どこの宗教にも集会的なものがありますが、日蓮正宗にも月に1回集会がありました。


日蓮正宗は、団体として信者を募るというよりかは末寺単位で信者を募っているようです。なので母も私も、父が所属していた千葉の寺に所属し、毎月第2日曜日に行われる「御講」という集会のためにわざわざ2時間近くかけて千葉まで通ってました。

(ちなみに、引っ越しがきっかけで所属する寺を変えることは難しいみたいです。うちの父親は、経済的な理由で近所の寺に変えたいと御住職に相談したところ拒否られたことがきっかけで、信仰から離れました)



御講の日は、寺に所属している信者が集まり、みんなで唱題(南無妙法蓮華経を永遠読み上げる)を30分し、御住職のありがた〜いお話を聞きます。

基本ずっと正座です。
足が悪い人や幼い子供は足を崩しますが、御住職が「どうぞ崩してください」とでも言わない限り律儀に正座の人が大半です。


私にとって1番古い記憶は、この御講の記憶です。
歳は覚えてないですが、だいたいいつも唱題聞いてるうちに眠くなって母親に抱っこされながら寝てました。
幼稚園くらいまでは、御講中は退屈だから狸寝入りこくか本当に寝るかで済みましたね。

訳の分からない言葉を永遠に唱え続ける大人たち
訳の分からないお話をしている御住職
足の痺れ
眠気

ひたすら退屈で、「早く終わんないかなぁ」といつも思ってました。

物心ついた頃から【宗教=面倒】という感覚でした。
子供はだいたいそうだったと思います。大抵の子はどの子もぐずったり寝ちゃったりしてましたから。

御講が終わると、一部の熱心な人たちは集まって勉強会みたいなことをしていました。

日蓮正宗には「御書」と呼ばれる分厚くてめっちゃ重い本があります。
日蓮が鎌倉幕府とか弟子とかに宛てた手紙の内容をまとめたものだったと思いますが、違ってたらスイマセン。
キリスト教でいう聖書みたいなもんでしょう。

その御書の中身を勉強したり、「どうしたらうまく折伏できるか」ということを話し合ったりしてたと思います。
私も数回出席したことがあったのですが、まぁ興味なかったのであんまよく覚えてないですσ(^_^;)




また、第1日曜には唱題会というものがあり、なんと1時間も正座しっぱなしでひたすら南無妙法蓮華経を唱え続けます!(笑)

これが嫌だった〜!!

足くっそ痛いし声も枯れるし、誰がこんな苦行考えたんだチクショーと思ってましたね。

やってみ、マジで。超苦痛だから。



途中眠くなって睡魔との闘いに入ったり、トイレ行きたいって言って5分くらいはトイレに逃げたり、声が出ない演技して水飲みたいって言ってまた逃げたり、あとは退屈で退屈でしょうがないから考え事したり空想したり、なんとか時間を潰すことだけ考えてました。

唱題会には基本的に熱心な信者さんしか来ていないので、御講よりかは人が少ないです。およそ3分の1くらいの人が来てたと思います。

唱題会が終わると、いよいよ班に分かれて地域のお宅を訪問し、折伏に勤しみます。

この唱題会には私も小学校高学年くらいから中学3年くらいまで参加していたので、私も父と班の人たちに連れられて参加していました。


周る家には3種類あります。

過去に日蓮正宗の信徒団体だったけど今は分裂してしまった創価学会のお家。これは某政党のポスターや新聞受けに入っている聖なる教えの新聞で見分けが付きます。

幽霊信徒と化している人のお家。

その他のお家です。




訪問自体は実を言うとそんなに嫌いではなかったですね。たまに父がおやつを買ってくれるし、ごくたまに訪問先でもお菓子をもらえましたし。

面白いのは創価学会のお家を周る時です。

いい大人同士が玄関先で激しく口論になり、時には罵られたり怒鳴られたり、はっきり言って滑稽でした。

「アホなことしてんなこの人ら」っていう気持ちで見てました。

電車の中でおっさん同士が喧嘩してるのを、なんとなく興味本位で見てしまう感じに近いかもしれません。


まぁ毎回必ず口論になるわけではありません。大抵のお家で「結構です。聞きたくありません。」とインターホン越しに言われて終わりです。



それでよく訪問するのが嫌にならないなぁと思う人もいるでしょう。
普通、訪問の度に断られたり罵声を浴びせられたら気が滅入るだろう、と。

折伏に関して、お寺ではこう言われます。




「折伏しようとして断られたとしても、この教えに出会えたことで相手は功徳を得られる」

「折伏していて相手が嫌がるのは魔の働きによるもので、この魔を追い払い、正しい教えに導くことで相手を救い、あなた達自身の功徳となるのです。」




ハイ出ました「功徳」。
なんじゃそりゃと思うでしょう。

功徳(くどく)というのは…なんだろ…幸せ貯金みたいなものですかね?

真面目に信仰し、頑張って折伏すると功徳を積むことができて成仏できるとか。

功徳を受けられないと成仏はできなくて、頑張って頑張って功徳を積み続ければ、過去の謗法は消え、成仏できる。みたいな。




キリスト教では入信しただけで救われるって聞いたことがあるのですが、日蓮正宗は入信してちょっと折伏したくらいでは簡単に救われるわけではないのです。

真面目に信仰し、教えを広めることをコツコツコツコツ続けることで、やっと過去の謗法が消えて幸せになり、死んだ後も成仏できるというものです。


ちなみに謗法(ほうぼう)っていうのは信仰に背いたりすることですね。
謗法を犯すと悪い事が怒ったり、最悪地獄に堕ちるらしいですよ。
あと餓鬼道、畜生道に堕ちるとかも言われてました。



う〜ん、伝わってるかなぁ(笑)
私は子供の頃から叩き込まれてるからニュアンスでわかるんですが、これを普通の人が読んでどこまで伝わるのか正直わからない(笑)



日蓮正宗には「妥協」の文字はありません。
教えを貫くことを良しとします。
正しい教えを広めることで、世の中も正しい方向に行くという考え方です。


なので皆さんもれなく正義マンです🦸‍♂️

正義のためにお家を訪問し、人によってはかなりしつこく勧誘します。

相手がわかるはずのない御書の話とかし出します。

相手が弱っている状況(親の病気とか鬱病とかひどい怪我とか仕事で悩んでるとか)を聞くや否や、「信心していれば全て良くなる」と根拠のないこと言って入信させようします。



かなり迷惑なことやっていますが、彼らに悪意はありません。
120%善意です。まぁ、自分の幸せのための善意なんでしょうけど。


あと折伏には、末寺ごとにノルマがありまして、みんなノルマ達成に向けて頑張ります。
(達成できなかったからといって罰金とかがあるわけでもなく、ただ御住職から軽くお咎めを受ける程度です。)



宗教の勧誘なんてきっとどこもそんなもんでしょうね。ノルマ達成できなくてもペナルティ無しなら、これでもまだ緩い方かもしれません。

自分の幸せが保証されるという感覚の上でみんな行なっています。

もし勧誘されて興味を持ったなら1度やってみたらいいと思います。

ただ、やたら不安を煽るようなこと言われて心が揺れているのであれば、即刻縁を断ち切った方が無難でしょうね。







お寺には、夏休みに子供向けのイベントもありました。
子供らがお寺に一泊し、スイカ割りをしたり花火をしたりします。
これは結構楽しかったです。

あと年末には餅つきもあって、これも毎年楽しみにしてましたね。
「お寺のお餅は格別美味しいだろ」という父親の不思議発言はともかく。




あとは年に数回、富士山にある総本山大石寺に登山していました。
これは全国各地から信者が集まって登山します。日蓮正宗は外国にも支部があるので、外国人の信徒も登山に来ます。







こんな感じで、私は父に連れられて頻繁にお寺の行事に参加していました。

毎回お寺に行ってると、たまぁに「あれ、そういやあの人最近見ないな」ってこともありましたが、恐らく信仰から離れていったのでしょう。

離れて行く人もいれば入ってくる人もいて、またいつの間にか姿を消し、中には戻ってくる人もいます。私が小学生に上がる頃には母もお寺には行かなくなっていました。