今日は11月29日、『いい肉の日』です。
美味しいお肉に想いを馳せながら、改めて、命をいただくということに感謝する気持ちを、肝に銘じたいと思います。
そして、『いい肉の日』は、この人の誕生日でもあります。
このブログにもたびたび登場している、僕の友人、志村くんです。
志村くん、お誕生日おめでとう!
そんなわけで、今回は志村くんを出汁に、お話を進めさせていただきます。
僕と志村くんは、幼稚園から高校まで、ずっと同じ学校に通っていたという腐れ縁でつながっています。
若貴ブームの折には共に四股を踏み、ポケモンブームの折にはゴーストをゲンガーにし合い、中学校でNBAが流行った折には僕の敬愛するレイカーズのコービー・ブライアントと志村くんが贔屓にしているペイサーズのレジー・ミラーのどちらが素晴らしいかという論争が乱闘にまで発展したりと、多くの時間を共有してきました。
ちなみに、相撲では僕の99勝1敗という戦績が残っており、人生で一度だけ僕にマグレで勝ったことを、志村くんは生涯の誇りとしています。
僕の後ろ走りと志村くんの全力疾走で競争をした際、僕が圧勝したこともありました。
僕のケンケンと志村くんの全力疾走で競争をした際、僕が辛勝したこともありました。
僕には相撲で大きく劣り、鈍足な志村くんですが、僕にはない素晴らしいところが沢山あります。
まず、すごく真面目です。
律儀な性格で、やらなければならないことがあれば着実にこなしていきます。
怠惰な性格である僕の目から見ると、志村くんの実直さが羨ましく思えます。
優しいところもあります。
年末の餅つき大会に人手が足りない時、「ファミレスに行こう」と言って誘い出すだまし討ちをしても、すぐに腹をくくり杵を振り続けてくれます。
熱いところもあります。
相談事などすると、親身になるどころか、自分のことのように熱心に考えてくれます。
ほかにも志村くんの素晴らしいところはありますが、簡単に言うと、志村くんはいいやつなんです。
僕は、なぜ志村くんがいいやつなのかを考えてみました。
その答えは、『愛』な気がします。
志村くんの家は、じいちゃんとばあちゃんとご両親に妹という構成で、本当にあったかい家庭です。
僕もしょっちゅう遊びに行っては、志村くんファミリーのみなさんに可愛がってもらいました。
じいちゃんは元校長先生で公民館長で体育協会の会長、ばあちゃんはなぎなたの有名な先生ということで、志村くんは近所の人たちからも大いに可愛がられていました。
周囲からの英才教育もあって、お祭りの太鼓でも頭角を現し、小学校高学年の頃には、将来の自治会長確定と言われていました。
僕は、そんな志村くんの姿をずっと見ていたので、志村くんの律儀なところや優しいところ
、熱いところなどは、みんなが志村くんに注いでくれた愛を、志村くんが成長と共に吸収していって、必然的に育まれていったもののように感じるんです。
志村くんが多くの人から可愛がってもらえたのは、志村くんのじいちゃんやばあちゃんが、沢山地域に貢献していたからだと思いますし、家庭があったかかったのも、先祖代々築いてきた気風に由来するように思います。
そうしたことを考えた時、家庭や地域における人と人とのつながりの大切さや、多くのことが絡み合ってそのことが存在する重大さを痛感します。
様々な研究によって、子どもの人や地域とのつながりと『生きる力』とも言える非認知能力の相関関係が指摘されています。
極端に表現するならば、人とのつながりが多い子どもは、生きる力が大きいということです。
人と人とのつながりの根本は、自己ではない他者に対し、愛を持つことにあると思います。
そして、愛を持つためには、愛を知ることが必要な気がします。
僕の好きな甲本ヒロトさんの作った歌に、『人にやさしく』というものがあります。
その歌詞の中で、僕が特に好きなフレーズは、
『人にやさしくしてもらえないんだね 僕が言ってやる でっかい声で言ってやる ガンバレって言ってやる 聞こえるかい ガンバレー!』
というものです。
この歌を知った時、ヒロトさんの大きな優しさに触れて、僕は心が震えました。
与えられるよろこびを知って初めて、人は他者に何かを与えることができるんじゃないかなぁって思います。
司法判断で凶悪な少年犯罪の背景に幼少期における保護者との愛着不形成が指摘された事例がありますが、子どもたちの健やかな成長には愛が不可欠なはずです。
より多くの愛によって得られた子どもたちの健やかな成長が、あらゆる意味で社会を豊かにしてくれるものと信じます。
明日から、大分市議会の平成30年第4回定例会が始まります。
志村くんから取った出汁である『愛』をテーマに今定例会に臨むことを宣言いたしまして、今回の記事の結びといたします。
最後に一言・・・大分に元気とまつき!!