
松稔の芸能裏話(67) 悪い時には悪い事が重なる
毎週ライブを開催していると、ファンも増えてきた。
当時お笑いライブを開催しているのは、見番寄席とコント赤信号の渡辺正行氏がやっている、新人コント大会だけだった。
その二つのライブには出して貰っていた、そこからのお客さんも来てくれる様になったので、毎回超満員になってきた。
と云っても100人入ったら身動き出来なくなる、小さなスペースだったのだけど、噂を聞きつけたテレビ局から取材を受けた。
そのお陰で今まで相手にしてくれなかった、テレビの仕事も入ってくるようになった。
それはテレ朝のテレビ演芸だった。横山やすし師匠と故堀江しのぶさんが、司会していた番組で、お笑いスター誕生とはライバル番組だった。
皮肉なもので、お笑いスター誕生がやっていたら絶対出れなかったのに、テレビから干されて初めてお呼びが掛ったのが、この番組だった。
やすし師匠とは久しぶりだった。
ネタの出来がよかったので、番組中でえらく誉めてくれた。
やすし師匠は礼儀には特に厳しい人で、ダウンタウンが初めてテレビ演芸に出たとき、
スーツじゃなく普段着のような格好で、ダラダラと漫才をやっていた。
その時は腹が立っていたが、注意だけだった。
その後、秀祐・祐介と云う若手コンビが同じような格好で漫才をしていた。
今度ばかりは腹の虫は収まらず、漫才が終わるやいなや、舞台袖で怒られていた。
「お前ら何回注意したらわかんねん!」舞台では次の阪神・巨人の漫才が始まっていた。
やすし師匠の怒鳴る声が、客席まで響き渡った。
それだけではなく、今度は秀祐・祐介を殴る音まで聞こえていた。
お客さん引いてしまって、流石の阪神・巨人の漫才が受けなかった。
後で聞いた話では、秀祐・祐介はダウンタウンと間違って殴られたらしい。
エンディングのとき鼻血が出ていたそうです。
その次出して貰ったテレビはNHKの、笑いがいちばんだった。
NHKのプロデューサーに聞いた、「前の事務所から何か云って来ていませんか」
すると『ああ云っていたな、でも内は面白い人はそんな事関係なく出します』 と云ってくれた。
テレ朝のプロデューサーにも聞いたら『君達は面白いと云う評判があって、出してくれと云うファンレターも来ていたから』
『某事務所さんだけと仕事をしているのじゃないからね』と云ってくれた。
NTVとTBSとフジTVから仕事は相変わらず無かったが、
営業も増えてきて毎日が充実してきた。
そんなある日TVを見ていると、天皇陛下の病気の様態が悪いと云うニュースが入った。
それから世の中自粛ムードが高まってきた。
そうなるとTVからお笑い番組やバラエティが無くなりだした。
当然イベントや祭りも自粛ムードで、決まっていた営業も次々と無くなってきた。
こんな時、めでたいことは悪い事のようになっていた。
僕等の名前も松竹梅と云うめでたい名前なので、どんどん仕事が無くなった。
この時期にデビューした祭小春と云う歌手も仕事がなく、歌を唄わせてもらえなかったそうです。
数少ない営業も隠れてするような感じだった。
ある神社の秋祭りで、屋外だったのだが、大きな声でネタをやらないように、
松竹梅と云う名前を出さないようにと、いかにも悪い事をしているようで後味が悪かった。
本当に毎日が曇り空のような暗い日々が続いた。
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