【竹生島のエネルギーのこと】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

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【竹生島のエネルギーのこと】

 

この何千年かの間、人類は戦いと支配の歴史を生きてきて、加害者になったり被害者になったりしていた。残虐な行いがあり、汚い策略があり、やった側がいて、やられた側がいる。それが、やられた側には犠牲者意識を作り出し、やった側には罪の意識を作り出す。そして、まさにこの被害者意識、加害者意識が、同じような状況を再生産していくのだ。

 

今、世界は戦いと支配の時代から、次の時代に移行しようとしているのだと思う。どっちが勝ったから負けたからどうだというような次元ではなく、6次元的な調和の世界へだ。そこへ移行していくには、私たちはこれまでの被害者意識、加害者意識から解放される必要があるのだと思う。何故なら、私たちの意識が現実を作り出しているのだから、そうした意識を持っている限り、被害と加害とがつねに再生産されてしまうからだ。

 

犠牲者の意識を持っている人たちは、自分が残虐な扱いを受けるような気がして、いつもビクビクとしていたりするけれど、そんな風にビクビクしていると、何か問題があったときに、責任を押しつけられたり、怒られたりする。人を利用する人間に出会ってしまって、そういう人を信用してしまったりする。あるいは、身を守らなければいけないように感じて反応しているうち、無自覚に加害者になってしまうこともある。その結果、本当に人からひどい扱いを受けるという状況が作り出されることになる。

 

一方、加害者の意識がある人は、別に自分が何かをしたわけではなくても、自分は罪深い人間で、生きていてはいけないような悪い人間なのだという思いを持っていたりする。まさにその意識が、まるで罰を受けるかのような状況を引き寄せたりする。それによって、致命的な病気にかかったり、事故に遭ったりすることもある。そしてまた、自分が悪い人間だという意識があると、無自覚に人にひどいことをしてしまったりもする。それによって、人から悪い人間だと思われ、憎まれる。まさにその状況を、そうした意識は作り出している。

 

とりわけ難しいのは、加害者側の意識を手放すことだと思う。罪悪感を癒やすこと。これは、先祖の記憶が、代々引き継がれていることも多い。何をしたわけでもない普通の人たちが、自分は生きていてはいけない人間だとか、幸せになってはいけないというような意識を、とても根強く持っていることも少なくない。

 

公開ワークショップ第4回の被験者を務めてくれた人は、父方が近江源氏に関わる家系で、過去には先祖がずいぶん殺したり殺されたり、騙したり騙されたりといったことに関わってきたらしい。父親は、倒れて首の骨を折るという奇妙な事故で、要介護状態になった。そのときに長女である彼女は、家族に対する責任を過剰に引き受けて、そのために病気になった。それも、先祖から引き継がれた意識が作り出していることのように思える。

 

それで、そのときの意識にアクセスして、何が起こったのかを、それぞれに見てみることにした。お父さんは、先祖がいつの時代かに、人を不意打ちにかけたり騙したりして殺すようなことにさんざん関わっていたらしく、そのために、いつか自分もやり返されるのだというような意識を持っているように思えた。首の骨を折ったというのも、誰かの首を斬ったことがあるとか、やり返されて首を斬られたとかの先祖の記憶から来ているようだ。お父さんの魂は、予期していたことが起きたという意識、当然の報いを受けたのだというような意識があるように思えた。これで罪を償えたというような意識も感じた。

 

被験者の彼女は、そういうお父さんを守ろうとして、自分が先祖の罪を一手に引き受けようとしているように思えた。不可能な課題をやり遂げなければならないというような意識があり、それが自分を犠牲にしてしまうことになっているようだった。

 

これを解き放つには、この戦いの歴史を丸ごと変えてしまうしかないのだろう。戦いの世の中で、残虐なこと悪辣なことをしたりされたりしていた人たちも、もともとは山や海から幸をもらって平和的に共生していた人たちなのだ。本当は誰だって、そうした世の中に生きていたかったはずだ。

 

父方は、滋賀県と岐阜県の間の関ヶ原の南にある山岳地帯に住んでいたというのだけれど、そのあたりは砦や城の跡もいろいろとあり、戦いの絶えなかった土地のようだ。落ち武者の隠れ里なども多数あったのかもしれない。それなら、そのあたりのエネルギーにアクセスして、そこにある戦いの記憶に、「もう加害者と被害者で争うゲームは終わったから。今までどうもご苦労さま。ありがとう!」と軽い感じで言って、終わりにしてもらったらいいんじゃないかと思った。

 

ところで、琵琶湖に竹生島(ちくぶじま)という島があり、そこがとてもパワフルなエネルギーがある場所なのだという。そのエネルギーを解放したら、琵琶湖周辺の戦いの記憶も癒やされるのかもしれないということになり、竹生島にアクセスすることにした。そして、そのエネルギーを、琵琶湖のまわりの山岳地帯に繋いで、闇の記憶を浄化してみようということになった。

 

こういう土地のエネルギーにアクセスするときは、画像などから自分がそこにいるように想像して、地面のずっと下の方に意識を向ける。そうすると、封じ込められている力にアクセスできるのだ。そして、その力に外に出てきてもらう。

 

竹生島の下から出てきたエネルギーは、まるで黒っぽい緑の龍のように見えた。身体が熱くなって、心臓がドキドキしてきた。このエネルギーは、アグン山から出てきた存在にも似ている。闇の存在のようだけれど、その力が解放されると、光と闇の戦いの次元を超えてしまう。善悪の彼岸の次元だ。

 

緑の龍ではなく、白龍と黒龍がぐるぐるまわっているイメージで受け取った人も多かった。陰陽図のようにだ。光と闇が戦うのではなく、和合する。

 

この力のことは、言葉で説明するのがとても難しい。私たちは、人を攻撃すること、騙したり傷つけたりすることは悪いことだから、何があってもやってはいけないと思っている。しかし、悪党たちはそれを平気でやっているのだ。いつだって、騙し討ちにかけて、相手がやらないような非道なことをやった方が、戦いに勝つことになっている。そうしたことが、もう何百年何千年と続いていて、未だに変わってはいない。

 

竹生島から出てきた力とは、その制限を外して、力を対等にしてしまうのだ。そこには、何が正しい何が悪いという制限はない。善も悪もない。ただ、それぞれが自分の身を守り、自由を守るために、あらゆる力を使うことができるというだけだ。

 

その力が解放されたとき、相手よりも非道なことをした方が勝って、相手を支配するというゲームは終わってしまう。誰もが自分の身を守ることができる。野生動物は、その原則に従っているから、必要なときに喰ったり喰われたりはしていても、一方が他方を支配するということはない。どちらも対等だし、どちらがどちらより強いということもない。牙を持っていない動物は、牙を持つ動物よりも速く走ることができる。どの手を使ってはいけないということはない。それぞれが独立して、主権を持って生きている。だからこそ、いつでも大きなバランスが保たれていく。

 

支配者は、まさにこの力をまっさきに封じ込めるのだ。支配された人々は、当然ふたたび自由になろうとして、戦おうとする。そこで、攻撃したり暴力を振るうのはいけないことだという規則が、一方だけに与えられる。

 

善悪の概念というもの。もちろん、人を傷つけたり騙したりすることは、それなりのことでもなければ、やるべきことではないけれど、支配の世の中では、それが上から一方的に与えられているというのが事実なのだ。生徒は暴力をふるってはいけないけれど、先生は生徒に暴力をふるうことができる。先生に暴力をふるい返すのは、最も悪いことだということになっている。そこに目を向けたとき、善悪の概念というものも、決して絶対的なものではなく、実のところは支配ー被支配の関係にすぎなかったことがわかってしまう。竹生島に封じ込められた力とは、まさにそれだったのだ。善悪の概念を外して、力を対等にし、支配を終わらせてしまう力。

 

もしもこの力が封じ込められていなかったら、山や海で自然と共生しながら平和に生きていた人たちが、誰かの命令でたがいに戦ったり殺し合ったりすることもなかったのだ。この力を解放して、琵琶湖の周辺のすべての時代のすべての戦いの記憶に送り込む。すると、たがいに殺し合っていた人々が、まるで時代劇の撮影が終わったあとのように、たがいに肩をたたいて語り合い、笑っているイメージが現れた。

 

何百年何千と続いた戦いと支配の時代も、この力を封じ込めることで作り出されていたのだとしたら、その役割が終わったときには、再び封じ込めを解かれて戻っていくことになるのだろう。戦いの時代を経験したのも、おそらくはそれによって進化していくためなのだ。だとしたら、この封印が解けたということは、支配と戦いの時代ももう終わりが来たということなのだろう。

 

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画像は、

竹生島(ワークショップで使った画像)

 

 

琵琶湖と関が原の南の山岳地帯の衛星画像(赤い丸が竹生島)。関ヶ原の南のあたりが、明るい感じになっている。

 

映画「アバター」に出てくる緑の龍

 

 

ワークショップの翌日の雲

 

 

 

 

    

 

  

毎週どこかで上映会⇩

 

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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本部がかき氷を作るのだけど、シロップにまで手が回らないので各店舗で販売する計画(らしい

私は16日のマルシェ用にヤマモモのジャムを作る予定なので、カキ氷用にヤマモモシロップでも仕込んどこうかな。

ヤマモモジャムのせても美味いと思う。

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