働くのが当たり前になっている  ”お金というものを使わなくていい社会が良いなぁ~と思うならば、” | キセキを紡ぐ Rut of hope

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毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

バイトを辞めたジジョが暇そうなので、伝票を捨てるのを手伝ってもらった。

「暇そうやね、なんかバイトでも探したら?」と言ったからなのか、朝からずーっとリビングに居たのに、自室に戻ってしまった。

 

 

 

働いてないから肩身が狭いのか?と思った瞬間若いころのことを思い出した!

当時は女性は半分以上高卒で就職。

働かずに家で家事を手伝うと言うコースもあったのだ。

「家事手伝い」 「花嫁修業」と呼ばれてた。

結婚が決まってなくても、嫌味でも皮肉でもなく「花嫁修業」だった。

 

今同じことをやっていたら「ニート」と呼ばれるんだなぁ。

就職が向かないタイプだっているのに。

 

結婚して働くのは少数派だった。

友だちはみんな専業主婦になった。

共稼ぎは住宅ローンに追われた気の毒な夫婦のイメージだった。

(仕事が好きで働いてる私は珍しがられた)

そう考えるとPCもスマホも無いけど、当時は豊かだったんだなぁと思う。

 

みんながやりたいことをして生きていける世界を想像することにしよう。

想像して創造するのだ!

 

 

ちゅーことで、本文一部転載↓↓いつもありがとうございます。

 

今日(昨年のブログ)のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

 

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 

横並びの個の時代は、提供しあう社会です・・とお伝えすると、私には何も人に提供できるようなことがありません、・・とご心配される方がいらっしゃいます。

 

何も心配はいりませんので安心してください。

提供するということは、何か特別なこと、特別な技能だけではありません。

 

あなたが出来ることを提供すればいいのです。

 

でも、出来ることなどないのです・・と、おっしゃいます。

出来ることがない方などいません。

あなたが出来て当たり前だと思っているからです。

 

自分に出来て当たり前のことは、他の人も当たり前に出来ること・・と思い込んでしまっているのです。

 

ボタンがとれてしまって、ボタンをつける・・あなたはそんなことは簡単に出来ます・・と思っているかもしれませんが、ボタンをつけることが苦手でやりたくないと思う人もいるということです。

ならば、ボタンをつけるということを提供してください。

 

植物を育てるのが得意な方は、植物を育てることを楽しんでください。

あなたが育てた植物を見た人が、ほっこりとした気持ちになる・・それも、提供していることになるのです。

 

何か形あるものを提供することだけが、個の時代の提供するということではありません。

いまの社会のように、はっきりとした利益?だけを提供するのではないのです。

 

あなたが何気なく歌っている歌、ハミングを聞くことで、あなたの楽しいエネルギーが他の方にも共振して、その方も楽しくなる・・・それも提供することになるのです。

 

ちょっとだけ、子どもを見ていてくれますか?と言われて、良いですよと、子どもをみていることも提供することになるのです。

重いものを持って差し上げることも提供することなのです。

 

提供しあう社会・・と言っても、そんなに難しく考える必要はありません。

他の人がちょっと手伝ってほしいと思うことを、お互い提供しあえばいいだけのことです。

 

ちょっと手伝ってほしいと思うことは、生活の中にあります。

生活の中のちょっとしたことなのです。

 

ちょっとしたことを手伝いあえる(提供し合える)社会なのです。

だから、何か特別な技量や、特別なことが出来ないから、私はその社会にはいられない・・などと思わないでください。

 

あなたが毎日の生活の中で、何気なくしていること、楽しんでることただそれを提供すればいいだけのことです。

そして、あなたが苦手だと思うこと、あまり好きではないと思うことをそれを他の人にお任せすればいいのです。

 

横並びの個の時代・・そんなに特別な社会だと思わないでください。

特別な、いまとはまるで違う社会だと思ってしまうと、難しいと思ってしまうと、ブレーキを踏んでしまいます。

 

いまの生活の中でも十分に出来ることです。

ちょっとだけ、いまの生活の中でお互い手を貸しあえばいいだけのことです。

 

手を貸し合うことが自然に出来るようになれば、すぐに提供し合える個の時代の社会になります。

ちょっと前の生活がそうでした。

 

じょうもんや江戸ほど昔ではなく、何十年か前はそのような社会だったのです。

その頃の人たちに、その頃の生活、人々の関わり方を聞いてみてください。

 

そうすれば、イメージが出来ます。

 

イメージが出来れば、現実化することが出来るのです。

 

私たちが提唱する個の時代は、特別な社会ではなく、ちょっと前まであなた達がしていた生活だということです。

 

お金という概念があっても、無くても、出来る社会なのです。

お金はただの手段です。

 

お金というものを使わなくていい社会が良いなぁ~と思うならば、提供しあう社会を先にイメージしてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」