今回は、とあるニュースに関する感想についてお話をさせていただきます。
とあるニュースとは、9歳の男の子が、母親の内縁の夫から暴行を受けた翌日に学校で教師に相談し、教育委員会、児童相談所、警察との連携によって容疑者のスピード逮捕に至ったというものです。
報道では、男の子から相談を受けた教師の迅速な対応を『英断』と称賛していました。
こういった場合、教育委員会などと情報を共有するに至るまでに、教師個人や学校という範囲内において男の子の証言に対する事実確認を慎重に行うというステップを踏んでしまうケースが多くの事件で報道されます。
必要以上に問題が大きくなったらどうしよう。
子どもの虚言だったらどうしよう。
トラブルに巻き込まれたらどうしよう。
・・・。
様々な要因がブレーキになることが容易に想像できます。
加えて、教職員の業務量が膨大であり、働き方改革が必要とされているという状況を鑑みれば、精神的な余裕や、その事案に対応する時間的余裕についてもハードルがあります。
そういった中で、迅速な対応をし、子どもを救うことができた当該教師の方は、まさに『英断』を下されたと思います。
ですが、これが『英断』とされ、好事例として報道されているうちは、まだまだ子どもたちにとって望ましい環境が整っていないということでもあろうと思います。
全国での児童虐待件数は、年々増加しています。
これは、虐待が増えているというよりも、社会の認識が高まることによって、潜在していた虐待の存在が浮き彫りになってきたと言えると思います。
今後も、ますます件数が増加してくることでしょうし、そのようになっていかなければ、全ての苦しみを抱える子どもたちを救うことができないと考えます。
今回の報道が、その追い風となってくれることを願います。
ここからは、少し違った視点からお話をさせていただます。
児童虐待に関して、要保護児童を抽出し児童相談所が保護していくというプロセスばかりがクローズアップされています。
これは、少し危険なことじゃないかなぁと僕は思っています。
問題のある保護者から子どもを引き離すことで子どもを守るという手法ばかりが、社会の中で存在感を増しているように感じるからです。
子どもの健やかな成長を考える時、まずは生命を守るということが最優先であることは間違いありません。
その視点から言えば、児童相談所がより効果的に機能し、子どもたちを危険から守るということに社会的要請が高まるということはとても自然です。
ですが、これが、子どもが抱える問題を発見してそれを排除するというだけで終わってしまっては、対症療法的な手法にしかなりません。
専門家の方や第一線で児童虐待と対峙している現場の方も同じお気持ちかと思いますが、僕は、児童虐待という社会の病理は、そんな単純なものではないと思っています。
当たり前のことですが、虐待をしてしまった保護者だって、昔は子どもだったんです。
まっさらな状態で生まれてきた子どもが、様々な要因が重なることで虐待をする大人になっていくわけです。
ある意味では、虐待をしてしまう大人も被害者の一人と言えます。
それはつまり、児童虐待は、家庭の問題などという次元ではなく、社会としての問題であるということです。
表出したエラーだけを取り除いていけばいいという思考では、社会の前進はないはずです。
虐待はいけない。
ましてや、子どもの命が奪われるということなどあってはならない。
その考えを基盤に、どうすれば児童虐待という社会の病理の根源を断つことができるのかという方向に、社会の興味が向いてくれることを願います。
全ての子どもが健やかに成長することができる社会の構築に向けて、調査・研究を進めていくことを改めてお誓い申し上げ、今回の記事の結びといたします。
最後に一言・・・大分に元気とまつき!!