1945年8月9日 日本時間未明
チャールズ・スウィーニー少佐が操縦するB29「ボックスカー」
2発目の原爆投下作戦のため、
テニアン島を離陸
目標は小倉
同日未明、ソ連が日本に宣戦布告
ソ連軍は満州 樺太に侵攻!
日本時間10時
原爆投下部隊は小倉上空に到着
しかし天候は最悪
原爆投下候補地の一つ 長崎は天候良好だったので、急遽長崎に移動
昭和20年8月9日 11時2分
2発目の原爆が長崎に投下
しかし、ここでも計算違いなことが起こりました。
長崎でも雲に覆われていて、目視が出来なかったんです。
原爆が長崎中心部ではなく浦上に落ちました。
浦上一帯は浦上天主堂があり、キリスト教徒がたくさん住んでいました。
米軍は8000人のキリスト教徒の命を奪ってしまったのです。
米軍は「神の摂理」という言葉で情報を統制した可能性があるといわれています。