今回は、第四弾!ぼた餅フェア!!と題し、150年前の明治維新に想いを馳せ、この方のお話をさせていただきます。

 

 

 

 

勝海舟先生です。

 

みなさんもご存知の通り、勝先生は、徳川幕府末期の幕臣であり、明治の政治家です。

 

蘭学に精通し、日本の海軍の礎を築いたことや、日米修好通商条約の批准書交換のため咸臨丸の艦長としてアメリカへ渡ったこと、西郷隆盛さんとの会談によって江戸城無血開城を実現したことなどが主な功績として知られているかと思います。

幕末一のスターである坂本龍馬さんの師であったことも有名です。

 

僕は、勝先生のこれらの功績も素晴らしいと思いますが、何より、勝先生の人柄に惹かれます。

 

 

勝先生は、貧乏旗本の家に生まれ、貧しい生活の中でも文武両道を歩み、剣術では直心影流の免許皆伝、学術では兵学や蘭学を修めます。

しばらくは貧乏暮らしを強いられますが、幕府が実施した黒船来航に伴う海防に関する意見書公募に応募し、これが老中の阿部正弘さんの目に留まったことによって、幕臣として役をもらうことになります。

その後、みるみると頭角を現し、先述のような功績を残します。

 

エネルギッシュで頭の良い方だったことが伺えます。

 

見識が高く、多くの功績を残している勝先生ですが、実は案外嫌われ者です。

 

最後の将軍徳川慶喜公とはそりが合わなかった言われていますし、同時代の方たちからの不評も多く、福沢諭吉さんに至っては、論文で公然と勝先生を批判しています。

 

反感を買ってしまうのは、勝先生がストレートでありながらも天邪鬼という非常にややこしい人だったからだと僕は思います。

 

勝先生は、生粋の江戸っ子であり、飾らない人柄であったと言われています。

ボケるのがお好きだったようで、明治維新後に改名した安芳という名前に関しても、「『アホウ』と読めるぜ!」と自虐ネタにしていたそうです。

明治期に勝先生が自らの様々な見識をお話しされたものを書籍化した『氷川清話』では、持ち前のサービス精神から、法螺もたくさん盛り込まれていると言われていますし、当時の権力者への容赦ない批判も炸裂させています。

 

冗談が好きで、誇張も多く、どこからどこまでが本当か分からない掴みどころのなさ。

それでいて、ど直球で誰にでも批判を浴びせる。

文字通り、言いたい放題でやりたい放題の人だったんだろうなぁと思います。

 

そこだけ見ちゃうと、勝先生は、同時代の人たちから批判の対象になりやすいというのも納得できます。

 

だけど、ストレートで天邪鬼でややこしいというのは、あくまでも勝先生の感情の出力の手法であって、勝先生の人格とはイコールではないと思います。

 

明治時代に入って、勝先生は、朝敵とされた徳川慶喜公の名誉回復のために力を尽くし、30年の苦心の末、見事それを成し遂げます。

明治天皇への拝謁が許されると同時に公爵を叙せられた際、慶喜公はテンションが上がり過ぎて、勝先生の家に自らの息子を婿養子に出しています。

このことに、勝先生も大喜びだったと言われています。

 

失業した徳川幕府の幕臣たちの就職をはじめ、生活の世話も熱心に行っており、実は義理堅い方であったという記録も残っています。

 

また、西南戦争によって、逆賊の烙印を押されていた西郷隆盛さんの名誉回復にも熱心に取り組まれ、有名な上野のワンコを連れた西郷さんの銅像も、勝先生の尽力によって建立されました。

 

以上の事から、勝先生は、情が深いけど素直に表現するのは恥ずかしいという、ただの照れ屋さんだったのではないかと推測します。

生涯をかけて他者のために力を尽くすことができたのは、大きな愛を持った優しい人だったからなのだろうと思うからです。

 

勝先生は、非常に殺生を嫌う性格で、虫の居場所がなくなるからと庭の除草すら嫌がったそうです。

そんな勝先生と、優しさの権化のような西郷さんが談判を行ったからこそ、江戸城の無血開城が実現したのだろうと思います。

 

貧乏旗本から自らの才能と努力によって日本を動かす立場にまで上り詰めた人が、情に深くて優しいのに、照れ屋で素直になれない性分でややこしい。

人間臭くて可愛いく思えて、とっても魅力を感じます。

それも、大きな尊敬の対象となるほどの功績を残した方ですから、素敵過ぎます。

 

時代の転換期に、勝先生という素晴らしい方がいてくださったことは、日本にとって本当に大きな価値があったと思います。

勝先生、ありがとうございます。

 

 

そして、ここで忘れてはいけないと思うことは、そんな勝先生が出世することのできた徳川幕府の仕組みとそこに属する方々の存在です。

歴史を振り返ることで、先人たちが一生懸命日本という国を守ってきてくれたのだと、思い知ります。

 

 

これまで、ぼた餅フェアを通じて、薩長と幕府からそれぞれお二人ずつにスポットライトを当てさせていただいています。

四人のみなさんが、それぞれの立場で、日本のためになることを真剣に取り組んでおられたと僕は思っています。

 

数えきれないほどの多くの先人たちが流した汗の滴が、僕たちの社会という大河を形成しています。

その時々で勝敗が分かれたりしても、それぞれが貴重な滴です。

 

 

僕も、そんな大河の一滴になれたらいいなぁと、今の心境を吐露させていただいて、今回の記事の結びといたします。

 

 

最後に一言・・・大分に元気とまつき!!