幼少時代
私は母から罰論で信心を教えられてきた
簡単に言うと
「勤行してお題目あげないと罰があたるよ!」って
子供は純粋に親の言うことを信じるものだから
罰があたると思うと、子供ながらぞくぞく怯えちゃって小学生の時から早く起きては
ちゃんと勤行とお題目を唱えてた
当時は勤行も今とは違い長座だったために必ず全部唱え終わるのに
どんなに頑張っても20分はかかっていたかな
しかも小学生の身分にとったら20分の正座はかなりの苦痛だった
それでも子供にとってはあげないで罰があたるぐらいなら
20分の正座の苦痛なんて耐えれるものだったのかもしれない
その親の教えのおかげで、私は単純に
ちゃんと教え通りにしっかり勤行とお題目を唱えれば
「今日はいいことが起きるとぞぉー」とか、
本来嫌なことが起きたかもしれなかった一日が
「ハッピーな一日に好転するんだぁー」
というような期待感をもっていたし
逆に寝坊したりしてあげれなかった日には
「あー今日は嫌なことが起きちゃうなー」とか
「どんな一日になっちゃうんだろう・・・」って気分が勝手に落ち込んでた
でもそれって今思えば
ちゃんと勤行唱えたから幸せになる、唱えなかったから不幸せになるって変だよね
結局は自分の心次第なわけで
例えあげれなくたって自分の心が幸せであれば幸せな一日になるし
逆にちゃんとお題目を唱えていたって心が落ち込んでたり、塞ぎ込んでたら
どんな楽しいことがあっても幸せに感じないかもしれない
そう、今となってはすべては自分の心しだいだってことが分かった
意外に人って常識や形式にとらわれて
私みたいに勝手な思い込みをしてきてしまってる人って多いんじゃないかな
今でこそ考え方もゆるキャラみたいにゆる~くなってきてはいるけど
まだまだ意外に
「こうでないとだめ」っていう型にハマって苦しんでる人いると思う
身近なケースでいうと
仕事だって「会社員」じゃないと将来が不安とか
仕事することは「我慢するもの」で無理して当たり前みたいな
本当はそんなことないでしょ?
あのタモリさんの名言知ってる?
「仕事は適当、遊びは真剣にやる!」
だから本当に大切なことは形式にとらわれることなく
まずは自分の心を第一に大切にすることって思う
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