今回は、衆議院議員である丸山穂高さんの発言をめぐる社会の動きについて、僕の思うことをお話をさせていただきます。

 

北方領土へのビザなし交流訪問の際、訪問団の一員である丸山さんから不適切な発言があったということで、大きな波紋を呼んでいます。

 

日本の国会議員が、北方領土問題の解決に武力を用いる手法について発言したという事実は、あってはならないことだと思います。

 

北方領土問題解決のために積み重ねてきた多くの方の時間と労力と想いを台無しにしかねない、極めて重大な発言です。

 

国会は、粛々と対応を進めるべきだと思います。

 

 

ただ、一つ気にかかるのは、丸山さんの気持ちです。

 

僕の目から見ると、丸山さんは、これまで日本のために真剣に仕事をしてこられた方だという認識です。

 

思想の是非は度外視して、テロ等準備罪法案の審議の際などに見せてきた情熱的な姿から、国家国民のためにという強い気持ちを持った方であろうことは疑いの余地がないはずです。

 

過去にお酒やSNSにまつわるトラブルがあったことも事実ですが、国会議員として真剣に仕事に打ち込んできたことも事実なのではないでしょうか。

 

有権者からの信任を得て、その職責を全うするために懸命に努めてこられた方ということです。

 

思想的に相容れぬところはあっても、僕は、国民の一人として、丸山さんのこの心意気には敬意を持っていますし、もっと多くの方が敬意を持つべきだと思っています。

 

 

丸山さんが適応障害との診断を受けたということに対して、心ないことを言う人が多くいるようです。

 

僕は、そんなのフェアじゃないと思います。

 

日本のために懸命に働いてきた方が、日本中から批判される。

 

その苦しさは、僕には計り知れません。

 

 

日本は法治国家なのですから、国会がその権能で今回の件には対応すればいいし、丸山さんは否が応でも選挙という審判を受けます。

 

医師による専門的見地からの診断に対して、確証がない限り誰もとやかく言うべきじゃないです。

 

政治家が発言によって責任を問われて役職を失うことはあっても、その生活の平穏や健康、生命まで危機に瀕することになるなんておかしいと思います。

 

そんな公私混同をしていたら、日本の民主主義は発展しないとも思います。

 

 

政治家が命を懸ける気概で仕事に取り組むことは大切だと思いますが、政治家という職業が文字通り命を懸けなければならない職業であってはならないはずです。

 

思想を憎んで人を憎まず。

 

思想によって人格まで憎まれてしまったら、誰が国のために働いてくれるんでしょうか。

 

完璧な人間なんていないし、誰だって失敗はするはずです。

 

思想が違っても、失敗があっても、敬意は持たなきゃ。

 

社会党委員長の浅沼稲次郎さんが亡くなった時、田中角栄さんが「考え方が違っても、お互い命を懸けて国を良くしようと思っている仲間だ」と言って葬儀に参列したという話は有名です。

 

お互いを尊重し合いながら議論してこそ、民主主義の社会は進歩していくはずです。

 

 

僕も適応障害と診断された経験があることから熱くなってしまい、偉そうなことを言いましたが、兎に角、僕が申し上げたいことは、覆水盆に返らずですから、丸山さんには、この経験を糧に、これから先、どんな形であっても、日本のために活躍して欲しいということです。

 

今回の一件での丸山さんの責任は、非常に重いと思います。

 

だけど、それで丸山さんの全てが終わるわけではないはずです。

 

これから厳しい目で見られると思いますが、日本のためにも、丸山さんのためにも、その中で再評価されるようなご活躍を。

 

アクセス数が極めて少ない僕のブログですからご本人には届かないでしょうが、丸山さんにエールを送らせていただいて、今回の記事の結びといたします。