今回は、コロナ禍における学問のすすめと題してお話させていただきます。

 

 

人類というものは、様々なことを学び、その知を集積することによって繁栄してきたと認識しています。

 

その根源は、『なぜ?』という疑問を持つ心であると考えます。

 

いわゆるコロナ禍によって、僕たちは大きな苦しみを抱えています。

 

この苦しみを、単なる社会的損失にしてはならないはずです。

 

こんな時だからこそ、多くのことに『なぜ?』という疑問を持ち、学びを得ることによって、教訓という名の社会的財産を蓄える必要があると思います。

 

 

若い女性が、新型コロナウイルス感染症の陽性が判明した後、バーベキューに参加したことやバスに乗車したことが物議をかもしています。

 

無論、この行動は褒められたものではありません。

 

感染者の行動や感染拡大に関する危機意識について、私刑とも言えるような現象が起こっていることは、本人も認識していたはずです。

 

それでも、なぜ不可解とも思える行動を取ったのか?

 

行動には原因があります。

 

純粋に危機意識が薄く、軽率な行動を取ってしまったのかもしれません。


生命の危機や人権侵害などの恐怖から、自分が感染者だということを受け入れることができなかったのかもしれません。

 

不安定な社会情勢の中で、孤独に心細く生活し、家族や友人との時間が生きる希望だったのかもしれません。

 

考え出してもキリがないから、しかるべき機関が本人にヒヤリングするしかありませんが、兎角、行動の背景には様々な因子が存在するはずです。

 

いずれにしても、その因子にまで目を向けなければ、僕たちは学びを進めるができないと思います。

 

 

覆水は、盆には返りません。

 

たしかに、こぼれ落ちた水は、もったいないです。

 

だけど、僕は、その水の損失を嘆くことよりも、どうすれば水をこぼさずに済むのかを考えることにエネルギーを費やしたいです。

 

 

正義というフィルターを通してしまうと、見えない世界があると思います。

 

そして、正義から逸脱したものを排除しても、その見えない世界を救うことはできません。

 

正義というフィルターを取っ払ってしまえば、こんな時にしか見えてこない世界を僕たちは知ることができるかもしれません。

 

だから、僕たちは、『なぜ?』から目を背けてはいけないはずです。

 

 

僕の子どもの頃の夢は、政治家でした。

 

それは、ちびっ子の僕が、みんなが幸せな社会を望み、その実現のために政治家という仕事があると思ったからです。

 

ちびっ子の僕は、本質的には、政治家が夢なんじゃなくて、みんなが笑顔でいることが夢だった。

 

僕たちは、苦しい状況の中にいます。

 

苦しいけど、みんなで前を向いて、沢山の『なぜ?』に気づき、解き明かすことができたなら、きっと社会は、ちびっ子の僕が抱いた夢に近づけます。

 

僕たちの社会は、勝者と敗者を選別したり、正義の味方と悪者を作り出したりするために存在するのではなく、だれ一人取り残すことなく、僕たちみんなが自己実現するために存在するのだと信じています。

 

ですので、こんな時だからこそ、童心より学問のすすめをいたします。