貨幣を造る造幣局は大阪にあります。
なぜか?
所説1 大阪遷都
大久保利通は、1868年1月の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍に勝利した後、新政府総裁の有栖川宮親王に大阪遷都を建言しています。
他国との外交、富国強兵、軍備増強をする上で、地形的に浪華(なにわ)が適当であると考えていたようです。
大阪に造幣局を建設することが決まったのは1868年8月。
同年春に江戸城が無血開城されたこともあり、結果的に東京への遷都が決まりました。
所説2 大阪財界への配慮
当時、大阪の両替商(現在の銀行)は新政府を財政的に支援していました。
造幣局を建設すればさまざまな需要につながり大阪財界への経済効果を大きかったと推察されます。
「近代大阪経済の父」となった五大友厚(薩摩藩出身)が大阪にいたことも大きな影響を与えています。
所説3 治安
当時は江戸よりも大阪の方が、治安が良かったようです。
重い材料や製造された貨幣を運搬するには川沿い便利です。
幕府の直轄領があった天満に造幣局が建てられました。
造幣局は明治から令和の現在に至るまで、同じ場所で硬貨を製造しています。
キャッシュレス化の推進で硬貨の需要は減っていくかもしれません。
小銭を眺めながら歴史に思いをはせるのも乙なものですよ。
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