今回は、地方議会における市民からの陳情と請願についてお話をさせていただきます。
参院選も終わり、僕としては思うところがありますし、議会での一般質問や、前々回の記事にいただいたコメントに対することなど、このブログに書かなければいけないことが沢山です。
取り急ぎ、議会での質問も頑張ったんだという証拠写真の紹介はさせていただきます。
どんな質疑だったかというお話もしたいところですが、今一番表現したいと思っていることが、地方議会における市民からの陳情と請願についてのことです。
よって、今回のテーマとさせていただきました。
地方議会における陳情や請願は、市民が議会に対して行政の施策などについて意見や要望を述べる方法のひとつです。
陳情と請願の位置付けについては、それぞれの議会によって違いがありますが、請願の提出には紹介議員が必要だということが一般的なようです。
大分市議会では、陳情、請願ともに委員会審査を行い、提出者の意見や要望などを議会として採択とするか不採択とするかを判断しますが、議会によっては、陳情については議員が閲覧するのみとして審査の対象としないところもあります。
また、請願については、日本国憲法16条によって保障されている請願権にもとづく制度であるとされています。
そんな陳情と請願ですが、大分市議会では割と頻繁に提出があります。
先日の議会でも、僕の所属する厚生常任委員会では4つの陳情と請願を審査しました。
その審査における議論の中で、僕は大きな疑問を感じました。
その疑問こそが、今回のテーマが請願と陳情についてとなった要因です。
僕が疑問を感じたのは、『大分市手話言語条例制定についての請願』の審査を行った際の議論です。
この請願は、聴覚障害者団体から提出されたものです。
大分市議会では、意見陳述として陳情や請願の審査前に提出者からの直接の説明を受け、委員から提出者に対して質疑を行うことができる制度があり、『大分市手話言語条例制定についての請願』の審査に際しても、この意見陳述が行われました。
提出者は、手話通訳者とともに委員会室を訪れ、手話とその同時通訳によって、僕たち委員に対して、音が聞こえないというハンディがいかに大きなものかということ、日常生活で手話を使用することが可能な機会が少ないということ、筆談という手段もあるが筆談では意を尽くすことが困難であるということ、聾者の親は9割が健常者であり親が子の困難を理解し適切な教育を実施していくためには社会的支援が必要だということ、それらの課題解決のために他都市での制定実績が増えてきている手話言語条例を大分市でも制定して欲しいということなどを述べました。
その後、提出者への質疑、大分市執行部への質疑によって、大分県内他都市の状況や国会における手話言語法制定に関する動きなどについての理解を深めました。
これは、僕の主観になってしまいますが、ほとんどの委員が手話言語条例制定の意義について肯定的な感想を持っているようでした。
そこから、いざ請願の審査に入ってみると、思わぬ展開が訪れました。
複数の委員から、議会のあり方として、今回の請願は、その存在が正当性に欠けるという趣旨の意見が出されたのです。
大分市議会では、議会基本条例によって議会の政策立案能力を高めていく取り組みを議会改革の大きなテーマとしてきました。
大分市議会の制度上、4名以上が所属する会派からは、議案の提出が可能であり、それはつまり、条例案の提出が可能であるということです。
複数の委員からの意見は、上記のことを踏まえて、今回の請願は15名で構成される自由民主党会派に所属する1名の議員が紹介議員となっており、自由民主党会派で自前の条例案を提出することも可能である以上、執行部に手話言語条例の制定を求める請願を採択するということは、自由民主党会派、ひいては、大分市議会全体がその責任を放棄するということになるため、自由民主党会派の議員が紹介議員となった請願というものが存在してはならないはずだというものでした。
その延長線上で、請願ではなく、紹介議員の必要ない陳情という形に変更があれば、これから議論の余地があるという意見も出ました。
僕は、それらの意見の論理をよく理解することはできましたが、納得することはできませんでした。
まず、議会の政策立案能力に関しては、制度上は議員が4名集まれば条例案を提出できるということになってはいるものの、議員提案の条例はこれまでの実績として4つしか成立しておらず、その4つも、大分市議会の全議員で構成される議員政策研究会によって、数年の時間をかけ、議会事務局職員の労働力も多分に用いて制定してきたものです。
将来的には、同じ課題意識を持つ複数名の議員によって、様々な条例が活発に提案されていくような環境になれば、とても素晴らしいと思います。
だけど、現状は全く違っていて、現状の大分市議会では、そこまでの政策立案を行う能力はありません。
加えて、請願の紹介議員が、必ずしも会派を代表しているわけではないということも重要な点であろうと思います。
そもそも、制度上、請願の紹介議員になるための会派の了承は不要です。
会派の中で過半数の賛同を得られなくても、議会全体では過半数の賛同を得ることができる可能性がある以上、より多様な民意を吸収するという観点から、請願の紹介議員になる権利は会派ではなく議員個人にあってしかるべきです。
そして、僕が一番引っかかっていたことは、請願の提出者が現行の制度にのっとって手続きを行っているという点です。
提出者である市民には、何の落ち度もないということです。
そんなことを考えながら委員会の議論を聞いていると、僕の感情がボーボーと燃えだしました。
思わず挙手し、委員長に発言の許可を願います。
委員長から許可を得ると、僕の感情が溢れてきました。
「陳情や請願は、困りを抱えた市民が、議会に対してその想いを訴え、その訴えを議会が汲み上げ、その困りを解消していくための制度なはずです。自民党の議員が請願の紹介議員になることへの是非について議論の余地があることは理解できますが、提出者が制度にのっとって手続きをして議会として受け付けた以上、今後の教訓とすることはよいが、議会の内輪の事情によって、提出者に対して陳情という形への変更を求めることは間違っていると思います。」
珍しく感情的になってしまったもので、明確に記憶できていませんが、僕は、そういった趣旨の発言をしました。
その後も委員間での意見交換は続きましたが、結果として、請願という形のまま審査をするということになりました。
ここから、僕はまたしてもボーボーとなりました。
複数の委員から、制定して欲しい手話言語条例の詳細な内容がわからないので、このままでは審査できないという意見が出たからです。
どういった条文で制定して欲しいのか、その姿が見えてこない以上、議会として責任を持った議論ができないということでした。
僕は、また手を挙げました。
「理路整然とした文章や完璧な文章を書くことができる人にしか陳情や請願を出す権利がないということですか?そうじゃないはずです。理屈によって動くのが行政だと思いますが、政治は理屈の上に想いを乗せることができるはずです。僕たち議員は選挙によって有権者から負託を受けている立場だからこそ、その役割を担うことができると思っています。」
喋り終えると手が震えました。
それだけ感情的になっていました。
僕のその心は一笑に付されました。
紹介議員がいる以上、その議員が内容に関してケツを持つのが当然だと。
僕の目から見ると、今回の請願の提出者は、日々の生活に生きづらさを感じていて、社会的な支援を求めて、他都市でも制定されてきている一般的な手話言語条例を制定して欲しいという想いを、大分市議会に訴えてきたのだと感じました。
よりシンプルに書けば、大分市でも手話言語条例を制定して欲しいということが請願の内容の全てだったと思います。
意見陳述や質疑応答で、僕はそう理解しました。
それ以上でも、それ以下でもなかったはずです。
それを、提出者が条例の細かな設計にまで言及した形に訂正した上で、委員会として議論するということになれば、市民に議会の意向を忖度させるということになるのではないかと、僕は個人的に思います。
もしかすると、僕の考え方は間違っているのかもしれません。
少なくとも、委員会の審査における空気感では、提出者に内容を加筆してもらった上でスタートラインに立てるという感覚が、大分市議会の普通ということのようでした。
今回の審査では、現段階で結論を出すことが難しいということになり、次回の議会以降も継続審査するということになりました。
提出者は、次回までに内容を訂正するかもしれません。
そのことによって、請願が採択されるかもしれません。
それが、提出者の望みを叶えるための現状における一番の近道なのかもしれません。
だけど、僕は、やっぱりそれでは納得いかないです。
高い知識や知能がなければ、議会に窮状を訴えることができないなんておかしい。
たしかに選挙という意思表示の機会はあるけど、それ以外は、弱者は待ってることしかできないのか。
そうじゃないはずだし、もし、そんな社会なんだとしたら、僕はそんな社会で生きていたくない。
普通を変えることは、とても大変なことです。
それでも、今回の普通には、僕は負けたくないです。
長々とした文章で、我ながら本当に粘着質だなぁとは思いますが、次回の議会でも僕は絶対にスタンスを変えない!と、さらに粘着性を高める宣言をさせていただき、今回の記事の結びといたします。
最後に一言・・・大分に元気とまつき!!