旦那がペットでひっかかったと、元事務員Y子が泣いていたのを思い出す。
泣いたってどーにもならんし(冷たい?)
ペットって糖分があるとこが光るだけで、そこが癌かどうかなんて分からない筈。
そもそも癌は誤診が多い。
ちゅーことで、
野村さんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
↓↓
2人に1人ががんになると言われる時代。それは本当にビビらなきゃならない事なんだろうか?オラオラボケコラばっかり書いてるのにも飽きてきたので、ちょっとは真面目なエッセイ風投稿もしてみようと思う。バイオ企業の経営者なのでジャンルは生命科学とかが多いかも…。眠れない時の暇つぶしにでもご覧下さい…。【連載第1回】がんは「死に時」のスイッチか?― アポトーシスが語る、生と終焉の設計図がん細胞は、自ら死ぬことをやめた細胞である。そう言うと、少し意外に思われるかもしれない。だがそれは、細胞に備わる“最も重要な死の機能”を失った状態である。通常、私たちの体の細胞は、ある一定の役目を終えると、自ら静かに姿を消す。これを「アポトーシス(apoptosis)」と呼ぶ。ギリシャ語で「葉が静かに落ちること」を意味するこの言葉は、生命の秩序を守るための美しいシステムを象徴している。細胞が勝手に死ぬ。それは自然の調和を守るためである。傷ついた細胞、不要になった細胞、暴走の兆候を見せる細胞は、他の細胞や組織に迷惑をかける前に、プログラムされた手順に従って自死を遂げる。この“秩序ある死”のおかげで、私たちの体は静かに保たれている。ところが、がん細胞はこの指令を拒絶する。⸻“死なない細胞”が、個体を死に追いやるがん細胞は、アポトーシスに反応しない。むしろ、それを回避するための遺伝子変異を獲得し、生き延びる術を発達させる。皮肉なことに、それは「細胞としての生の勝利」ではなく、「個体としての死の始まり」である。細胞はあくまで“部分”であり、それが全体のルールを破ったとき、全体=個体は崩壊へと向かう。がんとは、“死にたがらない細胞”が現れることで、逆に“人間という生命”を終わらせるプロセスにほかならない。⸻なぜ、がんは年をとってから現れるのか?私たちはふつう、がんを「病気」として捉える。できる限り早く見つけ、治療し、取り除く対象だ。だが、がんの多くは高齢になってから出現する。80代、90代といった人生の後半になって、ようやくその存在が現れる。これは偶然だろうか? それとも必然なのだろうか?アポトーシスの制御機構は、加齢とともにゆるやかに失われていく。“死ぬべき細胞”が“死にたくない細胞”へと変化し、その暴走が身体の内部から始まる──それはもしかすると、私たちの体が「そろそろ終わる時期です」と静かに告げている合図ではないか。⸻生きすぎた細胞、生ききった身体がん細胞は、ひとつの細胞が“生きすぎた”ことで始まる。だが逆にいえば、それが現れた時、人間という存在は“十分に生きた”とも言えるのではないか。自然のなかで、あらゆる生命は“死に時”を持っている。人間だけが、それを「敵」として見ようとする。がんは、進化が仕組んだ“静かな終末の設計”かもしれない。それは、暴力ではなく、内側から穏やかに始まる、自律的な幕引きである。⸻次回予告第2回「細胞が死ぬことは、なぜ“美しい”のか」アポトーシスの精緻な分子機構と、そこに潜む“寿命の知性”を読み解く。⸻ご希望があれば、このままシリーズとして第2回以降も継続してみます。お暇ならお付き合い下さい。











