昨日は、身心安楽を得られるために、奈良県の薬師寺と唐招提寺に行ってきました。


まず、薬師寺に行ってきました。













薬師寺・・・天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。 697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。 710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。


薬師寺では、住職の法話を聞かせていただきました。薬師寺の歴史や国宝の薬師如来に関する内容を、楽しく、解りやすくお話していただきました。

(ちなみに、私の奥さんが中学生の修学旅行に来た時も同じように楽しくお話していただいたようです。)

又、薬師寺は、お墓、檀家、お葬式が無いお寺であるため、お布施も無く、寺院の修復は、写経(お経を書き写す修行)の、ご納経料により賄われているそうです。


続いて、唐招提寺に行ってきました。






唐招提寺・・・南都六宗の一つである律宗の総本山です。 多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。 「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。 金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。 現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。


今回は、奈良県の様々なお寺を見学させていただきましたが、歴史が苦手な私ですが、解りやすい案内板と法話を聞かせていただくなかで、人と人とのつながりや経過が理解でき、興味を持つことが出来ました。