奇跡の教室 (小学館文庫)
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今日2回目の投稿です。
昨年、大学時代の友達・・・というかクラブの同期の娘さん(ちなみに私の母校で同じ学科の後輩。)が、学校選抜型入試をする・・・ということを聞いたので、
学校選抜型入試って何???
というところから、昨今の入試制度の変更などを調べてました。
そこで巡り巡って出会った本が
「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」でした。
本もゲームもガンプラも買って安心するタイプの人間ですので、しばらく放置していたのですが、読み直す(始める)機会があったので一気に読みました。
本を要約すると、
戦後、公立校のすべり止めだった灘校で、文庫本『銀の匙』だけを3年間かけて読むという空前絶後の授業を始め、3巡目の生徒を送り出す昭和43年卒業組は「私立初の東大合格者日本一となる。その原動力になったのがこの方(エチ先生)の授業で、それをOB等へのインタビューなどを元に振り返りながら文書化したもの。
この本に共感する人、また、この企画を通し発行した人々にも、エチ先生の授業のような経験があったのだろうなぁと思いました。
私にも似たような経験があるのですがそれはどうでもよいので飛ばして、
まず、灘と聞くと、超進学校をイメージします。そういう意味で、地頭のいい子が集まっていた・・・と思いがちですが、そうなる前の灘での授業。
よって、この本は地頭のいい子が集まっていたから成立した話ではないです。
勉強するとはどういうことなのか?という本質論なので、それが子育て本としても有用とですよ・・・と宣伝にも書かれていました。
・・・確かにそうかもね。
息子が産まれた時期に発行されている本だったので、もっと早く知っとけば対応が変わったかもなぁと思いました。
次に大昔の話ではあるものの、この本の授業は、
昨今の大学入試改革の人物像に近い人を育てる
授業をしていたのだろうと思いました。
それを今から70年も昔に実践していた。
単純に凄いですね。
凄すぎてそれ以外の感想が浮かばない。。。
また、そういう意味では勉強の本質というのは変わっていないのかもしれないなぁと。
単に知識の習得だけでなく、状況を整理し判断ができる人。
昨今の生成AIの発展で、物事を正確に記憶するということは、AIにとって代わられるといわれています。
じゃ、人間は何をすれば良いの?ってなりますが、この学ぶという本質論を知っている人と知らない人では、対応の仕方、つまりその後の人生が違ってくるのではないかな・・・と思いました。
単なる知識の習得だけでは、今後生きていけない。
AIのほうが人間に比べ、正確に速く記憶し続けることができるのですから。
それに対応できる人間・・・というより、AIをうまく使うことができる人間。
どのようにすればよいのか?って話がこの勉強の本質論で解決できるのかなと思いました。
それと感想文とはちょっと違いますが、今日こんなニュースがありました。
「男女別学の維持を」 埼玉、県立高の同窓会(共同通信) - Yahoo!ニュース
この本のエチ先生の授業は、灘が男子校だったからではないかな・・・とも読みながら思ってました。
共学校でこの授業ができるようには、ちょっと思えません。
なんとなくです。
根拠はありません。
あくまでも私の感覚です。
別学がよいか共学がよいかはわかりません。
ですが、超進学校は別学の学校が多い。
この灘もだけど、開成や桜蔭も別学。
今年は渋渋をはじめ共学人気が出始めたとありましたが、別学のほうが運営上効率的なのかもしれないという気がしています。
男子校の体育祭や学祭のノリをみるとそう思ってしまいます。
そして予備校の存在。
東大に何人も入る学校は鉄緑会の指定校。
鉄緑会でなくてもいわゆる予備校は共学です。
とすると学校以外に予備校に通うことは、共学校のメリットを享受していることになる。
塾いらず・・・をウリにする私立学校が最近増えていますが(ウチの息子もそうらしい・・・)、
中学・高校は別学で学校生活自体を楽しみ、
予備校は共学で勉強する。
というのが実は最強の環境なんじゃないかな。
・・・と思い始めました。
学校生活と勉強とを分ける。
面白そうだな~。
千葉に男子校はないけどね。
あと資金面の問題がなければね。
資金面・・・。
これは親が頑張らないと。
いろいろ考えさせられました。
人それぞれ考え方はあって、違いを議論・検討することで今までの人間の発展の歴史であるわけで、この考え方が一番!ってことはないのでしょうけど、こういった書物を読み、考えながら生きていきたいと思いました。