こんなツイートを見た。

 

 

自分の知っている世界の外側にあるものを否定し、

 

ときに「気持ち悪い」などと排斥する。

 

その裏にある欲求はきっと

 

「その人の現在地の肯定」

 

なんだろう。

 

そういう人にはなってほしくないな

 

と大学生や受験生を前に、

 

いつも強く思う。

 

 

受験生を教えていても

 

考えることを放棄して、

 

「わかりにくい」とすぐに結論を出し、

 

自分の理解の外側を認めない人がいる。

 

そこにあるのは

 

「現在地の肯定」だろう。

 

原理を曲げてでも、嘘をついてでも、

 

全く無関係で卑近でひょうきんな例をつかって

 

甘く、丸く、飲み込みやすく

 

教えてくれる人や授業や本が好き。

 

だって、現在地を肯定してくれるから。

 

 

 

なんのために学ぶのか。

 

自分の理解の境界線を拡大するためではないのか。

 

ならば、まず外側の存在を認めることから、

 

自分の成長が始まるのではないか。

 

「わかる」「わからない」の

 

その境界線上にのみ

 

成長の大きな手がかりが落ちている。

 

それをきちんと拾いに行くかどうか、

 

そこで、人間の生き方は大きく変わってくると思う。