忘れたい。考えたくないことが多過ぎた人生で
過去の記憶を失っていた事に気付かされる。
生きて行く為に忘れるという防御を身に付けて来たのかもしれない。
今封印して来た竜宮城の玉手箱?パンドラの箱?心の扉を開けてみる。
(なんかかっこいい言い方をしてみた)
30歳の時に一度目の離婚をすることになった。
子供と離れ離れになった時の心の喪失感だけが記憶の奥底にしまってある。人生が上手く行かない事を、自分のせいだなどと認めることはどうしても出来なかったあの頃の自分。
今は120%自分が悪かったと思っている。
明らかに器が小さかった。
今若い人達を見ていると、30歳ぐらいからの時期は良くも悪くも、勢いに乗る頃なんだろうと思って見ている。怒られながら仕事を覚え、ようやく一人前になり、後輩も出来る。頭角を現し始める頃なのかもしれない。私も人生で一番調子に乗っていた頃だ。辛い時はギャンブルをすれば嫌な日常から逃れられる、その経験を肌で知ってしまっていた自分は大切な物を失った悲しみから逃れるためにギャンブルに明け暮れていたのかもしれない。それと同時に…
この頃、私の両親は社交ダンスの講師をしていた。「shall we dance?」が流行っていた頃だ。
私は一時期社交ダンスに夢中になった。
テレビでは芸能人の社交ダンスも取り上げられていて、私も芸能人と同じフロアでダンスをしたのを覚えている。
そこでふと学んだ事を今思い出した。
そこで気付かなかったから今の気付き。
人って体幹が大事。芯が大事。
生きて行くにはブレない心と体が大事なんだとつくづく思う。
ダンスで学んだこと。何回も何回も汗を流しながら繰り返し繰り返し練習して学んだ事があった。
この人達、凄いなぁ〜と思う世界チャンピオンのような人の踊りを見ると、華やかで実に大きく
踊っているように映る。
目に映る素晴らしい踊りを真似てみると、実は現実からどんどんと遠ざかって行くのだ。
大きく動こうとすればするほど体幹はブレる。
実は小さく芯で動いてる人ほど、見た目には大きく映る事を知った。考えている事と、人に与える印象は180度真逆なんだなぁと考えたことを今思い出した。
その経験は、自分にとっては大きく、物事を考える時には、「逆に」という想いは常に教訓になっている。ネガティブな感情をポジティブに考えて行くとき、自分の偏った思考だけでは想像できないことがある。逆に?と考えると、なるほどそうかもな〜と思う事ってけっこうあったりする。
私も、ギャンブルを手放せないでいた時、遠い未来の不安が脳裏をよぎっていた。ギャンブルをしていない自分が想像すら出来ない。苦しみに喘いでいる姿を想像してしまっていた。
一日一日をやめるだけなのに、その一日さえ踏み出す勇気を持てずに苦しんだ。
ギャンブルをやめなきゃ、やめなきゃと負の感情が脳と心を支配する。それがいつしか、やめたい!やめるんだ!という感情が湧いて来た時自然と心は元気になる。
自助グループもそうだった。行きたくない行きたくない、そればかりだった。
どうすれば楽しくなる?
考えて、行動する。そのおかげで今は幸せな自分になる未来しか想像が出来ない。
こんな自分も、最後はギャンブルという大きな落とし穴に落ちた訳だが、これも、ギャンブルで一発当てて!なんて、どこか大きい自分になれるのではないかという妄想と錯覚だったんだと今では思う。
大きな穴に何回も落ちて、痛っ!て思いながら
歩いて来たけど、何も考えずに携帯を見て歩いてたら、そりゃ落とし穴にも落ちるなぁと。
しっかりと、前を向いてこの辺に穴がありそうだなぁと歩いて行けば、大きな怪我はしなくて済んだのに…という意味で例え話をしてみました。
今日は恒例の自助グループの日だ。
本当に1週間があっという間にやってくる。
ギャンブルやってた時は、とにかく長くて憂鬱な日々を過ごしていた。
苦しい時間の連続なのだから、当たり前か
昨日、先輩からメールをいただいた。
風邪など引いてないですか?という暖かい言葉と
「明日のテーマはどうしますか?」
「ヒントを下さい」などと言葉をくれる。
まだ繋がったばかりの自分を頼るフリをしてくれる。有り難いことだ。
私も、こうしてブログを書かせて頂き、共感してくれる方達のおかげで、毎日テーマを掲げ考えさせて頂いてるおかげで気持ちが溢れ、話したい事はいっぱいあるので、テーマに困る事がないという相乗効果もある。
人間の芯の話しを書いたけど、自分を大きく見せようとしてる人って威張っていたり、強い人には媚びたり立場の弱い人にはあたってみたり、器ちっちゃ!って人周りに居ないですか?
本当に器の大きい人は、何事にも謙虚な姿勢なのに、ブレない人だと思うのですがどうでしょうか?そんな事を考えながらGAを楽しんで来ます。
今日も有意義な1日にしたいと思います。
皆様にとっても良い1日になりますように