前回からの予告通り、地方議会の議員定数についてお話をさせていただきます。
都道府県や市区町村の議会は、条例で定数を定めることとなっており、議会によって定数が違います。
東京都議会や神奈川県議会などの100名を超える定数の議会もあれば、人口数百名の町村では、定数6名なんていう議会もあります。
大体の傾向としては、その自治体の人口に比例して定数が多くなっていきます。
ですから、都道府県だと多くて、市区町村になると少ないというわけではなく、大阪市議会などは定数86名ですし、鳥取県議会は定数35名となっています。
僕の所属する大分市議会では、現在の定数が44名です。
ここで、みなさんに考えていただきたいことは、なぜ議会によってこれだけ数の違いが生じるのか?ということです。
先述の通り、各地方議会の議員定数は、条例によって定められています。
それぞれの議会で、自治体の事情に合わせて定数を決めるための議論が行われているということです。
つまり、議員定数にはそれなりの理由があると僕は言いたいわけです。
まず、人口というのも重要な要素です。
人口が多い都市では、より詳細な民意を行政へ反映させるために、多くの議員が必要になると思います。
若い人も高齢者も、男性も女性も、様々なバックグラウンドを持つ議員が集まることで、住民それぞれの立場を考えた議論ができるはずです。
また、地形や都市の面積も考慮されます。
例えば、北海道議会の定数は101名ですが、人口規模が同程度である兵庫県議会に比べて14名多いです。
これは、広い面積を持つ北海道において、各地の意見を反映させるために設定されたものであろうと推測できます。
そして、最も大事なことは、議会の責任を果たすという視点です。
地方議会が果たすべき役割の中でも特に重要な役割は、首長をトップとする行政執行機関の提案を審議し、議決することであると僕は思っています。
大分市では、一般会計と特別会計を合わせると3000億円以上の予算が組まれています。
それらのお金は、多くの事業となって、住民へと提供されることになるのですが、これを隅々までチェックすることは人間のなせる業ではないです。
そうした予算や決算の審議と共に、細かな条例の改正などの案件なども発生するため、全ての議案を完全に理解することなんて、お猿さんがノーベル文学賞を受賞することよりも至難の業でしょう。
ですので、議会では常任委員会というものを設け、分野ごとに細かい議案の審議をしています。
大分市議会には、議案の数などを考慮して5つの常任委員会を設けており、僕は教育を所管する文教常任委員会に所属しています。
各委員会は概ね9名ほどで構成されていますが、僕は、この人数も重要だと考えています。
人数が少なすぎると、議論に深まりが生まれにくいと思うからです。
僕は、他の委員が発した意見から「そういう視点もあるよなぁ」と思わされることがよくあります。
そうしたことを発端に、活発な議論が展開されていくという流れが存在すると思いますし、その流れは、住民にとって有益な効果を生むものだと思っています。
ちなみに、人数が多すぎる場合は、議論がとっ散らかってしまうことがあるので、過ぎたるは及ばざるが如し状態に陥ってしまいます。
ですから、委員会は10名前後の委員で構成するのが望ましいと、個人的には感じます。
以上のことから、大分市において僕の思う適正な議員定数を逆算すると、10名ほどで構成する常任委員会を5つ設けるとして、50名ほど。
ということで、現在44名の大分市議会の議員定数は、僕の中では上等の数字ということになります。
そんなこんなで、僕の理屈上は、国会も地方議会も、世間が思うほど議員定数を削減する必要はないと思うということを申し上げます。
しかし、これは、今回のお話の結論ではありません。
火のないところに煙は立たぬだとか、撒かぬ種は生えぬだとか、因果応報だとか、手を替え品を替え、先人たちは繰り返し僕たちを諭してきます。
様々な議会の議員定数は削減すべきだという風潮があるのは、理屈上は適正だと言える議員定数であっても、その存在によってもたらされる成果を実感できないと感じる有権者が多くいるからなのだろうと思います。
僕の考えるところ、誰しもが望む社会の発展とその持続のためには、議員の量に課題があるのではなく、質にこそ課題があるような気がします。
だから、このテーマに関する僕の結論は、「もっと頑張れ、オレ!」です。
長い年月をかけて洗練されてきた日本の間接民主制が、より多くの果実を実らせるかどうかは、僕”たち”の働きにかかっていると見定めました。
日本では、全ての国民が、決まった年齢に達すれば被選挙権を持つことができます。
”たち”が、より多様な人によって構成されることを祈念して、今回の記事の結びといたします。
最後に一言・・・大分に元気とまつき!!