こちらの写真は
手前の白いユニホーム1号艇が
おとうちゃんです
おとうちゃんの
引退レースの写真となります
おとうちゃんは
インの松居として競艇界で君臨してきました
公営ギャンブル・競艇は
1952年🚤 昭和27年
九州は大村競艇場で産声を上げました
父は初競艇レースに
選手として出走
こちらが、その時の写真なんですよ
その後は
「インの松居亅として
64歳まで選手として踏ん張った父です
競艇選手は減量と戦い続けないとなりません
おとうちゃんの人生は
賞金を稼ぐ為に
充分な食事を取れない人生でした
そのおとうちゃんのお陰で
私は大変裕福な環境で育ちました
おとうちゃんは
兄弟の借金も背負いました
土地区画整理図をご覧くださいね
赤い部分が父が所有する土地です
地方ではありますが
減量と戦いながらすこしずつ
土地を買い足して
大通りに面した
広い土地を
父は手にしてきたのです
危険な仕事をしてきた父
再起が危ぶまれた大怪我も
レースではありました
しかし、、、
父は立ち上がり続け
競艇選手としての道を貫きました
最後は要介護4になりましたが
もう一回ボートに乗りたいと…
私には話していたんですよ🚤
みなさん…
おとうちゃんの話に…👂
お耳を傾けてくださいまして
ありがとうございます
命日でしたが
大したことはしてやれませんでした
おとうちゃんへの供養だと思って
今日はお話させていただきました
話せたことに感謝しております
🌹ありがとうございました🌹