遅ればせながらのご報告になりますが、先週末をもって、平成30年大分市議会第4回定例会が閉会しました。

 

 

 

 

最終日には、子ども育成・行政改革推進特別委員会の委員長として、この2年間特別委員会内で議論してきた内容および特別委員会としてまとめた執行部への要望事項を報告させていただきました。

 

思えば、この2年間は、特別委員会での職務内容もきっかけの一つとなり、子ども・子育て支援に関する調査・研究を熱心にしてきたように思います。

 

特に、『生まれた環境に左右されることなく、全ての子どもに、健やかに成長していくことができる権利を担保すること』を主眼に、取り組みを進めてきました。

 

そうした中で、教育と福祉の連携の重要性であったり、経済的な面での支援だけでなく成育環境に対しても支援していくことの重要性、それぞれの現場で子どもと接する方々のスキルアップの重要性など、多くのことを学ぶことができました。

 

それらの学びの中で、僕が一番大切だと思ったことは、子どもに対する社会の優先順位を上げていくことです。

 

このブログでも、子どもへの支援によって多くの社会的利益が生まれるという様々な研究の結果を紹介させていただいていますが、生産力の向上、社会保障費の抑制、社会秩序の維持など、投資する価値が非常に高い効果が見込まれます。

 

僕の目から見れば、社会の発展のためには、子どもを最優先にしていくことが最善の道です。

 

ですが、そんなことはある意味方便であり、僕の信念は違うところにあります。

 

 

僕は、子どもたちが可愛くて仕方ありません。

子どもの笑顔や一生懸命な姿を見ると、元気をもらえたり、胸が締め付けられるような感動を覚えたりします。

 

そして、僕は、不公平が嫌いです。

 

子どもは、自らの意思によらず、この世界に生まれ落ちます。

まっさらなその時点から、それぞれの子どもの人生に大きな影響を及ぼす差が生じているのだとしたら、僕は、それが許せない。

 

全ての子どもに夢を持って欲しいし、その夢を叶えるチャンスを与えたい。

 

そういった機会が得られない子どもが存在するということを、僕は、心情的に断固許すことができない。

 

ましてや、生まれた環境によって子どもが絶望したり、適切な教育を受けることができなかったために人生を台無しにしたり、他者を傷つけ、その人生まで奪うようなことはあってはならない。

 

そんなの哀しすぎます。

 

だから、子どもを最優先に考え、これまでは存在したかもしれない哀しいことの連鎖を断ち切りたい。

 

説得力をもって、その信念を形にしていくために学んできたことが、先述の方便となるわけです。

 

 

そういった想いを持っている僕からすると、寂しい気持ちになるニュースが報道されています。

 

それは、児童相談所の設置をめぐる行政と住民とのやりとりに関するものです。

 

他の自治体に僕が何か意見するような権利はありません。

 

だけど、支援を必要とする子どもが経済的な要因だけで生まれるわけではないということは、もっと多くの方に深く知っていただきたいです。

 

そして、子どもが被害者であるということも。

 

 

子どもを厚く支援することは、社会にとって多くの利益をもたらします。

 

子どもにとって最善の判断がなされることを祈念して、今回の記事の結びといたします。