奈良時代、地方行政機関として置かれた大宰府。
大宰府は日本最古の国際都市 博多に近いとあって、対外貿易を司る鴻臚館も置かれました。
菅原道真が流罪になった地でもあります。
太宰府天満宮の御祭神
菅原道真は「学問の神様」として、今では多くの観光客が訪れています。
日宋貿易の基盤になるとして、朝廷より大宰府の大宰大弍に任じられるなど、大宰府は平家の財力を支えました。
しかしその後、大宰府は衰退。
明治期、大宰府政庁跡は荒れ果てていたそうで、当時の太宰府の人々の手によって復興されました。
こうした先人たちの努力で、今の太宰府の景観は守られていったのですね。