松居の自分史を語るに


決して忘れてはならないことがあります




それは、息子の病



アトピー性皮膚炎です




しかし、これはあまりにも


壮絶過ぎて…




忘れてしまいたいような


病気との戦いでした




   妊娠中に母が作った肌着を着た隆一



生後まもなく


重度のアトピー性皮膚炎と


診断をされてから


ありとあらゆることを


試していました




藁にも縋る思いで


人様が良いと…


お話くださることは


試していきました




病院もジプシーのごとに


あちらこちらに通いました




しかし、病院から


処方される


ステロイドが入った


塗り薬や飲み薬は


一切、息子には使わず



すべてを捨てていました




お話をしましたように


松は、19歳で上京した時から


人生100歳までの


長期戦で


人生設計を立てています




よって、そのプランを


実現するために


薬を体にいれないことを


掲げています




46年過ぎた


今もこの掟は続行中です





そんな私に…



強いステロイド入りの


大量の薬を差し出されても


愛しい息子に


飲ますことも


塗ることも


出来るはずがありません




ステロイドは大人が使うよりも


幼い子供が使う方が


肌への吸収率は


高いわけですからね





世間でアトピーの名医だと


言われていても



昨日や今日知り合ったばかりの


医者になにがわかるんだと


どこかで思っていました




しかしながら


ステロイド薬を頭から


否定したわけではありません




母の私の肌で試しています



たしかに、、、


しばらくは綺麗になります



しかし、肌質が


固くなることを


自分の目で確認できました



その、経緯があって


捨てていたわけです





しかし、目の前の我が子は


痒みで泣き叫び


血だらけになって、、


地獄絵のような毎日を


2人だけで生きていました





3時間おきの授乳が大変だと


世間では言われていますが




我母子は、


その生活は4年近く続きました




痒みで


泣き叫ぶ息子を背負って


夜風にあてて冷やす為に


夜中にどれだけ歩いたか


わかりません





この子をなんとかしてやりたい


変われるものならば


母が変わってやりたいと


途方に暮れていました




病にかかって…


3年以上が過ぎた時でした




目黒に良い


漢方院があることを聞いて


出掛けてみました




診断をしてくれたのは、


中国人の漢方医でした



後に…この方を探しに


私達母子は


北京まで出掛けることになるのですが、、、




東京の目黒にいらした時に


私達は出会ったのです



漢方薬は


土鍋でくつくつと煎じるのですが


この苦さは


説明が出来ないような味でした




しかし、幼い息子ながら


僕は治りたいと言いながら


苦い漢方薬を


グイグイと飲む姿に


涙が流れました





この漢方薬の


値段の高さを


今も忘れることはできませんが



1カ月に70万円ぐらいを


支払っていました




しかし、いくらかかっても


息子が良くなれるのであれば


お金には


変えられないものがありました




この漢方医の腕は


素晴らしい特殊な才能でした



息子の肌は


目に見えるように


綺麗になっていったのです




しかし、そんな矢先のことでした



突然、


その中国人の漢方医が


病院から姿を消されたのです




院長から


処方箋があるので


大丈夫ですと言われて


調合された漢方薬を


飲んだ息子は


大変な状態に落ち入ったことから



やはり治せるのは


居なくなった中国人漢方医しか


いらっしゃらないと悟り




漢方薬を煎じてきた土鍋を


抱えて…


息子を抱えて…


北京まで


その漢方医を


探しに行くことになったのです




4歳の息子に


とっては


はじめての海外旅行が


人探し旅行となったわけでした