戦国のトップランナー | Macchanどうでしょう!

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元々ひとりで旅行に行くのが大好き。そんな中で出会った御朱印。御朱印の魅力に楽しみを覚えました。以前から研究している経済学や金融相場の話も少し。

織田信長
徳川家康

天下人として君臨し、今でも戦国武将のなかでもカッコいい武将です。

とはいうものの
信長、家康には憧れの戦国武将がいました。
それは誰か。
海道一の弓取り 今川義元!

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今川義元
実は「戦国の世に革命を起こした凄い武将」です。
義元は「軟弱な貴族趣味」のイメージが強くて、桶狭間の戦いであっけなく信長に討たれた敗将のイメージがありますよね。
義元は長男ではありません。
僧侶として幼少期に駿府と京都を行き来していました。なので、京都の社交界で足利将軍家や公家方との縁をつくっていたそうです。
やがて、今川家の当主となると、義元は様々な改革を実施
軍事制度の改革、寄親寄子制
分国法「今川仮名目録追加」の発布
戦国三大文化の一つ「今川文化」

軍事力と財力を強化させた義元は、その力で京都の公家を招いて宴を開いたり、種子島に伝来した鉄砲を大量に購入
いち早く実戦で用いて、尾張の織田氏との戦いで勝ちを収めました。

そして、織田信長との対決!
桶狭間の戦い!
しかし、信長の巧みな情報戦で本陣まで攻め込まれ、義元は剣を持って戦いましたが、最期は討たれてしまいました。

その後の今川家は衰退!
武田信玄によって今川家は没落。
義元の長男・氏真は徳川家康の庇護に置かれました。
家康は今川家の人質だったんで、かつての主家が自分の庇護に入るのは、複雑な思いだったでしょう。