聖なる夜、クリスマス。
恋人とイチャイチャしたり、友達とクリスマスパーティーをしたり、家族でチキンやケーキを食べたり、そういう他人の幸せに耐え切れず自殺者が出たり。
みんなそれぞれ過ごすかと思います。
キリスト教を邪教扱いしたりする宗教や、祝い事自体を良しとしない宗教の二世は、この日は肩身の狭い思いをしますよね。
我が家はまだ緩い方だったと思います。
小学校中学年くらいまではサンタが来ました。
「メリークリスマス」と言うことは禁止されましたが、【クリスマス】じゃなくて【ケーキとチキンの日】という名目で、ケーキもチキンも食べれました。
多分母親がケーキとチキンを食べたがったことが大きいんじゃないかと思います。食い意地はってるから(笑)
でも世の中には、サンタも来なけりゃケーキもチキンもない、そんな子たちもいます。
高校3年の12月24日。
この日は学校の終業式で、翌日からは冬休みを控えていました。
終業式といえば、校長だの生活指導の先生だのが冬休みの過ごし方についてダラダラ喋って終わるのですが、この日はちょっと違いました。
校長や生活指導の先生が話し終わって袖に引っ込むと、50代くらいの女性の英語教師が舞台に出てきて、なにやら英語で話し始めました。
私は英語ダメダメだったので最初は全然意味がわからなかったんですが、今でも印象に残っている言葉があります。
「No present. No Chicken. No Cake. No X’mas.
Because we’re Buddhist. 」
これは、その先生が子供の頃に「なんでうちにはクリスマスがないの?」というようなことを言った時に、お父さんから言われた言葉だそうです。(もちろん、お父さんは日本語で言ってます)
いくら英語が苦手な私でも、流石にこんだけ簡単な英文はわかりました(笑)
ここだけははっきり覚えてます。
初めて同じような境遇の人間を見つけた瞬間でした。
先生のその言葉にショックを受けて、親に対する悔しさや周りの人間に対する劣等感が込み上げてきて、ちょっと泣きました。
少し離れたところにいた社会科の先生がじっと私の方を見てきたので、泣いているのを必死で隠しました。
泣くのをこらえるのと隠すことに必死だったので、その後先生がどんな話をしていたのかほとんど覚えていません。
(うっすらとした記憶ですが、「クリスマスではしゃぐのも結構だが、世の中にはそういう宗教上の事情を抱えた人もいるんだよ」というようなことを言っていたような気もします。)
それが今となっては本当に心残りです。
あの時先生が何を言っていたのか知りたい。
集会が終わったあと先生に話しかけようとしましたが、直接関わったことのない先生だったので結局話しかけられませんでした。
話しかければよかったなと今でも後悔しています。
あの話を真面目に聞いていた生徒が、一体どのくらい居たのでしょうか。
これを読んでる高校時代の友人の中で、あの話を覚えてる人は居るのでしょうか。
あの二世の話は、誰の印象にも残らなかったのでしょうか。
もしそうだとしたら、とても悲しいし悔しいです。