先週末(3月1日)は京都の日本海側、与謝野町にある「加悦SL広場」に行ってきました。
さて、加悦(かや)鉄道とは…
大正14年(1925)に地域の活性化と丹後ちりめんの輸送を目的に
国鉄線の丹後山田駅(現:与謝野駅)と内陸の加悦駅を結ぶ請願鉄道として開業。
後に加悦地区の大江山でニッケルの鉱山が見つかり、鉱石の貨物輸送で栄えた鉄道であった。
高度成長期以降は自動車の普及もあり、昭和60年(1985)と廃止となった。
広場入り口すぐには、2号機関車が展示
その名の通り、日本の鉄道史上2番目の蒸気機関車
明治6年(1873)英国製。主に大阪~神戸で活躍し陸蒸気の名で親しまれた名車
晩年はこの加悦鉄道に譲渡され貨車やマッチ箱の様に小さな客車を牽引した。
キハユニ51気動車
「キ→気動車(ディーゼル車)」
「ハ→三等車:普通車(イは一等車・ロは二等車:グリーン)」
「ユニ→郵便・荷物車」
客席の1/3程度が郵便作業用に仕切られ荷の輸送のほか、手紙類の仕分け作業も車内でおこなわれていた。
仕分け作業も自動化され荷もトラック輸送に。今となっては見られない車両のひとつです。
加悦鉄道の名車両でもあったキハ083気動車
旧国鉄から譲り受けた車両のひとつ。
高度成長期、SLの煤煙問題から電車やディーゼル車への切り替えが盛んだった国鉄。
しかし、そろそろ赤字問題を抱えはじめた昭和37年(1962)にSLに牽引されていた
旧型の客車にエンジンを積み改造されたという珍車両。
車両の重量とエンジンの出力が合致せずに峠区間では登坂できずに
峠区間はSLがこの車両を牽引したという事例もあり、僅か数両しか改造されなかったという。
京都市電N5号電車
明治28年(1895)に日本最初の電車として開通した京都市電。
昭和36年(1961)の北野線廃止まで活躍した歴史ある車両。
当時のハイカラ感が伝わってくる車両でもある。
今回はマニアックなブログとなってしまいましたが、この加悦SL広場はこの3月末をもって閉園。
歴史ある展示車両の譲渡先が見つからなければ解体されてしまう可能性が大であり
輸送費や輸送での車両自体の強度問題もある様で結論が出ていないとのこと。
この広場の管理会社の他に有志の鉄道保存会があるとのこと。全部の車両は無理だとしても
クラウドファンディングなどで活動資金を募り、できる限り車両を残してほしいと思います。
そして、昨今のコロナウイルス問題。
いち早く解決、終息の道が開け世界各国で低迷中の経済も回復できる様に願うばかりです。
*昨今のコロナウイルスで外出を控えるべでしたが、今月末でSL広場の閉園ともあり行かせていただきました。
ご心配をお掛けしました。