みなさん、ごきげんよう!にしこり

 

 

今回は、『いつかエッセイのコンテストに応募しよう!』という奇天烈くん全開のひらめきで、僕が数年前に書き下ろした名作を、みなさんに読んでいただきたいと思います\(^q^)/

 

 

名作の前座に・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

この腕時計は、僕愛用の機械式グランドセイコーくんです。

実は、僕は大の腕時計好きでして、今回は、不毛記事でなく、一部の方にしか響かないマニアックな曲者記事として、前段に花を添えたいと思います\(^q^)/

 

ということで、このグランドセイコーくんのイケてるポイントを、今からみなさんに押し付けていきます\(^q^)/

 

我らが日本の時計メイカーであるセイコーさんは、超硬派なことで有名です。

グランドセイコーくんのシリーズは、その中でも特に硬派な存在で、実用時計の最高峰を目指しています。

そんなバックグラウンドを持つ僕のグランドセイコーくんは、ホントにお利口さんです。

まず、シンプルなデザインで出しゃばりません。

それでいて、よく見ると非常に整った端正なお顔立ち。

ですので、冠婚葬祭、どこに連れて行っても恥ずかしくない存在です。

お仕事にも熱心です。

精度の優秀な時計だということを保証するスイス公認クロノメーター規格というものがあるんですが、ストイックなセイコーさんは、クロノメーター規格を超える条件で独自のグランドセイコー規格というものを持っています。

つまり、グランドセイコーくんは、とんでもなく時間が狂わないやつということです。

自分の仕事をしかっりこなすグランドセイコーくん、思いやりもある子なんです。

グランドセイコーくんは、72時間分のゼンマイを巻き上げることができます。

これは、平日の5日間時計をはめて仕事をして、週末にグランドセイコーくんをお留守番させてオフを満喫しても、月曜日の朝にまだ動いているということです。

ご主人様の過ごしやすいように、どこまでも献身的です。

 

どうですか?

グランドセイコーくんって、中身も外見も兼ね備えたお利口さんでしょ?\(^q^)/

・・・これって、何かに似てますねぇ。

 

ということで、結論としては、グランドセイコーくんは僕みたい\(^q^)/

 

 

さてさて、本題に入っていきましょうか。

今回の前段を腕時計の話にしたのは、僕の名作エッセイのキーワードが時間だからです。

 

とある時間旅行者とのふれあいを綴った松木ワールドへの入場ゲートがグランドセイコーくんでした\(^q^)/

 

思い付きかと思いきや、実に計画的であったという僕らしい前段で、みなさんの中のエッセイ読みたい機運も一層高まったことでしょう\(^q^)/

 

 

それでは、名作エッセイを以下に記載させていただきますので、有り難く拝読ください\(^q^)/

 

 

 

タイムトラベラー

 

  これは、僕の人生観や生き方に影響を与えた、ささやかでありながら大きなエピソードである。また、『事実は小説よりも奇なり』という言葉を実感した話でもある。

  僕の母は、今年で61歳になる。昨年還暦を迎え、誕生日には長男である僕が主体となり、ささやかなお祝いをした。母は音楽が好きで、古いレコードをコレクションしていたが、家にはレコードプレイヤーがなかった。いつか昔のレコードを聴きたいと常々話していたので、還暦のお祝いに、レコードプレイヤーのプレゼントもした。余談ではあるが、とても喜んでくれている母を見ながら、いつも自分を支えてくれた両親に、これからは恩返しをしなくてはと心密かに誓ったものだ。

  上機嫌な母は、若い頃に流行っていた、サイモン&ガーファンクルの『Mrs. Robinson』を聴きながら、とりとめもなく、自らの父親に対する想いを語り始めた。母は、中学一年生の時に父親を亡くし、以来、母子家庭で育った。当然のことながら、僕は母方の祖父に会ったことがなく、『町内の仕事を手広く請け負う管工事の会社を経営し、いつも家にいなかった』、『ワンマン経営者だった祖父の死後、会社は瞬く間に傾いて倒産してしまった』、『祖父母の結婚の馴れ初めは、祖母の祖父に対する一目惚れ』ということくらいしか、祖父に関する情報は持っていなかった。饒舌に喋る母のとりとめもない話の中で、僕の知らなかった祖父に関するエピソードが出てきた。

  母の話によれば、数年前、母の実家のお隣さんから、「家を建て替えるので、お父さんにやってもらった配管を新しいものに替えさせてもらってよいだろうか」という、律儀すぎるほどの断りの連絡があったそうだ。母は、「ご丁寧にありがとうございます。お気になさらず、新しいものに替えてください」と答えたそうだが、内心、父親との思い出が消えてしまうようで、寂しい想いがしたという。多感な思春期に父親を亡くし、あまり家にいなかった祖父との思い出が少ない母からすれば、日頃、その存在を意識することもなかったであろう隣家の配管も、改めて話されれば、大切な思い出に感じられたのだろう。

  律儀すぎるほどの断りの連絡から数ヶ月後、また、例の隣人が、律儀すぎるほどの報告の連絡をしてくれたという。その内容は、「おかげさまで、無事に家を建て替えることができました。取り壊し工事の際に、業者の方から『こんな綺麗な配管は見たことがない。とても良い仕事をされている』という言葉を頂きました。思い返してみれば、この50年の間、一度も、水漏れやその他のトラブルもなく、快適に生活をすることができました。本当にありがとうございました」という、多分に謝意の含まれたものだったそうだ。

  この話をした際、母は事実を並べて述べただけで、自分の感想などを語ることはなかった。しかし、嬉しそうな母の顔が、全てを物語っていたように思う。そして、僕も、会ったこともない、どんな人だったのかもよく知らない、そんな自分の祖父を誇らしく思った。

  先にも記した通り、祖父は町内の仕事を手広く請け負っていたという。同業者の中には、祖父のことを快く思わなかった人もいたに違いない。しかし、祖父の実直な仕事は、隣家の住人の快適な生活を守り、僕たち家族に感動と誇りをもたらした。

  このエピソードは、ささいなものかもしれないが、僕の人生観に大きな影響を与えた。

 

  人は、時を越えることができる。生きていく道を示すために、祖父は僕らに会いにきてくれた。僕は、その祖父の姿を見失わないことを自らに厳命する。

 

  ありがとう、じいちゃん。

 

 

 

・・・普通に名作だったでしょ?\(^q^)/

 

このブログを読んでくださったことをきっかけに、みなさんに親御さんとお話しする機会があれば幸いです。

 

 

 

最後に一言・・・大分に元気とまつき!!