が予め移動用の車を用意して
 
下さっておりそこで出会ったのが
 
ガイドのワンさんです
 
 
 
 
ワンさんは私たちが2hお待たせしまった事を謝ると、穏やかな笑顔で
 
「大丈夫です
 
と許してくださいました。
 
 
 
 
今では穏やかさが戻ってきている
 
カンボジアのプノンペンですが…
 
此処には悲しく悲惨な歴史があるのです。
 
 
 
 
1953年 シハヌーク国王の元で独立を
したカンボジアですが、この時に反シハヌークとして”クメールルージュ”という
カンボジア共産党が生まれました。
 
 
 
 
ですが1970年にはシハヌークが
カンボジア共産党、クメールルージュ
側に付き総力が拡大
 
 
 
 
1975年4/17
 
プノンペンをクメールルージュが占領。
同時にクメール共和国崩壊。
 
この時にはこれまでの数々の紛争による
打撃で食糧危機が起こっていました。
 
 
 
クメールルージュは食糧増産を図る為
 
プノンペンなど大都市の住民
 
資本家、技術者、知識人など
 
知識階級から一切の財産・身分を剥奪し
 
農村に強制移住させ農業に従事させました。
 
 
 
同じ国の同じ人種同士であるのに
なぜそんな事を…
 
 
 
そして”原始共産社会”を理想とする
 
極端なを強行したのですが
 
非現実・非科学的
 
な政策はカンボジア全土に一層深刻な
 
食糧危機をもたらしました。
 
 
 
 
N氏がカンボジアの歴史を
 
学ばせる為に当時クメールルージュが
 
プノンペンの知識人を収容していたという
 
「S21」という高等学校へ私を
 
連れて行ってくれました。
 
 
 
 
 
 
 
中も観れるのですがかなり刺激が強く
 
私はなかなか足が前に進みませんでした
 
 
 
 
まだ40年前の事で
 
色んな事をイメージできてしまう程
 
リアルに辛い後が残されていました。
 
 
 
 
ガイドのワットさんの身内の方も
 
この時代に犠牲となったようです
 
 
 
 
聞いてるだけでも沸々と怒りや悔しさ
 
や色んな気持ちが溢れてきました。。
 
 
 
 
S21を後にして次に
 
そのクメールルージュが残虐な仕打ちを
 
したという”キリングフィールド”
 
という場所へ行きました。
 
 
 
 
 
続く。
 
 
 
 
 
rio.