世界一人口の多い中国


なんの当てもなしに…



漢方医を探しに


出掛けることになりました




雲をつかむような話でしたが…


再会が遂げられことを決意して




松と4歳の息子は


日本を出発しました





それしか


アトピー性皮膚炎の息子を


良くする道は


無いと思ったからです




これまで、アトピーの本は


2冊執筆をしていますが




今回は本には


あえて執筆をしていない


部分について


お話をさせていただきたいと思います



初披露となります






30年近い前の中国は


まだ、人民服の方が


ほとんどでした




北京空港は確か平屋建てでしたね



空港から市内に通じる道も


舗装されていない状況で


土煙が凄かったことを


鮮明に覚えています




その、ガタガタ道を


馬車が走っているような


時代の中国でした




その中国で


どうして人を探すか、、、



知恵を絞りまくっていました




そんな時でした…






隆一と同じ日に


同じ病院で生まれた


女の子がいらっしゃいました




私は…


午前10時に出産を終えて


お昼ごはんは椅子に座って


いただけるくらいの


超安産な出産でしたので




病院内を


ぷらぷら散歩をしていた時に


その女の子のお母さんと


知り合いました




その後、出産日が同じでしたから


退院をしてからも


仲良くお付き合いをさせていただきました




しかし家族構成のような


深いお話は存じませんでした




そんなある日のことでした




北京へ漢方医を探しに


出掛ける話を彼女にした時でした



はじめ行く街だし…

知り合いもいないし…

病気の隆一を背負っているから

心配なんだぁ…と話した時でした



へぇ、、、北京にいくね?

隆ちゃんを連れて?




そうなのよ

例の漢方医の先生を

探しに行くのよ、、、と



話した時でした



4年近いお付き合いを


していた仲でしたが


はじめてご家族の話を


彼女が口になさったんです




実はねぇ…


私の父と母が

北京で暮らしているのよ、、と



耳を疑いたくなるような


話をしてくださったのです




それだけでも


ビックリしましたが



話はここからでした




隆一と同じ日に

同じ病院で生まれた女の子の

おじいちゃん・おばあちゃんは


北京にある

日本大使館の

大使ご夫婦として

北京へ赴任をなさっている方々だったのです



この話を聞いたときには


腰が抜けるほどに驚きました



こんなご縁があるのかと


神様が結んでくださった糸に




ただただ手を合わせながら



松と隆一は


北京の地を踏んだのでした




いろんな方々に助けていただき


夢にまでみた


例の漢方医と北京の街で


再会が出来ました




必ずこの子は治しますといわれて


その場に…


泣き崩れた松でした




行動を起こす大切さを学びました…⭕️





追伸…


誤解を招くとなりません

お2人のコメントをみて

急遽、追伸を急いで加筆します


チワワさん

勘違いなさっていますよ


探すことについては

お手伝いは

お友達のご両親には

一切いただいておりませんよ


はっきりと

お伝えしておきましょう


人生はなんでも

はっきりとしておくべきですから

お話を申しました