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マツミンのブログ

元気で愉快な社長さんに逢う会・セレブParty・合コンParty・・おもしろ交流会・お笑いLIVE情報など

おもしろい話題を書いていきます。



芸能裏話芸能裏話(40) 私の師匠Wヤング中田師匠の自殺

 

私達(みのる・ゆたか)が京都花月に出ている時だった。

 

一回目の舞台が終わって、ゆたやん(相方)と芸人仲間でお好み焼き屋に行った時だった。

 

テレビを見ていたら番組の途中でニュース速報が入った。

 

「Wヤングの中田軍治さんが、熱海の錦ヶ浦から飛び降り自殺したもようです」一瞬耳を疑った。

 

まさかと思った、食べかけていたお好み焼きも止めて急いで京都花月に戻った。

 

支配人が青ざめた顔で「中田軍治師匠が飛び降り自殺したらしい、今本社に警察から電話があった」さっきのニュース速報は本当だった。

 

実は軍治師匠には何千万と云う借金があった。

 

私が師匠に付いている時もしょっちゅう借金取りから、楽屋に電話が掛ってきていた。

 

この借金と云うのは競馬のバクチで負けた物だった。

 

借金取りも電話だけじゃなく、楽屋まで来るようになった。

 

師匠が舞台をやっている時、舞台の上袖と下袖に借金取りが、師匠を逃がさないように見張っていた。

 

軍治師匠はそれを察して、舞台が終ると客席から降りて外に逃げた。

 

師匠が逃げ回っているので、私が事務所に連れて行かれたこともあった。

 

困った師匠は会社に借金の理由を云ってお金を借りる事にした。

 

しかし師匠は何千万も借金が有ると云えなくて、何百万と一桁少ない額を云ってしまった。

 

それでは到底返せなかったので、また借金取りが楽屋に来るようになった。

 

今度は同じ芸人仲間にお金を借りに行った。

 

その人に「悪いが200万円用立てて貰えんやろか、200万円さえ払ったら来月からメドが立つから」と必死に頼んだのに断られた。

 

軍治師匠もまさか断られるとは思わなかった。

 

最後の砦が壊れてしまった。

 

軍治師匠は元銀行員だった、だから今のギャラではお金が返せない。

 

利子を払うだけで元金が減っていかない、これでは一生借金取りに追いまわされる。

 

師匠が銀行員じゃなかったら絶対自殺していなかったと思う。

 

吉本の芸人さんも借金だらけの人が一杯いる。

 

でもその人達は「なんぼ借金取りでも命まで 取らん」と開き直っている。

 

なまじっか銀行員だったから先々まで計算してしまった。

 

しかし師匠が亡くなって半月後に、漫才ブームが起こった。

 

軍治師匠も漫才ブームまでは計算していなかった。

 

漫才ブームのきっかけは、花王名人劇場という番組だった。

 

それも、Wヤングを全国的に売り出す為の番組だったそうだ。

 

そのことをプロデューサーの澤田隆治さんに聞いた。

 

大阪では人気のやすし・きよし、実力のWヤングと云われていた。

 

上方漫才大賞もやすし・きよし師匠が2回受賞して、Wヤング師匠は3回受賞している。

 

せめて後15日間、生きていたら何千万の借金なんか一瞬の内に返せていた。

 

そしてお笑い界の歴史も変わっていただろう。

 

人間は計算道理には行かないんだから、決して諦めたらあかん!誰にでも絶対チャンスは来ると思う。

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芸能裏話(39) 読売テレビの人気番組「やすきよの腕だめし運だめし」に出演

 

『やすきよの腕だめし運だめし』と云うTV番組に出して貰った時の事だった。

 

やすし・きよし師匠が司会で、素人とプロのお笑いタレントが一緒に漫才を

 

して、一番面白かったチームがハワイに行ける権利が貰え、最後のゲームに

 

勝つとハワイ旅行が貰えると云う内容の番組だった。

 

最後のゲームと云うのが、当時売り出し途中の明石家さんまさんが水槽の上

 

に乗っていて、素人さんが赤と白のロープどちらかを引っ張ると、水槽の

 

フタが外れてさんまさんが落ちる!

 

落ちればハワイに行けると云う番組だった、結構面白く視聴率も高かった。

 

その番組にプロのお笑いタレントの方で出ることが決まった。

 

素人さんと一週間前にリハーサルはするのだが、番組上はその日に抽選で素人とタレント

 

のチームが決まり、即興でネタを作ると云うような設定になっている。

 

素人さんは女子高校生だった、僕等は暇だったので必死に稽古をした。

 

そして当日楽屋で待って居ると、となりの楽屋にやすし・きよし師匠が来られたので挨拶に行った。

 

「おはようございます、みのる・ゆたかです、今日は宜しくお願いします。」

 

そう云うときよし師匠は『そうか、君等が出るんか頑張りや!

 

これからは若い者が出なあかんからな』と励ましてくれた。

 

そして喜んで隣の楽屋に戻って着替えをしていたら、隣の楽屋できよし師匠がディレクターに『もしあいつらのお陰で受けへんかったら、責任取って貰うで』と云っていた。

 

慌ててディレクターが僕等の所にやってきた「きよし師匠が、お前等を出すのを心配しているから今日は絶対笑わしてくれ。

 

そうでないとお前等テレビに二度と出れないからな」とプレッシャーをかけられた!

 

ここで負けたらあかん!出番まで素人の女の子と何回も何回も稽古した。

 

本番前にやすし師匠に声を掛けられた、「お前等は元気よく大きな声で、一生懸命やるだけでええ、お前等を見に来てるんじゃない。

 

やすきよを見に来てるんやから、受けへんかったらワシらがフォローする」この言葉に救われた。

 

云い方はぶっきらぼうだったが、やすし師匠独特の優しさだと思った。

 

今までの緊張が一変に吹き飛んで行った。

 

お陰で素人の女の子も面白く大爆笑で一回戦を突破した。

 

二回戦は女の子がグレープフルーツを投げ、僕が剣で受ける。

 

沢山受けたチームがハワイの権利が貰える。

 

5個の内3個受けて僕等のチームが優勝。

 

あとは水槽の上のさんまさんが落ちるだけ、運命の一瞬女の子は「赤」を選択した。

 

その時やすし師匠が僕の横に来て、小声で『白』と答えを教えてくれた。

 

そこで僕は「赤はアカンのちゃうか、白の方がエエンちゃう」とヒントを与えた。

 

それでも女の子は「赤」と云い切った。

 

そこにやすし師匠が『今日は白やっちゅてんのに、今日は俺が朝早く来て仕

 

込んだんや』お客さんにも分かるように答えを教えてくれた。

 

やっと女の子も「白」と云った。

 

そして、さんまさんは水槽の中に落ちて大爆笑の内に番組は終了した。

 

やすし・きよし師匠に挨拶に云った。『ようやった、それでエエねん』と短いが心のこもった言葉だ。

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芸能裏話(38) 初めてのテレビ出演

 

初めてのテレビは、朝日放送のお昼の番組だった。

 

師匠(Wヤング)がゲストでトークをする番組だが、弟子紹介として師匠と一緒にコントをする 事になった。

 

内容は二人羽織の後ろに入って手だけ動かすのである。

 

打ち合わせの時から緊張して、喉がカラカラに渇いてきた。

 

自分達だけの 漫才ならまだ良いのだが、師匠と一緒にコントをするのが心配だった。

 

僕が後ろに入って、手を出して師匠がうどんを食べたり、化粧をしたりする コントだった。

 

最後に師匠の頭を叩くのがオチになっている。

 

叩かれたこと は何回もあるが、師匠をたたくのは初めてである。

 

師匠は「舞台に出たら 師匠も弟子もない、芸人やから思いっきり叩いて来い」と云ってくれた。

 

でも本当に思いっきり叩いたら後で怒られへんかなと心配になった。

 

この番組は生放送なので、やり直しが出来ない。

 

ついにその時間が来た、うどんを食べるコントは手探りでうどんを探す、師匠がもっと右とか左とか 云ってお客さんを笑わす。

 

「うどんには唐辛子を入れないと旨くない」と師匠が云うと、僕が唐辛子を手探りでさがす。

 

唐辛子をうどんにふりかける、 最初は少しいれるが、だんだん調子に乗って最後は全部入れてしまう。

 

そのうどんを無理やり食べさせるというコントだった。

 

これは大爆笑の内に終った。

 

次は化粧をする二人羽織、今度は僕が前で平川師匠が後ろに入って手になった。

 

最初に白粉をつけるのだが、これはベビーパウダーを顔に一杯つけるられた。

 

大福餅みたいになって大爆笑。

 

ベビーパウダーが喉に入り、喋れなくなり咳き込んでいたら、又爆笑。

 

次に眉毛を書く動作をするのだが、習字の筆で太くつながった一本眉毛を書かれて又大爆笑。

 

僕が笑わしているのかなと勘違いしそうだった。

 

それでも人を笑わすと云うものは気持ちが良いもんだ。

 

次は口紅を塗る事になった。

 

真っ白な顔に太い一本線の眉毛、そして今度は真っ赤な口紅を口の倍くらい、べったりと塗られた。

 

これまた大爆笑。

 

最後に師匠が出てきて「キャーお化け」と云って、僕が『お前がやったんやないか』と云って師匠を思いっきりスリッパで殴った。

 

パコーンともの凄い音がした「お前師匠を本気で殴ったな」と師匠が云ったら又、大爆笑。

 

しかし一瞬僕の顔色は青ざめた。

 

今のはツッコミじゃなくて本気で怒っているようだった。

 

楽屋に帰ってすぐ 「師匠すみませんでした、思いっきり叩きすぎました」と云ったら、

『あれでええねん、あれぐらい思いいっきり行かへんかったら受けへんからな、

 

中途半端に来たら痛いだけでぜんぜん受けへん。

 

だから何でも思いっきりやれ』と云ってくれた。

 

普段あれだけ恐かったのに、舞台での事は怒られな かった。

 

これが本当の芸人と云うものかな・・・ 初めてのテレビは師匠のお陰で、大爆笑のデビューだった。

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芸能裏話(37)お好み焼きの鉄板の上で営業

 

四国の徳島で、お好み焼き屋さんの開店祝いの営業が入った。

 

四国に行けるから喜んで仕事に行ったが、これがとても小さな店だった。

 

お好み焼きのテーブルが5つあるだけで、漫才やるスペースなんかどこにもな無かった。

 

もちろんマイクなんてオシャレな物は、有るはずがない。

 

開店祝いなので、花輪の贈り物とお客さんで身動きが取れない状態になっていた。

 

こんな場所でどうすればいいのか、店の人に聞くと『適当にやって!』

 

「このままじゃお客様が見えにくいので、台かなんか置いて貰えませんか?」

 

『じゃお好み焼きのテーブル1つ空けて、そこに板置くからそこでやって』

 

今まで色々な所でやったけど、お好み焼きの鉄板の上でやったのは最初で最後だった。

 

お好み焼きのテーブルは狭くて、二人が上がると一杯一杯で、その上天井が低いので腰を曲げて漫才をやった。

 

しかし、お客さんはお好み焼きを食べるのに一生懸命で、おまけにお好み焼きや焼きソバの焼く音で漫才の声は聞こえないし、熱気と蒸気で僕等の顔は見えなかった。

 

次々とお客さんが入ってくるので、店の人が「漫才もうええわ、早く降りて!そこにお客さん入れるから。

 

その代わり悪いけどこれ運んで」と云われた。

 

2回目の漫才はやらなくて店の手伝いをやらされた。

 

店が終ったのが11時頃で、食事はお好み焼きだった。

 

漫才をやりに来たと云うより遥々四国までバイトに来たみたいだった。

 

長崎屋と云うスーパーでの営業も大変だった。

屋外でスーパーの入り口に舞台があるのだが、この舞台はビールケースに板を置いただけの物だった。

 

それは良いのだが、舞台の前がすぐ道路になっているので、漫才を見るお客さんは5m離れた所からしか見られないので、凄くやりにくかった。

 

大きな声を出さないと聞こえないので、思いっきり大きな声で漫才をやり始めて暫くは良かったのですが、途中で長崎屋の車がバックで入ってきた。

 

オチを云おうとしている時に、前にはお客さんが居なかった。

 

大きなトラックに向かってオチを云っても受けるわけが無い、トラックが通り過ぎたので又、最初からやり直してオチを云おうとした時に、タイミング良くさっきのトラックが出て行った。

 

そんな事が続くので面白いはずが無い、集まっていたお客さんもトラックが通り過ぎる度に一人減り二人減り誰も居なくなった。

 

最後は道路と車に向かって漫才をやっていた。

 

今思えば外国のドタバタ喜劇のようで面白いが、その頃は必死だった。

 

今のお笑いの人はライブのような良い場所でしかやっていないで、逆に可哀想な感じがする。

 

僕等の頃はそんな場所が普通だったので、どうすれば受けるのか、こんな場所で漫才はしんどいので見せる芸とか一瞬芸など色々勉強するようになった。

 

しかし今は、何でも笑ってくれる良いお客さんの前でしかやっていないから、不特定多数のお客さんの前で笑わせる芸人さんが少なくなった。

 

営業を嫌がる芸人さんが多くなった。

 

良いお客さんだけじゃなくいつどこでも笑わせられ人が、本当のお笑い芸人だと思う。若い芸人さんは逃げずにどんどんそう云う場所で勉強して欲しい。


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芸能裏話(36)美空ひばりさんの前座

 

吉本興業に所属していた頃で、一番ビッグなタレントと仕事したのが美空ひばりさんだった。

 

和歌山市民会館で美空ひばりショーの前座だった。

 

第一部がお笑いショー、第2部が美空ひばりショー。

 

と云っても第1部は僕ら(松みのる・杉ゆたか)だけだった。

 

美空ひばりさんの弟さんが不祥事で警察のお世話になって、紅白歌合戦を降ろされた頃だった。

 

その為にテレビから遠ざかっていたので、客入りが悪かった。

 

その為か2、000人位収容の会場で800人位しか入っていなかった。

 

1回目の舞台が13時からなのに、13時なってもまだ来られていなかった。

 

それでも時間が来たので、第1部が始まった。

 

「ひばりさんが入ったらOKの合図出すから、それまで伸ばしてくれと」言われた。

 

漫才をやっていたが30分位経って、もうそろそろオチになるのに誰も合図してくれない。

 

仕方がないので漫才を続けていたが、お客さんも余りにも僕らの漫才が長いので飽きてきた。

 

その為か全然受けなくなってきた。

 

それでも合図がないので漫才を続けていたら、後ろのバンドの人が音合わせを始めた。

 

ただでさえお客さんは飽きて聞いてくれないのに、意地悪のようにドラムの音やトランペットの音が鳴り響く。

 

お客様にしたらもう2部の美空ひばりショーが始まると思い、そわそわして僕等の漫才なんか上の空もっと聞かないようになっている。

 

舞台袖に人が来て、合図を出してくれた。

 

やっと終れると思ったのに、伸ばせの合図だった。

 

普通の舞台は15分が限度なのに、もう45分くらい漫才をしている。

 

さすがのお客さんも、怒り出して『お前らの漫才聞きに来たんちゃうから、早よ美空ひばり出してくれよ』と言って来た。

 

「僕らもやりたくてこんなに長い事やってるのとちがうんです。

 

正直に云います、まだ美空ひばりさんがまだ着いていないんです。」と云うとお客さんも納得してくれた。

 

『そうか、じゃ頑張って』と云ってくれた。

 

「だから美空ひばりさんが来るまで舞台降りらません」と開き直ったらそこから結構うけた。

 

やっとOKの合図が来たのが始まって1時間後くらいだった。

 

今までこんな長い時間漫才やったのは初めてだった。

 

しかし美空ひばりさんは、まだ入っていなかった。

 

それから15分位してから、やっと入ってきました。

 

すぐ支度をするのかと思ったら、お昼まだ食べていないから、と云って食事に出て行ってしまった。

 

さすが大物遅刻しても平然としている。

 

それにマイペースを貫いている。

 

結局僕らが終ってから1時間休憩してやっと始まった。

 

しかし客入りが悪かったので、美空ひばりさんの機嫌も悪かった。

 

『どうしてこんなにお客さんが少ないの、和歌山の後援会はどうしてるの?もう唄わないわよ!2度と和歌山には来ないから』と舞台から後援会の人に怒っていた。

 

すると後援会の人も『申し訳ございません。

 

次は一杯連れて来ますから、唄ってください。

 

皆からもお願いして』すると他のお客様も『お願いします、唄って下さい。』

 

まるで宗教の教粗様にお願いするようだった。

 

1回目の舞台が終わり挨拶をしようと楽屋に行ったら、取り巻き人達が『お前ら何の用だ!』

 

「美空ひばりさんに挨拶に来たんですけど」と云ったら『お前ら美空ひばりさんに挨拶するのは10年早い!』怒られた。

 

一緒に仕事したとは言え、御顔を拝見したのは客席からだった。

 

その日の2回目の舞台、僕らは5分で終った。

 

しかし、美空ひばりさんと仕事が出来たことは、一生の良い思い出になりました。

 

母親が生きていたら、大喜びしてくれたでしょう。

 

何故なら大の美空ひばりフアンでしたから・・・

 

後に息子さんの加藤和也さんの会社で、お笑いを教える事になりました。


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芸能裏話(35)刑務所の慰問

 

刑務所の慰問の仕事が入った。

 

師匠が毎年ボランティアで慰問している仕事 に、僕等も出して貰える事になった。

 

イメージはやくざや凶悪犯が一杯いる、恐い感じだった。

 

場所は神戸の刑務所で、入り口から控え室に入るにも看守さんが付いて来て10m毎に鉄格子がある。

 

そこをいちいち鍵 を開けては次の所に行く。

 

もし悪い事をしたらここに入るのかなと思ったら、ちょっと不安になった。

 

看守さんの話によると、これだけ厳重に鍵をかけても毎年何人かが脱走するそうだ。

 

それをしないように入ってすぐの囚人には、 泣き石と言って重さ10kgの石を持たせ運動場を走らせるそうだ。

 

どんな凶悪犯や組長でもその石を持って走らされたら、大の男も泣くそうです。

 

それでそれを泣き石と言うそうだ。

 

看守さんから受刑者には直接声を掛けない事、シャバは楽しい所だと云わない事、女性のタレントは短いスカートを穿かない事など色々な諸注意があった。

 

ようするに受刑者が真面目に刑に服しているので、余計な事を云って煽らないようにということだった。

 

途中で囚人と出合った、全員大きな声で号令を掛けて行進していた。

 

小学生のように大きく手足を上げて、今から始まる演芸大会の為に体育館に入っていった。

 

それを見ていると凄く複雑な感じになった。

 

僕等は新人なので一番手だった、体育館の中にはもう受刑者がきちんと膝に手を置いて座っていた。

 

全員丸坊主で、恐そうな人ばっかりだった。

 

受けるかどうか緊張で顔が強張っていた、しかし舞台に出ると温かい拍手で迎えられて、漫才を始めたら吉本の花月でやるより受けている。

 

受刑者にしたら年に一度の楽しみにしている行事なのだ。

 

今まで恐い顔で座っていた人が、恵比寿様のような穏やかな顔になっている。

 

稲穂が風に吹かれて大きな波を打つように笑っている。

 

後で師匠に聞いたら、刑務所の中では余り楽しみが無いのでこんな行事は、仕事からも解放されるのでどんな面白くない漫才師でも受けるそうです。

 

僕等の漫才が上手くなったのでは無かったようだ。

 

昔の芸人さんは、自信なくした時に刑務所に行けと云うくらい良く笑ってくれる所なのだ。

 

それでも気分良く舞台を下りてきた。

 

今日は受刑者と同じ昼食が出た、精進料理で肉魚類は無かった。

 

里芋・ニンジン・コンニャク・フキ・厚揚げの 煮物に味噌汁・ごはんは麦飯だった。

 

刑務所の仕事はボランティアなのでギャラは一切出ない、その代わりに表彰状が貰える。

 

この表彰状は人命救助と同じくらい値打ちがあると刑務所の方が言っていた。

 

漫才師をやっていて良かったと思った。

 

なぜなら悪い事をしない限り刑務所の中には入れないし、受刑者があれほど笑うとは思わかった。

 

あの素直な笑い顔を見ていると、最初から悪い人はいないんじゃないかと思った。

 

本当に良い経験をさせて貰った。

 

芸に行き詰まって、受け無くなったらまた来て自信を付けに来よう。
 

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芸能裏話(34)杏里さんとの仕事

 

今ではすっかり有名になってしまったが、当時は無名だった杏里さんと仕事をした。

 

朝日放送のラジオ番組で、夏だけの特番だった。

 

ラサホットホットサマーと云うタイトルで、大阪にラサプールという大きなプールでの公開録音番組だった。

 

僕等がメインの司会で杏里さんがアシスタント。

 

当時彼女はパフュームと云うデオドラントのCMソングを出した頃だった。

 

いくらデビューの頃とは云え彼女に取っては消したい過去の一つではないでしょうか。

 

なぜなら暑い夏の炎天下、水着で日焼けもするしオマケに僕等のアシスタント、その上カラオケで歌まで唄わされていた。

 

扱いも僕等より悪かった。

 

アシスタントだから前説やゲストの紹介、そのほか色んな事をやらされていた。

 

プールサイドで音響も悪くカラオケで唄うなんて、今では到底考えられない事だった。

 

こんなに有名になるんだったら、一緒に写真撮ってサインの一つも貰っとけば良かった。

 

でもこの番組のプロデューサーは先見の目が有るみたいで、無名な頃にタレントをブッキングするのがうまかった。

 

モンタ&ブラザースが無名な時に、向こうから出演させてくれと云って来たそうだ。

 

ギャラもほとんど只同然で契約したそうです。それが僅か半年後に爆発的に売れた。

 

ラサで仕事をする時は人気絶頂の時になって、ラサプールが開業以来最高の動員数になった。

 

 

いつもの収録の時は入れ替えしなかったが、さすがにこの時は入場者が多かったので、入れ替えにした。

 

この日のプールは人の頭で真っ黒だった。

 

他の日もイモ欽トリオのフツオ(長江健二)が、イモ欽トリオに入る前にブッキングした。

 

これも見事に公開録音の頃には、誰もが知っている人気者になっていた。

 

おかげでこの日も超満員だった。

 

高橋真梨子もそうだった、彼女はペトロ&カプリシャスの時に人気があったが、解散してから暫くは活動していなかった。

 

その時にブッキングしたので、今度はダメだろうと思っていたのに、これまたヒット曲が出て満員になった。

 

でも杏里さんの歌はまだヒットせず、そんなゲストを羨ましく見ながらアシスタントをしていた。

 

この番組は毎週日曜日に2本撮りをして、それを4回やって計8週分撮った。

 

公開録音の時は無名だった杏里さんも、テレビのCMがOAになってからは急に人気が上がって、歌のベストテンなどの音楽番組に引っ張りだこになっていた。

 

僕等と一緒に仕事していたのが嘘のようだった。

 

人生っていつ・どこで急に変わるか判らない、この番組をやっていて特にそう思った。

 

ほんの何ヶ月前は無名な人が、何かの拍子で急に有名に成っていった。

 

チャンスはどこに転がっているか分からないから絶対諦めたらあかんと思った。
 

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芸能裏話(33)初めてTV番組の前説

 

テレビの番組が始まる前に、お客さんに番組の内容を説明したり、拍手や笑

 

いの稽古をしたりして、お客様を退屈させずに盛り上げるのが前説である。

 

僕等が初めてやった前説は、梅田花月の吉本新喜劇だった。

 

緞帳(どんちょう)の前で舞台設営が出来るまで、繋がないといけない。

 

緊張と不安でドキドキしながら舞台に出た、案の定拍手も笑いもない寂しいお客さんの反応だった。

 

人気番組なので内容を説明していたら、やっとお客さんも喰い付いて来た。

 

先輩の前説を見ていたので、その真似をしたら結構笑ってくれた。

 

誰にも直接に教えてもらった事が無いのに、自然に頭の中に入っていた。

 

門前の小僧習わぬ教を読むと云う事なのかなと思った。

 

拍手の稽古や笑いの練習も順調に進んだ。

 

もうそろそろ始まるかなとアシスタントデレクターの方を見ると、誰も居ないもうシャベルことがない。

 

どうしよう困ってしまった、仕方がないのでもう一度番組の説明をする事にした。

 

今度は飽きて来たのか、お客さんがザワつき始めた。

 

そこにやっとアシスタントデレクターが来た、やっとこれで終れると思ったら伸ばせのサインが出た。

 

えーもうとっくに15分過ぎているのに、仕方がないのでネタをする事にした。

 

しかし後ろでは舞台の設営する音がうるさい、カンカンとトンカチを打つ音でネタが聞こえない。

 

わざと僕等の漫才を邪魔するかのように、いっそう音が大きくなって来た。

 

それでもネタをやっていたら緞帳が大きく揺れてきた、舞台を緞帳ギリギリまで出しているんだろうけど、お客さんはそっちの方を見るからネタに集中出来ない。

 

一人のお客さんが怒り出した。「お前ら!いつまで喋ってんねん。

 

もうええから新喜劇見せてくれよ」

 

『僕等も早く終りたいわ、しかしアシスタントデレクターがまだ伸ばせのサイン出しているから舞台から降りられへんのじゃ』と心の中で叫びながら漫才を続けた。

 

アシスタントデレクターからカンペが出された。今度こそ終れると思ったのに、

カンペに「岡八郎さんが、まだ入ってないので来るまで伸ばせ」と書かれていた。

 

頭の中が真っ白になってしまった。

 

番組の説明はしたし、拍手の稽古や笑いの練習もした。

 

ネタは余り受けない、これ以上ネタをやったら又、お客さんは怒るだろう。

 

このまま黙って帰りたかった。でもそれは出来ないのでネタを続けた。

 

やっとお客さんが笑ってくれるようになって来た。

 

あと少しでオチという所で、アシスタントデレクターから巻き(早く終れ)のサインが出た。

 

オチまでやりたかった。

 

小便を途中で止められたような後味の悪いすっきりとしない前説だった。

 

でも良い勉強になった。

 

漫才のネタは筋があるから、ある程度聞いてもらわない面白くない。

 

でも前説の時は後何分やらないといけないかが、ハッキリしない時の為にショートコントとか一発芸なんかがいいと思う。

 

いかに臨機応変に対処しなくてはいけないかと云う事分かった。

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芸能裏話(32)漫才がウケない・・・笑わすことの難しさ

 

京都花月の無残な初舞台はすごく落ちこんだ。

 

しかし相方のゆたやん(落ゆたかの愛称)はケロットしている。

 

いい性格と云えばそれまでだが、僕としてはどこが悪かったか、

 

どうすればお客様に笑って貰えるか反省したいのだが、舞台が終わったらすぐ帰ってしまう。

 

元サラリーマンだったから、そのなごりが抜けないようだ。

 

新人の時と云うのは、最悪の条件で舞台に上がらされる。

 

それと言うのは、1回目の舞台は12時から開演する。

 

お客さんの殆どは団体さんである、地方から朝早く観光バスで何時間もかけてやって来る。

 

花月に着くのが12時前、僕等の舞台が12時から、調度お昼の弁当の時間になる。

 

「はいどうも、みのる・ゆたかです」と元気よく舞台に出ても、誰も見てくれないし、聞いてもくれない。

 

幹事さんが僕等目の前で「弁当貰ってない人、お茶が行き渡ってない人は手を上げて下さい」と大声で叫んでいる。

 

それが終ったら、全員が弁当を食べ始める。

 

弁当の包みを外す音も500人位が一斉にやれば凄い音になる。

 

ガサガサガサ、バリバリバリ、次に割り箸を割る音も500人がやれば、バチバチバチ、雷が落ちるかのような音がする。

 

いくら大きな声で漫才やっても、その音に掻き消されてしまう。

 

食欲には勝てない、10分位してやっと弁当を食べ終えて、これから静かになるのかと思っていたら、

 

弁当の割り箸を折って後始末をする音がまた凄い、ボキ、ボキ、ガシャ、ガシャ、再び幹事さんが僕等の漫才を無視して、

 

「弁当の終った人はナイロン袋に入れて、帰りに私の所まで持ってきて下さい。

 

弁当やゴミをほったらかしにしない様にマナーを守って楽しくご歓談下さい。」

 

お前が一番マナー守ってないやないかい!!

 

一生懸命漫才やってるのに、こんな状態だったら誰がやっても受けない。

 

それなのに支配人やマネジャーは「お前ら全然受けへんな、これじゃ次の舞台は無いな」ときつく怒られた。

 

トップに出る者の宿命とはいえ、12時から12時15分の僕等の舞台はお客様の昼食の時間なのだ、僕等の事は、絶対覚えてないだろう。

 

新人の頃はこう云う悪循環が繰り返される。せめて弁当の時間じゃない所に出たい。

 

2回目の舞台も条件が悪い、1回目の最後が吉本新喜劇である。

 

テレビに出ている人気者が舞台で大暴れする、大爆笑の後2回目の開演になる。

 

大爆笑の余韻と入れ替えのお客さんで客席はごった返している。

 

そこに僕等が出て行く、お客さんは「誰やこいつら、こんな奴どうせオモロないんやろ」と言う目で見ている。

 

大阪のお客さんは暖かい目で見てあげようと云う気持ちは全然ない。

 

面白くなかったら「おもんないぞ、もうええから、帰ってええぞ、早く、やすきよ出せ」とはっきり云う。

 

だから東京の芸人さんが、大阪の舞台に出るのが恐いと云うのが分かるような気がする。

 

大阪の場合は笑わなかったら芸人が面白くないから。東京の場合は笑わないのは客が悪いからと云う考えである。

 

大阪は面白い者のが人気者になるが、東京は上手い人が人気者になる。

 

笑いは難しい。笑わす方が余裕がないのに、笑って貰えるはずがない。

 

やっぱり、経験がものを言う。

 

とりあえず舞台数を増やさないと・・・

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芸能裏話(31) 吉本京都花月漫才初舞台

 

初舞台は、1977年7月京都花月だった。

 

この日の為に3年間辛抱したのだった。

 

相方は3人目のあのドンくさかった落合君だ。

 

彼は根っからのボケで性格も穏やかで、僕の云う事を素直に聞いてくれる良い相方でした。

 

師匠が芸名を付けてくれた。

 

僕の本名が松下信幸なので、松を取って松みのる、相方は落合豊の落とゆたかを取って落ゆたか。

 

松みのる・落ゆたかで初舞台を踏んだ。

 

二人でネタを作って毎日稽古を積んで、挑んだ初舞台、12時調度の出番は一番手なので客もまばらだった。

 

緊張はピークになっていた、出囃子が鳴った。

 

いつもは客席から見ていたのに、今度は自分が舞台に立ち見られる立場なった。

 

やっと芸人になれたのかな、ちょっと誇らしい気持ちになった。

 

前日は緊張で余り眠れなかった。

 

マイクの前に立って喋り始めた、「はいどうも松みのるです」『落ゆたかです』までは覚えているがネタの内容は忘れた。

 

お客さんはクスッとも笑わなかった。

 

その日、平川師匠が僕等の舞台を客席の一番後ろで、見ていてくれたのだった。

 

師匠が見ていると僕等が緊張すると思って内緒で見てくれたのでした。

 

それも帽子を深く被っていた。

 

しかしお客さんが少なかったのですぐわかった。

 

やっぱり弟子は可愛いのかな、師匠の出番が3時30分なのに僕等の初舞台を見る為に早く来てくれたのだ。

 

今まで只恐く、奴隷のようにこき使って、僕等の事など何も心配してくれてないと思っていただけにこの時だけは、胸ジーンとが熱くなった。

 

15分の舞台が1時間位に思えた。

 

何を云っても受けない、焦れば焦るほど泥沼に入ってしまった。

 

師匠が見ていたのに楽屋に帰るのが恐かった。

 

師匠の楽屋に挨拶に行った、「お先に勉強させて頂きました」師匠は見ていなかったのように何も云わなかった。

 

何も云われなかったのが、余計に不気味だった。

 

師匠の舞台が終ってから「お前ら飯喰いに行こか」と云われた。

 

あっ怒られる、覚悟して着いて行ったら「初舞台って受けへんやろ、わしらもそうやった、最初から受けるんやったら誰でもする。

 

お前のネタは只、台本どうり喋ってるだけや!息と間が悪い。

 

それには舞台数や舞台踏んで恥じ掻いて、体で覚えて行け!しかし、今日の気持は一生忘れたらあかんで」と云って祝儀までくれた。

 

今まではどちらかと云えば嫌いだった師匠が好きになった。

 

辛抱して来て良かった。3年間の苦労がいっぺんに吹っ飛んだ。

 

僕等の事を試していたのかな、でも今思えば苦労してきて良かったと思う。

 

舞台と云うのは戦場と一緒なのだ、二人以外は敵なのだ。

 

その敵に立ち向かうだけの力をつける為に、僕等を鍛えてくれたのだ。

 

今のお笑いを目指す人達は、弟子に付いていないから人間的に精神的にも弱いと思う。

 

受けなかったら客のせいにしている、すぐ解散したり、辞めたりしてポリシーがない。

 

お笑いを簡単に考え過ぎている、お笑いライブのネタ見せに来るのに2・3回しか練習していない人がザラにいる。

 

お笑いが好きだと云ってるのに実際にお笑いライブを見た事がない。

 

オリンピックの選手になろうと思っている人は、毎日朝から晩までずっと練習して頑張っている。

 

お笑いも一緒で毎日練習すれば絶対に上手くなる。

 

お笑いは泣いた数が多い人は面白い人になれる。

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