俺から見た俺 ① | ギャンブル依存症からの脱却。

ギャンブル依存症からの脱却。

ギャンブル依存症を通し、自分を見つめ直し日々考え人として成長していく為のブログ

物心ついた時から俺は男だった。


自分を振り返ってみようと思う。


俺の両親。父親は強く、母親は優しく、姉は要領はよく、わがままなところがあるが弟想いの優しい姉。4人家族だった。


両親は高校時代の同級生で二十歳で結婚して姉と俺を産んでくれた。21歳と24歳という若さだ。


両親と姉にはなんの不満もなく、いつも俺を可愛がってくれた。


終戦の年に生まれた両親は惣菜屋を営みながら俺と姉を育ててくれた。


今54歳の俺からしてみたら、俺を産んだ24歳の頃の2人はどれだけ若々しく見えるだろうか。


小学生の頃の俺は多分ジャイアンのような、ガキ大将だった。

体も大きく同級生とはクビ一つぐらい違い、周りの子達を束ねる番長的存在で威張っていたと思う。

小学3年生から野球を始め、同じ頃から柔道を始め年上相手でも劣らない体力があった。

野球でもピッチャーで4番。

今思うと1番輝いていた一瞬。


自分自身の性格について考えてみた。

小学校高学年ぐらいになると自分は鼻水垂らした生意気なクソガキだった。

のび太やスネ夫ような周りの人達からは恐れられていた時期があったかもしれない。


それでももっと幼い頃はいつも姉の後ろをついて回り女の子達と、女の子が好む遊びをしていた記憶がある。少女漫画とかも好きだった


俺はどちらかと言うと女性らしい考え方をしている方なのかなぁとさえ思う。

曖昧な記憶だけど、女性用のカツラを被らされたり、ふざけて母親の化粧をされて弄られたり、それでも満更でもなかったようないい気分だった事を思い出す。


どっちが本当の自分なのか分からない。


幼少期から中学生ぐらいまでは俺は調子に乗っていた。威張り腐っていた俺がその後人生で初めての挫折を味わうことになる。つづく。


次回❗️中学生時代の話し口笛




今現在の話し。

本日でNOギャンブル35日目。

いよいよ本格的に秋のG1レースウィーク突入ですね。

ギャンブルをやらないという気持ちは強く待ってるのだけれど、なんか心がざわつきます。

こういう心のモヤモヤをいつまで繰り返すと、意識のないところへ追いやってくれるのでしょうか?


それでも今日1日ギャンブルの誘惑を断ち切る事が出来ました。


一緒に戦ってくれてる皆様、励みになります。

ありがとうございますラブ

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