春の瀬戸内ぶらり旅② | まつ子の気まぐれ旅日記

まつ子の気まぐれ旅日記

家にはじっとして居られず、時間があれば旅に出ています
こんな私ですが宜しくお願い致します

*以前はグリーとyahooのサイトにて簡易ブログを記しておりました。
許容量オーバーとブログサイト閉鎖の為、こちらでお世話になります。

尾道散策の旅ブログの午後の内容となります。

春の瀬戸内ぶらり旅① | まつ子の気まぐれ旅日記 (ameblo.jp)

 

 

〇3月27日・PM

尾道散策の午後は山陽本線を西へ。途中、呉線の電車に乗り換え「忠海駅」に到着です。

 

フェリーで対岸の大久野島まで約15分。

瀬戸内に浮かぶ周囲約4キロの島。現在は宿泊施設のみがある無人島です。

近年では「野ウサギが生息する島」として知られる観光名所となっています。

 

島内に生息する野ウサギたち。

人慣れしているらしく視線を合わせると近寄って来てくれます。

奈良公園のシカにも癒されますが、小柄で丸っこい分 可愛らしいです。

 

巣穴から…

尻隠して頭隠さず?

ことわざとは真逆な姿ですが巣穴を守って居るのでしょう。

 

「ウサギの仕草は猫と似ている」と聞いたことがありますが、ゴロンと寛ぐ姿。

外敵も少ないのか無防備な姿にほっこりします。

 

今では「ウサギの島」として知られる大久野島ですが、戦時中は『地図から消された島』であり、

当時は陸軍管轄の島として、軍事施設のある極秘の島。

 

明治時代には田畑もある長閑な島でありましたが、戦争色が強まる昭和に入ると完全軍用地化の為に全島民が退去。

後にルイサイトやイペリットなどの毒ガス兵器を製造する工場として約1千人もの工員が従事したといわれています。

 

その、毒ガス製造の工程において、ガスの意力実験やガス漏れ感知の為に連れ込まれたのが、ウサギであり

戦後の毒ガス工場閉鎖後は連れ込まれたウサギは放たれ、野生化し今の島の姿となったそうです。

 

広島や長崎では原爆による被ばくの後遺症が注目されることがありますが、

当時、大久野島で従事していた工員たちも、気管支炎や癌などの毒ガスによると思われる後遺症に悩まされ

原爆後遺症同様に世間からの差別の様な扱いも受けたと言われます。

慰霊碑には「二度と戦争はしない」という願いを込めて訪れた子供たちの折り鶴が手向けられています。

子供たちは、負の歴史については理解している。それでも戦争を続ける国もある。大人たちって何だろう…

 

平日ではありましたが、大久野島へ渡るフェリーは満員状態。

多くの観光客はカット野菜などを持参でウサギと戯れている。

しかし、戦争の資料館を訪れる観光客は少ない様子。

もし、大久野島を訪れるのであれば「なぜ、大久野島にウサギが生息しているのか」という事実を学び

世界平和の未来へ繋げて欲しいと感じました。

 

旅の初日午後の行程はここまで。

岡山駅前の定宿に戻り、翌日は高松近辺で讃岐うどん巡りをする行程です。

併せて閲覧をいただければと思います。

春の瀬戸内ぶらり旅③ | まつ子の気まぐれ旅日記 (ameblo.jp)

 

 

今回もブログの閲覧をいただきありがとうございました。

平和へと繋がる未来でありますように…