顔が崩れて…



舌にも麻痺が入ったことから…


話すことも失った松でした






入院をした順天堂大学病院では


さまざまな検査が行われました




その結果、病名は


右顔面麻痺



原因はストレスにより


小脳の働きが悪くなってしまい


その影響が


三叉神経を刺激してしまい


顔面麻痺を引き起こしたことが


わかりました




振り返れば…


息子が生まれてから


アトピー性皮膚炎との


壮絶な戦いは


4年にもおよびました




その間、夜の痒みは看病をする


母の私の睡眠を蝕んでいました





その同時進行で


離婚に向けた数年間に


跨いだ戦いは


心身共に


大きな打撃を体に与えていました




知らない間に


連帯保証人になっていた事実は


計り知れないくらいのストレスでした



同時に深い悲しみでもありました




しかし、息子を抱えて生きていくために



大きな決断をして


相手方の借金を背負う決意をした離婚



その環境の中で



息子を


なに不自由なく育て上げる為にも


無我夢中で働いていました




これらすべてのことは


紛れもない大きなストレスでした



とうとう…


体が悲鳴を上げたのでしょう



その結果が、顔面麻痺




いつか病に襲われる恐怖は


若干なりとも感じてはいましたが



しかしながら、


まさか、その病が


商売道具でもある顔に


現れるとは


夢にも思っていませんでした




担当医の友人の女医さんは


ある程度は回復はするだろうが


今まで通りには


芸能活動は出来ないだろうと


宣告をしていました




話すことを


すべて失っていましたから当然です



新規開拓をした


講演会の仕事も当然できません



入院中の病院内での


コミニケーションは筆談でしたが



話したいことすべてを


書けるわけではありません




自分の意思のほんの一部を


文字に託する大変さを


味わいながら…


入院生活を過ごしていました





息子の声が聴きたくても


電話は使えませんから  


毎日、せっせと手紙を書いては


病院内のポストへ


投函をしていました





母から


手紙を受け取ると


まだ,字が読めなかった息子は


おばあちゃんに読んでもらい


その手紙を大切に


「隆一の宝箱亅と称する箱に


綺麗に並べていたそうです



祖父母の前では子供なりに


我慢をしていたようですが



誰もいない時に


宝箱を開けながら手紙を見ては


泣いている隆一の話を耳にすると




早く迎えに行ってやりたい気持ちが募るばかりでした





この先、


どうして息子を背負って生きていくのか…


途方に暮れていました




そんな状況のなか…




非情にも借金取りが


病院へ来るようになったのでした




今…思い出しても


当時の辛さが甦り…


涙が流れます