昭和16(1941)年11月26日
米国務長官コーデル・ハル
日本政府に対して三国同盟の脱退と仏印や中国大陸に駐留する日本軍全軍撤退を要求
いわゆる「ハル・ノート」を発表しました。
日本にとって受け入れられない条件ばかりで、日本政府・軍部はアメリカからの「最後通牒」とみなしました。
同年12月1日 昭和天皇と東條首相は御前会議で、米英蘭三国に対して開戦やむなしと決しました。
同年12月8日の真珠湾奇襲とマレー半島上陸作戦により、日米英開戦となりました。
1941年11月26日
日米開戦のきっかけとなった日です。