年も明けて早1ヶ月、明日から2月に入ります。2月いっぱいで私は仕事を辞めることになりました。
3月始めは、無職をエンジョイするべく遊びに行ったり友人と飲みに行ったりしようと思います。
あんまり金が無いのでどのくらい実現するかわかりませんが…。
半ば頃には東京を去り、実家へ移り住みます。
実家といっても、家も家族構成も私が親の扶養に入っていた頃とは全く変わっているので、あんまり実家感は湧きません。
家は祖父母の家で、家族構成も父、奥さん、要介護人の祖母、たまに来る伯父、みたいな感じになってるようです。私は千葉に住んだことがないので、日蓮正宗の人間以外の知り合いもいません。
気持ち的には、親戚の家に居候するような気分です。
そんな引っ越しなので正直少しナイーブにもなっているのですが、私が心配しているのにはもうひとつ理由があります。
以前もちょろっと書きましたが、父の奥さんはスピリチュアルカウンセラーです。【魂鑑定士】というやつだそうです。
最近その奥さんのブログを見つけまして、読んでみました。
その結果、余計不安が募ってしまいまして…。
「読まなきゃいーじゃん」と言われそうですが、不安になるとわかってても読んじゃうんですよね、つい気になって😓
ていうか、知らないで飛び込む方がよっぽど不安なので読んで不安になる方がマシですね。
いや、いいんですよ。考え方は人それぞれなんだから。
私はスピリチュアルが嫌いで、奥さんはスピリチュアルを生業としている。それはいいんですよ。強要さえしてこないでくれれば。
ただ一緒に生活する以上、日常の中で「神様」とか「魂」とかいう言語が飛び交ったり、物にやたら話しかけたりする様子を見るでしょうから、慣れるまでが大変だなぁと…💧
ブログの感じだと夫婦間ではそういう会話も多そうなので、それが自分のところにまで向かってくるんじゃないかという心配があります。
そもそもなぜ私がスピリチュアルが嫌いかというと、(これも前に書いたかもしれませんが)無いものを「ある」と言うことに気持ち悪さ、不気味さを感じるからです。
目に見えないもの、触れられないもの、地獄、天国、輪廻転生、魂、神様の類の存在を誰も証明できない。
そんな、いるかいないかもわからない存在が不確かなものに主軸を置いて、現実の人間関係や人生、善悪、過去や未来なんかを語り出したらキリがないじゃないですか。
なんでもアリになっちゃうと思うんです。
ある問題についての原因を、作者(この場合、教祖や占い師等)が好きなように創作できてしまう。
日蓮正宗にいた頃は、その創作を信じ込んだ人間が作者によっていいようにコントロールされる様も見てきました。
だから私はスピリチュアルが嫌いです。
スピリチュアルに限らず、宗教でもそういう点が嫌いです。
とはいえ、まぁ奥さんは普通に良い人だし、もしかしたら彼女には本当に神様の声が聴こえてるのかもしれませんから、これまでは奥さんがスピリチュアル的な発言をしてもスルーしてきました。
でも一緒に暮らすとなるとその自制がどのくらいまで我慢できるだろう、日常の中でどのくらいそういう話をされるのだろうと考えたとき、不安になってしまいました。
やっぱりスピリチュアル的なことを言われると眉をひそめてしまいます。
私の中では基本的に、無いものを「ある」と言う人は危険人物にカテゴライズされているので(それもどうなんだろうな…笑)、どうしても不信感が募ります。
奥さんは鑑定の仕事で収入を得ていて、今後私もその恩恵を受けることになりますからあんまり否定的なことも言える立場ではないのですが…。
まぁ、嫌なもんはしょうがないので、時が来たら最低限話すことは話してみて、うまいこと折り合いをつけていくしかないですかね。