みなさん、ごきげんよう!にしこり
突然ですが、家で不思議なノートが発見されたので、ちょっとご覧いただきたいと思います。
・・・外観は、何の変哲もないノートです。
・・・中は真っ白。
新品のような状態です。
・・・?!
唯一記載事項のあるページを発見!
そして、僕の手は、何気に綺麗ですねぇ\(^q^)/
人柄が表れてる\(^q^)/
・・・そんなことより、もう少しズーム!
初老期にオッサンからジジイに変わる・・・。
・・・!!
そういえば、このノートは、20代前半の頃に『壊れかけのRadio』の替え歌を作ろうと思い立ち、サビだけ思いついて、そこで止まってたやつでした\(^q^)/
思春期に少年から大人に変わる
↓
初老期にオッサンからジジイに変わる
ですね\(^q^)/
10年近く時間が経っても、不毛なことに取り組み続けている僕・・・。
ブレない自分が誇らしい\(^q^)/
このノートがあまりにも懐かしくて、テンションが上がり過ぎて紹介しましたが、みなさんにとっては、半端なく迷惑ですよね\(^q^)/
バイザウェイ、新内閣の陣容が発表されましたね\(^q^)/
我らが大分県からは、岩屋毅代議士が防衛大臣として入閣されました。
岩屋さん、おめでとうございます\(^q^)/
そして、今回唯一の女性大臣として、片山さつき参議院議員が入閣されました。
僕と片山先生との間には、甘いエピソードがありまして・・・。
2年ほど前の大分市議会定例会中に、片山先生は、大分県来訪に合わせて、大分市議会をテレビで拝見するままのハイテンションで訪問しくださいました。
休憩時間の折でありましたので、自民党会派では丁度アイスクリームタイムを楽しんでおりました。
そして、片山先生の到来を予期するかのように、部屋の中央のテーブルには、なぜか森永パルムくんがポツンと一人残っていました。
寂しさに身体を溶かしつつあった森永パルムくんと、鮮烈なご衣装に身を包まれてヒートアップされている片山先生を見比べた結果、僕にはアダム・スミス師匠の言うところの神の見えざる手が見えてしまいました。
見えてはならないものが見えてしまった恐怖を感じながらも、僕は二人のマッチングを図りました。
「片山先生、パルムどうぞ。」
やはり、僕が見た神の手は本物だったようで、片山先生は満面の笑みです。
「わぁ、ありがとう!あなたのこと、一生忘れないわ。」
片山先生は、森永パルムくんを受け取りながら、そう言い残し、次の用務地を目指して嵐のように去っていきました。
・・・その後、片山先生が森永パルムくんを開封した時に、寂しさに溶かしつつあった身体とどのような対面をされたのかは分かりません。
ですが、僕には、一つだけ言えることがあります。
大臣は、確実に僕のこと忘れてる\(^q^)/
ここまで、非常にキュートでポップでスィートな内容ですが、ここから少し真面目な話を・・・。
柴山新文科大臣が教育勅語について言及されたことが、話題となっています。
実は、僕は、日本の歴史の中でも、教育勅語と十七条憲法には非常に思い入れがありまして、トレンディーな話題ですので、今回は、文科大臣に負けじと、教育勅語に対する見解を綴ってまいります。
いわゆる教育勅語は、正式には教育ニ関スル勅語と言い、明治天皇のお言葉として、広く国民に知らされたものです。
主として12の徳目が掲げられており、それらのものがあったから日本が繁栄してきたという視点から、今後もこれを受け継いでいくべきであり、明治天皇自らこの道を守っていくので、国民にも実践して欲しいという主旨のものと、僕は理解しています。
分かりやすかったので明治神宮さんのホームページのものを紹介させていただきますと、12の徳目の主旨は、
・親に孝養をつくしましょう
・兄弟・姉妹は仲良くしましょう
・夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
・友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
・自分の言動をつつしみましょう
・広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
・勉学に励み職業を身につけましょう
・知識を養い才能を伸ばしましょう
・人格の向上につとめましょう
・広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
・法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
・正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
というものです。
これらは、現代においても素晴らしい精神であると、僕は思います。
実際に、欧米のメディアからも多くの称賛を得たという事実もあります。
ですが、解釈によって、いまだに多くの議論があることも事実です。
特に、最後の部分は、原文が
『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』
というものであり、
『有事の際には、国のために死になさい』
という超軍国主義的な読み取られ方をしたりもします。
これまで僕のブログを読んでくださっている方には分かっていただけると思いますが、僕は、とんでもなく平和主義です。
そんな僕がこの文を読むと、現代の日本において一番大切なことが書かれている気がします。
僕たちの社会は、僕たちみんなが主役で、僕たちみんなのものです。
では、その社会を誰が守ってくれるのか。
それは、僕たち一人ひとり以外にないと思います。
きれいごと抜きで、真剣に社会のことを考えた時、僕たちの社会にもし何かあれば、自分たちで何とかしなきゃいけない。
先日記した災害に関してもそうですし、治安という面においても、安全保障という面においても、突き詰めれば同じことであろうと思います。
そして、その心構えを持つことって必要なはずじゃないかなって僕は思います。
だけど、教育勅語について、僕が一番話かったことは、解釈云々という小さいことじゃありません。
どんな背景で教育勅語が生まれたのかということです。
とは言え、ここからも諸説あると思いますが(笑)、語ります。
教育勅語は、国民の道徳心を醸成するために用いられました。
その背景には、信教の自由が憲法で定められていたこと、当時の日本が厚く保護した神道は”道”であり体系的な教義がなかったことが大きく影響し、近代化のために、国民共通の普遍的な道徳心を示す必要性があったことと、僕は認識しています。
そういった背景を持ちながら、教育勅語が生まれてくるわけですが、その際、興味深いことは、教育勅語が起草された時に、思想や宗教の自由を侵さないことを重視したとされていることです。
また、先述の通り、教育勅語は、憲法に記載されたわけでも、法律として運用されたわけでもなく、明治天皇のお言葉として、広く国民に知らされました。
これは、国民の生き方を、憲法や法律で縛るべきではないという考えに基づくものだと言われています。
ですので、僕の認識としては、教育勅語というもの自体は、本来、非常に民主的な視点から、日本の近代化や文化の発展のために機能したものであるということになります。
教育勅語を評価する際、それがどう使われたか、どういう意味だったとかいう細かい点については、議論の余地があると思います。
しかし、大きな視点から、何を目的とし、どのような手法でアプローチしたのかということを考えた際、現代においても、大いに参考とすることができるものなのではないでしょうか。
そして、こういった手法については、これから先の日本社会を考えていく上で、国民的議論をするに値するものだと思います。
そんな想いから、今回はこのことを綴りました。
ちなみに、十七条憲法も、非常に民主的なもので興味深いところがあり、僕は大好きなんです。
ということで、十七条憲法にまつわるジャパニーズデモクラシーについても、後日記したいと思いますので、乞うご期待\(^q^)/
最後に一言・・・内閣だけじゃなく、日本も世界も全員野球しようぜ!!