【パラレルワールドの効果】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

リアルタイムは総会に行く準備でバタバタしてるとこ。

同窓会関係はめちゃバタついてて、本業関係も先が見えないんだけど、

私個人の先はなんとなく理想に近づけるんじゃないかと思えてきたよ。

 

チョジョが代表登録者になってくれたら空き家バンクの内観が出来る。

倉庫付き庭付き畑付きの素敵古民家がいくつかあって、建てるよりも安かった。

リフォームは必要だけど、最低限やったらあとは自分達で進めればいい。

大幅リフォームが必要って書かれていたけどカマド付きもあった。

 

庭には果樹を植え放題。

薪ストーブも置けるしなんならピザ窯だって作れる。

薪は実家から貰えばお互いに助かる。

 

2階にゲストルームも作れる。

なんなら年に数回マルシェとか開いても面白いかもだ。

 

妄想が現実に近付いてる今日この頃。

津波が来たってたぶん届かない標高400㍍の山の上なのだ。

 

って山暮らしを妄想していたら蚊帳が届いたよ。

古民家を買ったら大きな蚊帳も買いたいな。

 

なんか楽しくなってきた。

ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪

 

 

ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

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 【パラレルワールドの効果】

 

両親がものすごい喧嘩をしていたりすると、子供は無意識に姿を消す術を覚えてしまうことがある。姿を消す術というのは、意識で存在の気配を消してしまうことにより、見えてはいても、相手の意識に入らないようにしてしまうことで、これは忍者とか呪術師とかが習得して実践していたりもした。

 

両親が喧嘩していると、子供は自分が悪いのだと思い込んでしまう。それで、見つからないように隠れていようとして、無自覚にその術を使うのだ。こういう人は、姿を消す術を使っていることに自分では気がついていないので、ちゃんとそこにいるのに何故だか無視されたりすることがよくある。お店にいってオーダーしようとして手を挙げても、ちっとも気づいてもらえないという経験をたびたびしていたりする。そういう人は、何だか存在感が薄くて、無視しておいてもいいやと人に思わせてしまうようなところがある。

 

こういう人は、セッションをやっていても、何に困っているとか、何を求めているとか、あまりはっきりと言ってこないことが多い。自分に与えられたもので十分だと思う癖がついているし、それが普通だと思っているのだ。あれこれ要求してはいけないように思っている。こういう人に、子供の頃、両親の関係はどんな風だったのかと聞くと、しょっちゅう激しい喧嘩をして、子供たちがビクビクしていた子供時代があることが多い。

 

インナーチャイルドを解放する公開ワークショップの6回目で被験者を務めてくれた人は、お父さんがよくお酒を飲んで荒れていて、それでお母さんとすごい喧嘩になるのを見て育ったそうだ。自分が何かして助けるべきなのに、それができていないというような感覚をいつも持っていて、それが今でも、はっきりと自己主張ができない封じ込めになっていたようだった。

 

それで、彼女の子供時代の家族の場面にアクセスして、皆でリーディングしてみることにした。すると、やはりお父さんが酔っ払って荒れているイメージが出てくるのだけれど、どうしようもないような深い悲しみを感じているのが、胸もつぶれるような激しさで伝わってくる。狼が遠吠えするような声で吠えているイメージとして、それを受け取った人もいた。

 

自分の望むような人生を生きられなかったという深い悲しみがある。それをお父さんは、お酒に飲まれるようなことでしか表に出すことができなかったらしい。お母さんはそうしたお父さんと心が通じなくて、ただ喧嘩になるしかなかったようだった。

 

それで、お父さんはどういう仕事をしていたのか、本当は何がしたかったのかと聞いてみると、お父さんは愛媛のみかん農家の次男で、本当はみかん栽培をしたかったらしいということが見えてきた。九州や四国の農家では、長男だけが農家を継ぐものとみなされていて、子供の頃から長男ばかりが大事にされ、次男以下は何ももらえないのが普通なのだそうだ。次男以下は、何ももらえないのに、手伝いだけはやらされて、さんざんタダ働きさせられても、それが当たり前だみたいに思われているらしい。

 

ところで、お父さんは何でも育てて殖やすのが好きなのだそうで、それについては天性のものがあったらしい。だから、本当なら、みかん栽培には長男よりも向いていたくらいだったのかもしれない。だけど、長男が継ぐものという考えを変えようとは誰も思わなかったのだ。お父さんの、自分の人生を生きられなかったという大きな悲しみは、どうもそこから来ていたようだ。

 

前日のワークショップでも、被験者を務めたのが愛媛の人で、男の家族が自分の思うように生きられなかったという悲しみを抱えていた。愛媛といったら、夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台になった土地だけれど、物語の中で単刀直入の関東人の主人公は、はっきりとものを言わず、ヌメヌメとした態度の愛媛の男たちにイライラして、しまいには勤め先の学校を出ていくことになる。世界一と言えるほどの技を持つ船乗りたちの土地なのに、何だかはっきりしない性格になってしまったのだ。それは、海が封じ込められていった過去の歴史から来ているのだろう。封じ込めがある土地では、人々ははっきりとものを言うのを恐れて、まわりを見ながら、世間に合わせるような性質が代々引き継がれていくことがよくある。だから、もともとは強い男たちなのに、何だかはっきりしなくて、妙に弱腰だったりするのだ。

 

愛媛も、もともとは海の幸も山の幸も豊富で、豊かな土地だったはずなのだ。それが、長男一人しか農家で暮らしていけないようになったのは、明治以降、農業が搾取されてきたからだ。それで多くの地方では、農家を継ぐ子供以外は、外へ働きに出されるようになった。

 

それなら、長男だけではなくて、子供全員が皆で農家をやって、皆で豊かに暮らせているような世界をイメージで作って、お父さんの過去をそういう風に変えてしまおうということになった。過去なのかもしれないし、未来なのかもしれない。とにかく、そういう時代はあるはずだし、少なくともパラレルワールドのような形では存在しているはずだ。

 

それで、どうしてそういうことが可能なのかはわからなくてもいいから、とにかく皆で働いて皆で豊かになれているような世の中を想定することにした。だから、両親も長男だけでなくどの子も皆大事にして育てているし、両親自身も子供のときにそうやって育てられているから、感情的に満たされていて、子供を分け隔てなく愛して認められるということにした。

 

ところで、そういう世界を想定しようと決めた時点で、もうお父さんのイメージがすっかり変わってしまったのだ。さっきまでは、深い悲しみのあまり、狼の遠吠えみたいに叫んでいたのに、顔がまるでみかんになったみたいに、オレンジ色の光で内から輝きだして、まん丸になった。お腹から胸まで暑いくらい暖かくなって、喜びそのもののエネルギーを発し始めた。それを見ているだけで、さっきまでの胸がつまるような重さがすっかり解けて、幸せそのものの感覚を感じ始めた。

 

この人は、本当にみかんが好きでしようがないらしいのだ。それで、みかん農家は彼が中心になってやっているようだった。実際には農家を継いだ長男は、実はそれほどみかん栽培には関心がなかったらしく、海に行って魚を獲ったりしていた。弟は弟で、別な才能があって、そちらに行ったようだった。お父さんはみかんだけでなくいろいろなものを栽培して、農家は大いに栄えている様子だった。

 

彼女は、特にお父さんと気が合っていて、一緒にみかん栽培をするのが好きなようだった。お母さんは、自分に満足しているお父さんと一緒に暮らしているのがとても幸せで、夫婦は仲がよく、そういう両親を見て育った兄弟は、皆自然に自分を大事にして、人も大事にできる大人になったようだった。

 

争わなくても皆が豊かになれるのなら、結局、それぞれが自分が一番好きなこと、得意なことをやって、それぞれ満足し、成功して豊かになるのだろう。皆が豊かになる世の中だなんて、とてもあり得ないことのように思えていたけれど、イメージしてみたら、けっこういくらでもあり得そうに思えてくる。

 

現実と違う過去を作って勝手に変えてしまうなんて、そんなことをしてはいけないのじゃないかと私たちは思っているけれど、意識の封じ込めは、まさにそこにあるのだ。それというのも、意識の封じ込めとは、「こういう現実を受け入れるしかない」という刷り込みに他ならないからだ。それ以外の現実は存在しないし、それは不可能だと思っていたら、そこには意識が向かなくなる。まるで姿を消す術を使っているように、たとえ目の前に存在していても、意識に入ってこなくなる。

 

現実とは、実のところ、私たちの意識が作っているので、「そんな現実はない」と思っていたら、そういう現実はできていかない。ところが、パラレルワールドでも何でもいいから、「そういう現実もあるかもしれない」と思ってみると、実はそういう現実もあることに気づく。意識の魔法とは、実のところ、その原理を使っているのにすぎない。

 

何よりも、この瞑想を皆でやっていたら、他の人たちも皆オレンジ色の幸せそのもののオーラを出し始めて、すごい幸せ感を感じていた。意識の領域では、自分のことだろうと人のことだろうと関係がない。人の幸せな場面を想像したら、自分も幸せを感じるし、愛を送ったら、同時に愛が返ってくる。

 

被験者の彼女は、さっきまでは存在感がない感じだったのに、自分がちゃんと中にいるようなオーラを出し始めていた。これまでいつも、自分がまわりの人のためにあれやこれやをしなければいけないと思ってがんばっていたけれど、何もしなくていいのだと思えて、涙が出たと言っていた。それで、インナーチャイルドに「もう封じ込めないから、何でも好きなことをしていいよ。いくらでも大きくなっていいよ」と言ってもらった。すると、顔が内側から輝き始めて、びっくりするくらいきれいになったのだ。話し方も最初とは打って変わって、はっきりとした話し方になり、しっかり通る声が出ていた。他の参加者の皆も、その変化を見て、大きな解放感と幸せ感を感じていた。

 

それもただ、ないと思っていた世界を想像してみただけのことなのだ。ないと思っていたものが、あるという意識に変わったとき、私たちの意識は、そういう現実を作り出し始める。インナーチャイルドの解放とは、それ以外のものではない。

 

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画像は、

一枚目:愛媛の実家の場所。赤印のあたり。何となく明るく開放的になって、大分との繋がりが見える感じ。

 
 

二枚目:愛媛みかん

 
 

 

 

  

 

 

 

 

  

毎週どこかで上映会⇩

 

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

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