アトピー性皮膚炎の話は


昨夜で終わりにして


次に進みたかったのですが




誤解があるといけませんから



もう1話を


急遽、綴ることにします




今、中国に行く際に


ビザが必要なのか否かは


わかりませんが…




30年弱前は必要でした



隆一を連れて


都内の中国大使館へ


ビザの申請に


行った時のことでした




大使館の外まで人が溢れて


ビザ申請の人達で


長い行列が出来ていました




どうしてこんなにたくさんの方が


押し寄せているのかを


周りの方にお尋ねしたら…




国慶節になるので


大使館の業務が止まることを


知りました





ちょうど、そんな時でした




大使館のなかから


職員の方が出て来られたのです




そして、


並んでいるビザ申請者に



なんと無惨にも



今日の申請は


ここまでしかできませんと…



長い行列に


区切りをつけてきたのです





残念なことに…



松と隆一は


切られた後に並んでいました




すると、その時でした



4歳の隆一が


切られなかった前に滑りこんで


大使館の中に入り混んだのです




小さい体だから


成せた技でした




そして、



ママ…ママ…と


私に向かって叫んだのです




すると、


職員の方が



あなたはあの子のお母さんですか、、と


尋ねてくださり…



私が母親ですと答えると…




すると、


あなたは、


あっちに入ってくださいと


指示を受けて…



なんと、、、


松はセーフになったのでした




とにかく


隆一は機転が効いて


たいへん頼もしい子供でした




お話をしたように


起業家にすることを目標に定めて


私は彼を育てていました




よって、たくましくなる


子育てを彼にはしていたので





4歳といえども


かなりしっかりとしていました




漢方医の先生が


消えてしまったことで


飲み続けてきた漢方薬は


止まっています




一刻もはやく


再開を希望していた私達は



一日でも早く北京へ出かけて


探しに行きたい気持ちで


山々でした





そんな母の気持ちを汲み取って


隆一は


大使館の中に滑りこんだのです




そんな、4歳の息子は


まさに同志でした




その頃には


息子はひとりでタクシーに乗って


ひとり移動をしていました



保育園の先生からは


ひとり乗車は危険ですと


当然ですが注意はされました



しかし、


母子家庭は2人っきりなんです



どなたの手も借りられない


状況のなかを



ふたりの力を合わせて


生き抜いていかないとなりません




息子はその状況下の中


たくましくならざるを


得なかったのです




その後も


数々の試練に私達母子は


打ちのめされましたが




ふたりで


ファイティンポーズを


取り続けて


たくましく闘い続けました






隆一が滑り込んでくれたお陰で


私達はその日の内に


ビザの申請ができたのでした