今回は、手あかの付きまくったお話をさせていただきます。

 

本題に入る前に報告ですが、そう言えば32歳になりました。

 

僕の誕生日は9月3日です。

 

ドラえもんと同じ誕生日なのです。

 

彼は2112年生まれだったと記憶しておりますので、僕は125個先輩です。

 

彼の誕生を見届けるためにはギネス級の長生きをしなければなりませんが、その成否にかかわらず、無事の誕生を祈念します。

 

ここで、1つ預言を残します。

 

・・・2112年9月3日に生まれる子どもには、ドラえもんと名付けられる子が少なからずいるであろう!

 

ついでにもう1つ。

 

・・・海外の方が数は多めであろう!

 

さらにもう1つ。

 

・・・どさくさに紛れて女の子にドラミと名付ける輩も出てくるであろう!

 

 

これらの予言が的中すれば、僕は22世紀においてムハンマドさん級の待遇を受けるかもしれません。

 

的中せずとも、ノストラさんのようにチヤホヤされたいです。

 

ペンネームはプチトラダムスあたりでお願いしたいです。

 

 

余談ついでに、去年の誕生日にプチトラダムスが書いたブログを紹介させていただきます。

 

本当によく書けているので(笑)、読んでいない方は是非ご一読を。

 

答辞

 

この記事に書いた想いを胸に、今日も僕は生きています。

 

 

ということで、本題に入りますが、花ってめっちゃ素敵じゃないですか?

 

自分でもすっごい普通のことを言ってるってことは分かってます。

 

 

急にこんなことを言い出したのは、朝方に裸の大将を見たからです。

 

天才画伯である山下清師匠が、全国を旅してまわっては紙をちぎり倒すあのドラマです。

 

主題歌の『野に咲く花のように』が流れ出すとたまんなくなるんですよ、ハイ。

 

決して美しく整い咲き誇っているわけではないけれど触れた人の心をなごます『野に咲く花』と『山下御大』が絶妙にマッチして、とっても感動します。

 

こういう感動って不思議です。

 

目を見張るような美しい花じゃないのに感動するんですから。

 

ロケーションも『野』ですからね。

 

 

きっと、造形なんかじゃなく、生命が咲いている様に心が動くんじゃないかなぁって思います。

 

植物は、種の保存のために花を咲かせます。

 

一番の頑張りどころです。

 

だから、すべての花は一生懸命の賜物です。

 

花なんじゃなくて、その花を咲かせた生命にこそ、僕たちは感動してる気がします。

 

生命と生命の共鳴です。

 

 

人にしたって同じです。

 

一生懸命頑張っている人を見たら、とっても感動します。

 

この時だって、形じゃありません。

 

オリンピックじゃなくったっていいんです。

 

白球を追いかける高校球児も、足を引きずりながら懸命にゴールを目指すあんちゃんも、車道に飛び出して愛を叫ぶ当たり屋まがいの金八先生も、みんな1番じゃないけど1番です。

 

 

こんなこと、色んな人が手を変え品を変え表現してきました。

 

ドブネズミを歌ったブルーな人たち、みんないい!がキメ台詞のお姉ちゃん、近年神々しささえ漂う由紀夫さんの盟友・・・数えだしたらキリがありません。

 

僕も政治家の端くれですので、民主主義的な観点から申し上げますが、多くの人がそう表現し、支持され続けているということは、それが答えなんだと思います。

 

 

一生懸命咲かせた花は、どんな姿かたちでも最高だ!

 

 

芸術の秋とはよく言ったもので、『野に咲く花』に心を動かされ、朝の気持ちいい空気を吸ったら、僕も花を表現したくなりました。

 

よって、このブログにて花を記してみた次第です。

 

手あかが付きすぎていて、少し黄ばんだお花です。

 

僕らしい味のある表現だと我ながら感心していて、このお花はお気に入りのお花になりました。

 

 

 

大分七夕まつり市民総踊りに花を添えた結果、脱水症状で見事に枯れ果てたという夏の思い出を披露させていただき、今回の記事の結びといたします。

 

 

 

最後に一言・・・初秋にも元気とまつき!!