何の宗教でもそうですが、特定の信仰を持つ家は、少し特殊な生活を送っていることがあります。



日蓮正宗では、朝晩に読経の時間があり「勤行」(ごんぎょう)といいます。朝は40分、夜は30分正座して読経します。

無論、私も父と毎日行っていました。

母は勤行に参加することはあまりありませんでした。たまぁに気が向いた時にやる程度。

父は母にも毎日やってほしそうでしたが、私に「お母さんにもやって欲しいんだけどね」と愚痴るくらいで、母本人に口を出すことは稀。
私は母だけ逃げられることを少し妬んでいました。



昔からよく友達に「なんでそんなに早起きなの?」と不思議がられ「準備が遅いの」って誤魔化してましたが、本当はこの勤行があるから父に毎朝起こされていただけです。

私は面倒くさがりな上に眠たがりなのでこの勤行も嫌でした。
他の子はしなくていいのになんで自分はしなきゃいけないんだろう、と。

父が仕事でいない日はサボってましたが、ロウソクの減り具合や線香の灰の量でバレてたらしく、よく怒られました。

日常的に線香を焚いているので、友達に「いつも線香の匂いがするよね」と言われると内心ドキドキしました。




朝晩の読経だけでなく、もっと細かいことにもちょっとした作法があります。

ご飯を食べる時、いただきますを言う前に題目三唱唱えます。

ごちそうさまの前にも題目三唱唱えます。

ご飯を炊いたら真っ先に仏壇にお供えして題目三唱唱えます。

家を出る前に題目三唱、帰ってきたら題目三唱。

とにかく何かにつけて「南無妙法蓮華経」と唱えます。
もうえーわ!ってかんじです。




日蓮正宗のように一神教、つまり1つの神・仏を信仰する宗教は排他的です。

他の信仰を一切認めません。

故に、ちょっとしたところで行動に規制をかけられることがあります。

こっからが二世信者あるある話かもしれませんが、クリスマスとか七夕とかを駄目だと言われます。

日蓮正宗にとって、他の宗教は全て邪教であり世の中の諸悪の根源なのです。

 よく小学生がランドセルにぶら下げてるような御守りも、持っていることは謗法になり、地獄に落ちちゃうのです。

神社のお祭りに行くのも多分駄目なのですが、父も流石にそこまでは言わず、私は友達と普通にお祭りに行けましたし、小さい頃は家族でお祭りに行ったこともあったと思います。

今思えば父なりの優しさだったのかもしれません。

当時は信仰に熱心な父でも、子供の頃はやっぱり嫌だったみたいなので。

ただまぁ、鳥居をくぐらないこと、神社の境内でしゃがんだり靴紐を結んだりしないこと(頭を下げることになるため)が条件でしたが。



クリスマスも、「ケーキの日」ということでケーキとチキンを食べることが許されていました。小さい頃はサンタさんも来ました。

「メリークリスマス」って言ったら怒られましたけど(^_^;)






困ったのは中学の修学旅行です。
定番の京都・奈良でした。

仏閣巡りに関しては「学校行事だし、歴史的建築物を見ること自体はいいと思う」と言う意見で父は特に反対しませんでしたが、問題だったのは班の自由行動。

班のグループで何かしらの体験教室みたいなのをやることになっていたのですが、うちの班は「数珠作り」に興味津々(笑)

「私これ親に怒られるから他のにしない?」と言っても「なんで怒られるの?」という具合で、私以外は満場一致で晴れて数珠作り体験に決まってしまいました。
オー、ジーザス!!


父親に言ったところ「石に魔の力が宿ってるから絶対駄目だ」とのこと。でも決まっちゃったしなぁ…。

事情を説明しても絶対理解できないだろうし、みんなとても楽しみにしていたので結局数珠作り体験をしました。

私も私で、「数珠なんか作ったら不幸になるかも…」という意識があったので、超居心地が悪く、適当に玉を紐に通して1人さっさと完成させてしまい、のんびり作ってる友人らに対して「早く終われ〜(;▽;)」と思っていました。

他のみんなはアクセサリーでも作るかの如く和気あいあいと楽しそうでした。

まぁ、それが普通ですよね。

くだらない価値観がないから純粋に楽しめていることが羨ましかったです。

作った数珠は持って帰るわけには行かないので、旅行に同行していた美術の先生に事情を話してあげました。


後日、先生は私に「これなら大丈夫でしょ?」と言ってストラップをくれました。

先生はその数珠を一度バラして、小さいプーさんやティガーなどの人形も添えてオリジナルのストラップにしてくれたのです。


びっくりしました。
ものすごく嬉しかったです。

この時の先生の気遣いを私は一生忘れないと思います。




ちなみに、その数珠作り体験の夜、同じ班の仲の良い女の子3人には「実は、家で宗教やってるからこんなもの持って帰ったら親に怒られちゃう」というような話をしました。

毎日読経しなきゃいけないと言ったら「なんか、怖いね」と言われちゃいました。

日本人あるあるなのか、宗教っていうとなんとなくみんなオウムとかを連想するみたいですね。

薄々わかっちゃいたけど、やっぱりその感覚が一般的なんですよね。

でもそんな話を聞いてもその後もいつも通り仲良くしてくれたことがありがたかったです。

二世信者の方の中には宗教が原因で友達が離れていくみたいな話も聞いたことありますが、私は幸いなことにいつの時代も友達には恵まれました。




高校の修学旅行でも寺だか神社に行ったり、長崎だったので教会にも行きました。

みんなお賽銭投げたり、あのぶっとい縄を揺らしてカラカラ鳴らすやつをやってましたが、私は気持ちが悪くて、友達に付き添うだけで手は合わせられませんでした。




他宗の神に手を合わせることに、二十歳を超えた今でも強い抵抗感があります。
(日蓮正宗の御本尊に関しては、手を合わせたくないどころか二度とお目にかかりたくないですがね)

手を合わせたからって不幸になったりしないことを頭ではわかっているのですが、どうしても悪いことをしているような気分になります。


今年は初めて神社で初詣に行ってみたのですが、作法も全くわからないし、一瞬だけ両手を合わせながらお辞儀してさっさとその場を離れてしまいました。

参拝してる人たちは子供でも作法を知ってるような感じだったんですけど、あれみんな知ってるものなんですか?

「え?!あんな子供でもそれっぽいことしてる!!」ってびっくりしました(°_°)


そして初めて手を合わせてみてわかったのですが、やっぱり気分の良いものではありませんでした。

自分で思ってた以上に「邪なもの」という意識が強かったみたいです。



相変わらず、つまらない価値観に囚われていない人たちが羨ましいです。

宗教で覚えたことといえば、人を妬むことばっかりな気がします。

その自由さ気楽さが心底羨ましい。


とりあえず、私の中のつまんない価値観の意識が和らぐまでは諦めることにします。

この夏はその神社の夏祭りに行ってチョコバナナでも食べようかな。