昭和63年。バブル景気で華やいだ時代。
翌年には夢のマイホームとして父が購入した今の実家であるチバラキ県内の分譲地へ引っ越しをする予定でした。
当時は横浜郊外の集合住宅に住んでいたので友人との会話は「ポンセ」や「高木豊」など地元球団の野球選手の話題の他
「バース」や「クロマティ」などとセ・リーグ選手も話のタネであった記憶です。
パ・リーグの人気はいまひとつな時代ではあったものの高校野球のPL学園での活躍や漫画の主人公にもなった「清原和博」の話題は多かったです。(敬称略)
そんな年の秋も深まりつつある10月。
セ・リーグは若き星野監督率いる中日が圧勝でリーグ優勝を決め
パ・リーグでは西武と近鉄が僅かなゲーム差の接戦が注目されていました。
そして…
プロ野球史上で伝説といわれる10月19日川崎球場。
当時のパ・リーグは球団の身売りやイメージ向上で本拠地の移転の噂もあり、集客も少なく空気観戦状態の川崎球場でした。
(シーズンオフの珍プレー特集では客席でのキャッチボールや流しそうめんをする光景がネタにされていました)
しかしこの日は違いました。。
ダブルヘッダーで開催されるロッテvs近鉄戦。
近鉄が2試合共に勝利をすればリーグ優勝という試合。
関東ではテレビ中継も無く、ラジオから流れる音声から満員の川崎球場の熱気を感じていました。
夜になり人気番組の放映を差し替え、テレビでも熱戦が放映され夜遅くまで映しだされる延長戦も見入っていたことを思い出します。
近鉄の優勝は逃してしまいましたがプロの野球というものを感じました。
世間はバブル期という華やかな好景気時代ではありましたが、プロ野球界では
各球団の人気・不人気による集客の格差や選手年俸の格差も課題となった時代でした。
当時は集客に苦しんでいた球団も昨今では大入りの観客で賑わうスタジアム。
メジャーリーグで活躍できる選手を輩出も出来る日本プロ野球。
今の様な豪華さは無い時代であったのかもしれませんが、楽しみのある濃厚なプロ野球であった気がします。
四半世紀後…30年後…今のプロ野球についてどの様に語られているのだろう?
↓当時の熱戦を思い出したい皆様。よろしければご視聴ください。