続きです。

 

ここで、「精神科と他の診療科との決定的な違い」の一つに触れたいと思います。

それは、“「精神科の診断」は、専門家たちが(勝手に)決めた「病気」や「障害」の枠組みを、個人個人に後付けで適用している”ということです。

…少し分かりにくい表現ですよね。これを、「発達障害」という診断名に当てはめて具体的に説明したいと思います。

「発達障害」という概念は近年社会的にも注目されています。しかし、「発達障害」という診断名は原始の時代からこの世に存在していたわけではありませんよね。どんなに古く見積もっても、せいぜいここ70年くらいで世に出てきた話なのです。つまり、現代で「発達障害」という診断を受ける方が、もし100年前に誕生していたら、「発達障害」という診断を受けることなどなかったわけです。その当時には「発達障害」という概念すら存在していなかったわけですから。

 

また、時間を過去に遡ることはなくとも、これと同様の事態は起こり得ます。

どういうことでしょうか。仮に、全く同じ行動を取るお子さんが二人いるとします。お一人はなんらかの事情で小児神経科や児童精神科を受診して発達障害という診断名がついている。もう1人のお子さんはまたなんらか別の事情で受診には至らず、診断名はついていない。

そして、後者のお子さんが、特別な支援教育を受けることなく成長して大人になり、社会人になり、一生診断を受けることがないまま天寿を全うするということは、十分にあり得ます。

 

…この話を聞いて、どのように思われるでしょうか。

「いったい発達障害と診断することって、なんなんだろう」「どういう意味があるんだろう」という風に思えてこないでしょうか。

 

さて、前半のブログで私はこのように書きました。

“その子どもさん個人の事情に応じて園が、保護者および子どもさん本人と相談し、双方が主体性を持って考えるべき内容を、「発達障害」という診断名のもと、保護者や子どもさん本人および医療に一方的に押し付けているように思えるのです。”

 

実はこれと似たような現象は、今回のニュースに限らず、あらゆるコミュニティーの次元単位で起こっています。小さいレベルでは一家庭の中で、そしてより大きなレベルでは園、学校や自治体、そして私たちの社会全体の単位で、同じ現象は(程度の大小はあれど)頻繁に見聞きされているのです。

 

先ほどの発達障害の診断の話で引き合いに出した、「発達障害と診断を受けた方が、もし100年前に生まれていたら」…その方が社会的な困難を生じていても、当然病院に行くことはなく、その周囲の方がなんらかの対応をしていたはずです。例えば、夫婦間に問題が生じたということであれば、仲人さんやそれぞれの両親が間に入っていたかもしれません。あるいは、お節介な近所の方や、地域の寄り合いのメンバーが相談に乗っていたのだと思います。

そして現代では、その相談先が病院になった。…ある意味、それだけです。

 

もちろん、病院を受診することに意味がないわけではありません。また、「発達障害を疑って病院に行くべきではない、全部自分たち周囲で解決すべきだ」と言いたいわけでもありません。

先ほど私は「専門家たちが(勝手に)決めた「病気」や「障害」の枠組みを、個人に後付けで適用している」と書いてしましたが、その枠組みを決めた“専門家たち”は、一人一人の患者さんのご様子を丹念に観察して書き記し、並並ならぬ労力を費やしてひとつの知識体系を作り上げました。「発達障害」と呼ばれる障害特性に当てはまる方が一定数世の中にいらっしゃること、そして個人差やその濃淡はあれど、お一人お一人の困りごとやそれに対する対応について、一定のパターンがあることは間違いない事実で、それは100年前と現代の決定的な差です。

 

しかしそれと同時に、「未だ発達障害は病院で“治療”できるものにはなっていない」あるいは、「“治療”するという問題のものではない」ということも、また事実なのです。

別の言い方をすると、以前のブログ(https://ameblo.jp/matsui-kokoro/entry-12611116087.html)でも言及した通り、「病院を受診したら医者が全部解決してくれる」ことはない、ということです。

 

「薬を飲んだら発達障害が治る」と誤認されている方もいらっしゃいます。薬剤についての説明も長くなるため、別日のブログに譲ろうとは思いますが、大まかに言ってしまうと、「一部の症状に有効な薬剤は確かにあるが、飲んだだけで発達障害の方が抱えるありとあらゆる問題が解決するわけではない」‥という結論になります。

 

いろいろと回りくどい言い方になってしまいましたが、今回のブログでの私の考えをまとめると、以下の通りです。

・発達障害をはじめとした精神科の診断というものは絶対的なものではなく、未だ発展途上の概念にすぎない。「万能の治療法」は存在しない。

・とはいえ、診断は荒唐無稽のものでも当て推量のものでもない。精神医学・児童精神医学には確立された学問体系があり、私たち専門家は蓄積された先人たちの知識を有効に引き出し、それに準じたアドバイスや薬の処方、社会復帰支援等を行なっている。

発達障害をはじめとした精神科の診断は、「病気」「障害」というレッテル貼りになるべきではない。診断名がつこうがつくまいが、大原則はご本人個人の事情に応じて、本人とその周囲の人、および医療者全員が主体性を持って問題に取り組むことである。誰か1人に丸投げされることはない。

 

‥ちょっと厳しい言葉遣いが多い記事になってしまったかもしれません。

とはいえ、とても大事なお話ですので、引き続きこの周辺のテーマにはブログ内で触れていきたいと思います。