父はよく、家で暴れては私に暴力を振るっていました。

いつからかは覚えていません。

母親から聞いた話では

「テレビを見て笑ってた赤ん坊のあんたに『お前も俺のこと馬鹿にしてるのか!』って突然キレて殴ろうとして、私が庇って殴られたことがあった」

ということらしいので物心つく前からだったんだと思います。



父はとにかく感情の起伏が激しかった。



機嫌の良い時は談笑もするし、キャッチボールしたりプロレスごっこをしたり相撲とったりして遊んでもらってました。

でも機嫌が悪い時、仕事で嫌なことがあった時、そして信仰にそぐわないことや何か間違えた時は物凄い剣幕で怒り狂っていました。
 



機嫌が悪い時は、ご飯中に私がうっかりご飯をこぼしてしまうと、「お前はぁ!!」と言って突然キレて食べていたご飯をひっくり返し、私の髪の毛を引っ掴んで仏間へ連れて行き、何やら怒鳴りながら執拗に叩き、痛みと恐怖で畳の上に転がってうずくまる私の腹を蹴り頭を踏みつけ、訳がわからなかったです。


「殺してやろうか」などと言われながら首を絞められたり、浴槽に顔を突っ込まれたりもしました。


騒ぎがおっぱじまると、母親も「ちょっとやめてよ!」と叫んで父を止めようとしますが、大抵いつも止めきれません。
しょうがないから私はされるがまま、頭を抱えて身体を丸めて縮こまり、泣きながら嵐が去るのを待ちます。




子供ながらに「これは世に言う虐待というやつじゃないのか?」と常々思ったものです。

でも周りの大人が助けてくれたことはありません。

「(アパートだったので)お隣さんにまで騒ぎは聞こえてるはずだよな…」

「お母さんは、お爺ちゃんお婆ちゃんに自分の息子が家で暴れていることを相談していないのだろうか…」

ずっと不思議に思っていました。
でもやっぱり誰も助けてくれないので、どこの家でもこんなもんなのかな、虐待っていうほど大袈裟なものじゃないのかなと考えるようにしました。




中学生になって知る話ですが、母は父方の祖父母に、父が家で暴れることについて「あなたの息子は一体どうなってるんだ!」的なことを物申した事があったようです。


その時の祖父の答えが

「信心していれば必ず良くなる!信心が足りていないからそうなるんだ!」

というもの。

隣の祖母もウンウンと頷いていたとか。

話の中で祖父は突然キレて祖母を殴りかかろうとして、周りにいたみんなで止めたそうです。

信心が足りてなかったんですかね(笑)



どうも父方の家の男はみんな突然キレる性質の人達だったみたいです。

私はこの話を聞いて祖父が大嫌いになり、以後死ぬまで自分から口を聞くことはありませんでした。




誰も助けてくれないから、私は父親を殺すことを考えるようになります。
お父さんが居なくなれば、自分とお母さんで自由になれる、幸せになれるかもしれないと思いました。

嵐が過ぎたら、少しでも動くとまた叩かれる気がして畳の上に転がったままなるべく動かないように、なるべく息をしないようにし、父の背中にナイフを刺す妄想をしていました。いっつもナイフです。他に殺し方がわかんなかったんですよね(・・;)



でも、こんな父でも死ぬのを考えるのは少し悲しかった。

それに、人を殺したら刑務所に入れられちゃう、殺したはいいけどその後どうやって生きていけばいいんだろうと考えると、やっぱり実行はできませんでした。


だんだん成長すると、自分がちょっとナイフで突き刺したぐらいじゃ死なないんじゃないかということがわかるようになり、妄想の中でナイフを突き刺しても激昂した父に逆に私が刺し殺されるようになったので、ひとまず父を殺すことは諦めます。

それでも、いざとなったらやるしかないと、漠然と考えていました。





暴力を受けるのはいつも仏間でした。

仏様の目の前で殴られているのに、仏様は助けてくれません。止めてくれません。

これが多分、私が宗教を信じなかった理由です。

この世に神も仏もないと悟り、自分を苦しめるだけ苦しめて助けてくれない、くだらない信仰を信じてやまない大人たちを心底馬鹿にしました。
どいつもこいつもみんな死ねばいい、と。



この父の暴力は、私が成長するにつれ少しづつ減っていったように思います。
まぁ、私が怒られることをしないようになったからだろうけど(-_-;)

中学2年の頃くらいに父は鬱になり、鬱になるのと入れ替わりに暴力は無くなりました。

高校生の時に「鬱になってから私を叩いたりしなくなったよね」って言ったら、「叩く元気もなかったもんなぁ…」と言われ、内心「は?いらねーよそんな元気」って思ったな(ー ー;)





自分で書いててなんだけど、これ絶対子供の精神衛生上良くないよな…(笑)





そんなこんなで私は父を敵とみなし、母とはいつも意見が合うので仲良しでした。

でも母も自身の音楽活動で家にいないことが度々あり、その時は家で父と2人きりなので本当に誰も止めてくれません。

また、母は母で、私が寝た後に父と口論になった時に「言っとくけどこれね、あの子も言ってたからね」と言って自分の正当性を主張することがありました。

当然何も知らない私は、意味もわからず数日間父に無視されたり、「母さんから聞いてるんだからな」と凄まれることがあり、母親にまで裏切られたような気分になりました。





私は、子供の頃の自分が嫌いです。

転じて子供という存在が嫌いです。


親がいないと何もできない子供が可哀想で嫌いです。

親がいないと生きていけない子供という存在が哀れな生き物に感じます。


親に冷たくされている子供を見ると「あーあ、生まれて来なければよかったのにね」と思います。

一応自分でも、子供を見るたび自分に当てはめて考え過ぎなのは自覚してます。

でも道端とかで叱られている子供を見ると、反射的に自分の子供時代を思い出してしまう。



叩かれながらいつも
「なんでこの人たちは子供なんて作ったんだろう」
「そんなに憎いなら早く殺せばいいのに」
「生まれてこなければよかったな」
と思っていました。




今はその頃に比べれば随分気楽に生きていますが、未だに「生まれてきてよかった」と思ったことはありません。

生まれずに済んだんならそっちの方がよかったなって思います。


でも、ここ1年半くらいで周りの人間関係に少し変化があり、ていうか早い話彼氏ができまして(笑)
彼が原始仏教に詳しいのもあり私の話をいろいろ聞いてもらったりしていたら、ある程度気持ちが楽になって、少しずついい方向に向かっていってる気がするのが今のところ希望です。